第35話 ガダルカナル撤退
空母を後方へ戻して第二艦隊に合流した多景は、航行不能となっていたアメリカ空母『ホーネット』の近くへと向かった。第二艦隊にはホーネット捕獲の命令が届いており、旗艦『愛宕』を始め第二艦隊の多くの艦艇がホーネットの近くに集合していた。
だが、ホーネットの捕獲・曳航は不可能と判断した第二艦隊司令の判断により、ホーネットはその場で撃沈された。
ともあれ、この南太平洋海戦は日本の勝利と言っていい内容だった。
日本側の空母も大きな損傷は受けたものの、引き換えにアメリカの空母二隻を行動不能にした。これにより、太平洋で行動可能なアメリカ空母が一時的にゼロになったのだから、日本海軍の大きな戦果と言える。
だが、海軍の奮戦も陸軍の劣勢を挽回するには至らなかった。
今までにガダルカナル島に届けられていたアメリカの陸上戦力は既に日本軍のそれを圧倒しており、海軍の戦勝報告があっても陸軍が反攻に出られる隙は無かった。
この後も日米両軍は海戦や陸戦を何度か行ったが、日本側は今一つ陸海軍の連携を欠く場面が増え、一旦アメリカ側に傾いた流れを挽回するには至らなかった。
そして、翌昭和十八年一月四日。
日本軍はガダルカナル島からの正式撤退を決定する。
多くの陸海軍兵と艦艇、航空機、そしてベテランパイロットの多数を失った末での撤退だった。
昭和十八年の春になると、日本国内の空気が大きく変わって来た。
南太平洋から日本が撤退したという報せを受け、新聞やラジオの報道は少し悲壮感を帯びて来たように千佳には感じられた。
実際、堅田にあった東洋紡の紡績工場は航空機部品の製造工場に変わり、南太平洋で失った航空機を補充するべく日夜生産が行われていた。父の新次郎は高齢のため徴兵こそされなかったが、人手不足だから軍需工場で働いてくれと言われて働きに出ている。
事情は秋川家だけでなく周辺の家も同じで、嫁入り前の独身の娘などもそうした軍需工場の働き手として召集された。
農村の人手が不足すると米の収穫に不安が残るが、御国の為と言われれば人手を出さないわけにはいかない。そうした人手不足は、結局は千佳のような既婚女性に大きな負担となってのしかかっていた。
千佳は家事をこなしながら稲の苗の生育状況を確認し、町内会で田植えの時期を打ち合わせ、働き手を取られて老人だけになった家の面倒なども見ていた。悪いことに千佳の母も昨年末に腰を痛めており、家での仕事はある程度こなせるが、長時間の外出は難しい。
その為、秋川家の外向きの仕事は全て千佳一人でこなさざるを得なかった。
寄り合いからの帰り道、千佳は薄暗くなった道をため息を吐きながら歩いていた。
今年の田植えは昨年の半分ほどの人員でやらなければならない。昨年でさえギリギリな状況だったのだが、今年はさらにその半分だ。
米の収穫に影響が出ることは目に見えていたし、収穫が落ちれば兵隊さんに届ける米の量も少なくなる。
なんだか世の中がどんどん悪い方へ転がり落ちている気分になり、それに引きずられて足取りも重いものになっていった。
「ただいま」
家に帰ると、騒がしい声が聞こえた。
台所では真知子が母と一緒に食事の用意を手伝ってくれている。五歳になった清も真知子にあれこれと指示を聞きながらお皿を出したり料理を運んだりしている。
世の中はだんだんと暗い話題が多くなっている分、こうして家の空気が明るいことには救われた思いがした。
「あ、お母さん。お帰り」
そう言った真知子を見て、千佳は軽く笑った。
幼い時は、姉の喜代に指示されて自分もこうして家事を手伝っていたものだ。
ふと、喜代は今どうしているだろうかと思った。
志保叔母に聞いた話では夫と一緒に朝鮮へと渡ったそうだが、近頃では近況を報せる手紙も届いて来ない。戦時中の混乱で手紙もなかなか出せずに居るのだろうか。
大阪時代には月に一度は届いていた手紙も、今では半年に一度届くかどうかになっている。
大陸では今も戦争が行われており、大陸に出兵した家族が戦死したという家もいくつもある。朝鮮は後方とはいえ、喜代に危険が及ばないとも限らない。
――まだ
喜代と仲直りが出来ていない。
今では千佳も喜代を責め恨む気持ちは無くなっている。父や母がやたらと喜代を守ろうとすることが気に入らない時期もあったが、自分自身がこうして親になってみれば、両親の気持ちも理解できた。
親とは、そうしたものなのだ。
いくら言いつけを守らない子であっても、家を飛び出して帰ってこない子であっても、我が子を守ってやりたいと思う気持ちは自然と湧いて来るものだ。
そのことを今の千佳は充分に理解していた。
外出用のこぎれいなもんぺを脱いで日常の衣服に着替えると、千佳も料理の支度を手伝った。と言っても既にほとんど出来上がっていて、今は真知子が鼻歌を歌いながらジャガイモの味噌汁に味噌を溶いているところだ。
「何を歌ってるん?」
千佳は真知子に聞いた。
軍歌の節回しのようにも聞こえるが、何となく真知子の鼻歌の節が日本の物とは違っているように感じた。
「カルメン。真綿づくりの時に先生が流してくれはるんよ」
「カルメン? それ、大丈夫なん?」
千佳は心配になって聞いた。
アメリカとの戦争が始まってから、英語やフランス語の歌は『敵性語』として御法度になっている。といっても、政府が法律で禁止しているわけでは無い。むしろ民間が主体となって『敵性語狩り』を行っているのが実態だ。
日本全体にそういった空気が満ちており、千佳が好きだった宝塚歌劇からもレヴュー音楽は消え、『太平洋行進曲』などの軍歌的な歌が主流になってしまっている。
フランスは米英の同盟国であり日本の敵だから、フランスのパリを称揚するような音楽はけしからんという訳だ。
田舎である伊香立の町内会ですら、そうした空気に当てられて『敵性語狩り』をするオジサン達が居る。そうしたオジサン達は農作業でも工場作業ほとんど使い物にならず、この人手不足の情勢下においてもただフラフラと遊んでいるだけだが、声だけは無駄にでかいから困りものだ。
オジサン本人は女だけで頼りない農作業の指揮を取ってやっているという気持ちなのだろうが、千佳からすれば役に立たないどころか居られると迷惑というのが本音だった。
「大丈夫……らしい。カルメンはスペインの曲やから大丈夫って先生が言ってた」
「そう……」
「第一、軍歌ばっかりやったら作業なんてでけへんわ」
真知子はそう言って笑ったが、そもそも学校が真綿づくりの作業場になってしまっていることが異常事態と言えた。
近頃の学校では勉強することはほぼなくなり、子供達も校庭を耕して農作物を作ったり、衣類づくりの作業をしたりばかりしているらしい。真知子と清の通う学校では飛行服の為の真綿づくりを主にやっているという話だ。
ちょうどその時、父の新次郎も帰って来た。
「おかえり」
千佳が声をかけると、疲れ切った様子の父が返事をした。
「おお。ただいま」
上がりかまちに腰かけて靴を脱ぎながら、父が深いため息を吐く。
もはや50歳も近い父には工場での作業は堪えるようで、近頃では帰って来ると晩酌もそこそこに早々に寝床に就くことが多くなっている。
「お父ちゃん。随分疲れてるけど大丈夫?」
「なに、お国のためやさかいな。それより、今年はやっぱり田植えは行けそうにないわ。すまんな」
「ええよ。こっちのことは私がやっとくから」
あっちもこっちも、日本そのものが疲れ切っている。
――早く戦争が終わらんかな
以前よりも強く、千佳はそう思った。
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