第4話 初夜


 祝言の間は二人とも目を合わせなかった。新次郎が呉服屋に注文していた白無垢は急な事で間に合わず、千佳の方は白っぽい小袖の上に白布をかぶせたあり合わせの花嫁姿になった。

 対する隆の方も一張羅の軍服は山歩きでヨレてしまっており、火熨斗ひのしをかけてもあちこちに汚れが目立った。客観的に見ればどちらも奇妙ななりではあったが、千佳はどうにも隆の堂々たる姿に対して気後れするばかりだった。


 祝言とは言っても、三々九度の杯が終わったあとはいつもの親戚の飲み会と変わらない。堅田の叔父さんが真っ先にへべれけになり、坂本の叔母さんは酔っぱらった叔父さん達を相手に金切り声を上げている。いつもながら騒がしい親族たちの酔態を見ると、隣に座る隆が不愉快な思いをしていないだろうかとつい心配になった。


 隆の方はニコリともせず、さりとて不機嫌にも見えない。本人が言っていた通り、ただ話すのが苦手なだけで、場の空気そのものは楽しんでくれているように感じた。

 昼間に見た隆は怖い人だと感じたが、今の千佳の目には、真面目な顔をして座っている隆の姿がキリッと男らしい物に映った。


「じゃあ、若い二人にはそろそろ休んでもらいましょうか」


 万事仕切りたがりの坂本の叔母さんがそう言って隆と千佳を寝室へと向かわせた。その時になって初めて、千佳は初夜を迎えることの意味を思い出した。考えてみれば当たり前のことなのだが、昼間からの出来事が色々とありすぎて、今の今までそういったことに意識が向いていなかった。

 チラリと隆の顔を窺うと、隆の方はいつもの仏頂面のままスタスタと寝室へ向かっていく。


 ――やっぱり……


 隆はこうしたことにも慣れているのだろう。あれだけの男前なのだから当然と言えば当然だ。だが、隆が他の女を抱いている所を想像すると妙に胸が痛んだ。


 ――今まで


 どれだけの女性と寝て来たのだろう。別に答えを聞きたいわけでは無いし、むしろ知りたくないという思いの方が強い。だが、気になるものは気になる。

 とつおいつ思案しながらも、千佳は先を行く隆の後ろについて行った。


「さあさあ、千佳ちゃんはこっちで着替えね」


 突然、叔母がそう言って千佳を小部屋に引きずり込んだ。


「え……でも」

「あら、アンタ。その格好でスるつもり?」

「お、叔母さん!」


 遠慮会釈の無い叔母の物言いに千佳は耳まで真っ赤になった。その千佳の様子を見て叔母はさらにカラカラと笑った。

 叔母の言いたいことは分かる。脱がせやすい服に着替えろということだろう。だがそう言われると、これから隆に抱かれるのだという思いがますます濃厚になり、心臓の音が早くなる。今の状態では隆の顔すらまともに見られるかどうか自信が無い。


 しかし、叔母の言うことには逆らえず、言われるままに千佳は長襦袢ながじゅばん一枚になった。叔母の言いつけで普通は襦袢の下に着る下着も脱がされた為、長襦袢の下は文字通り全裸の状態だ。

 加えて襦袢が夏用で薄手の為、布越しにも胸の形が透けて見える。形どころか谷間すらもはっきりと見えた。この姿で男性の前に出るということそのものが恥ずかしくてたまらなかった。


「や、やっぱり、もう一枚……」

「あかんよ。新婚初夜はうす~い長襦袢一枚と大昔から決まってるんやから」


 嘘か本当かも怪しげな叔母の言葉に背中を押され、千佳は真っ赤な顔のまま隆の待つ寝室の前に座った。


「失礼します」


 室内に一声かけて戸を開けると、千佳は素早く戸を閉めて布団の中に潜り込んだ。ここまで来ればもう逃げも隠れも出来ないのは承知の上だが、せめて隆に恥ずかしい姿は見られまいとした。

 しかし、極度に緊張して布団の中に入った千佳の耳に聞こえたのは、隆のいびきの音だった。


 ――あれ?


 昼間の山歩きの疲れで隆はすぐに眠ってしまったようだ。覚悟を固めた千佳にとっては盛大な肩透かしと言える。失望したような、安心したような奇妙な気持ちになった。

 その時、隆が一つ寝返りを打ち、千佳の胸の上に隆の腕が覆いかぶさった。驚いて固まる千佳の隣で、隆がうつぶせの状態で顔を枕に埋めている。チラリと目だけで隣を見ると、隆の短く切りそろえたうなじが目に入った。


 息を吸うと強烈な男性の匂いがする。それは父の新次郎とは明らかに違い、若い男性特有の溌剌とした『男臭さ』だった。千佳の鼓動が再び早くなる。こんな状態ではとても眠れる物ではない。隣で気持ちよさそうに寝息を立てる隆のことをいっそ恨めしいとさえ思った。


 緊張から千佳の呼吸は早くなり、呼吸に合わせて隆のうなじの匂いが肺の奥まで浸透して来る。その匂いを嗅ぐと余計に千佳の鼓動は早くなるという悪循環だった。


 ――もう、限界


 隆から少し距離を取ろうと胸の上の腕を持ち上げる。不意に隆の手と腕が視界に入った。太く青い血管の浮いたたくましい手だ。この手で力いっぱい抱きしめられたら、さぞや胸が苦しいだろうと思う。しばらく隆の手を見つめていた千佳は、やがて我に返って隆から離れた。

 当の隆は、何をされているのかも不明なままに眠りこけている。


 父とは違う男性が自分の隣で眠っているという非日常にドキドキしながら、千佳は寝付けぬ夜を過ごした。

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