第2話 わたくし、変わりますの

 アンディ・ジェンキンズは公爵家の嫡男である。

 プラチナブルーの髪色に整った顔立ち、実に貴族らしい性格の彼には、親同士の縁で結ばれた婚約者がいる。

 オリヴィア・ブレイジャー伯爵令嬢。同じ学園に通っており、彼女が婚約者であることは誰もが知っている。理由は他でもない、オリヴィア自身が周囲に言いふらしているからだ。

 次期公爵夫人であり、アンディ・ジェンキンズの伴侶。胸を張り自慢気に、高らかに笑いながら触れ回っていた。

 そんな彼女はその高慢な態度から周囲のクラスメイトに距離を置かれており、友人らしい友人もおらず、だけれど本人は気にした様子もなくいつも「完璧な公爵令嬢」「欠点のない淑女」であるかのように振る舞っていた。

 それを疎ましく思うようになったのは、いつの頃だったか。

 彼女がそばに来ると、アンディの友人たちは苦笑いを浮かべて距離を取る。クラスメイトの女子からはひそひそとうわさ話をされる。なのにオリヴィアは気にせずに、今日習った授業の話や身につけた礼儀作法の話などをしてくる。

 面倒だ、と感じていた。

 オリヴィアの話に笑顔で相槌を打つのも、クラスメイトたちの視線を気にして振る舞うのも。

 いっそのこと自分と彼女は親が決めた婚約者であって、自分の心はないと告げた方が楽なのではと思った。

 そうしないのは、疎ましい、面倒だと感じていながらも好意を隠すことなく自分のために必死になっているオリヴィアの姿は、決して悪いものではないと考えているからで。

 心底惚れ込んで、自分のためになら何でもすると言うような彼女の態度に、優越感を抱いているからで。

 自分はいつでも彼女を手放せる、彼女の方が自分に縋り付いて来ているんだという事実に、傲慢な支配欲を感じていた。

 学園を卒業し、本格的に公爵夫人となればオリヴィアは自分のためにより一層働くようになるだろう。

 そうなったらこちらのものだ。

 彼女に執務を全て任せ、自分は楽をする。愛人を作るのもいい。何せ彼女は自分のことが好きで仕方がないのだから、自分が何をしていようと目をつぶるだろう。結婚できただけで、妻になれただけで幸せだと思うことだろう。


 アンディは、紳士ではなかった。

 振る舞いや言葉は貴族らしくしているものの、その心に高潔さはない。高潔そうに見せかけているだけであった。


 学園で出来た友人は、男爵子息のベン・エイマーズと商家の跡取り息子ジェイク。どちらもアンディより格下であったが、アンディの機嫌を取るのがうまかった。

 オリヴィアに対する愚痴も、彼らの前ではよく言っていた。

 勘弁してほしい。親の都合で勝手に決められた婚約者。嫌になる。

 浮気を唆されればそれにも乗った。実際マクシミリアン男爵令嬢に声をかけてみたら、彼女もその気になってくれた。

 オリヴィアがその事実を知れば、何か言ってくるだろうか。否、きっと彼女は何も言えないに違いない。

 自分に嫌われることが怖いから、何も言わないに決まっている。

 そんな考えからアンディは、マクシミリアン男爵令嬢との関係を隠さずにいた。ただの友人関係と言うには近すぎる距離で言葉を交わし、時にはエスコートなどもして。「婚約者」にするような振る舞いで、マクシミリアン男爵令嬢に接した。

 案の定、オリヴィアは何も言ってこなかった。

 予想通りだ、とほくそ笑んだのもつかの間、アンディはふとした違和感に気がつく。

 オリヴィアの周囲に、人がいるのである。

 それは今まで見たことのない光景だった。彼女はいつも一人でいたから。そうでないときは大体、アンディと共にいた。それが今、数人の女生徒と、一人の平民らしき男と共にいる。そして何事か話したあと、彼女は笑った。

 アンディの胸はひどくざわついた。

 オリヴィアの興味は自分にしか向いていないはずだった。今までもこれからも、彼女は自分のためだけに生きて行くのだと思っていた。

――もしかしたら何か企みがあって、自分以外の誰かと接触しているのだろうか。

(もしかして嫉妬させようとして? 僕を試しているのか?)

 だとしたら何様のつもりなのか。たかが伯爵令嬢が、公爵子息である自分を試すだなんて。マクシミリアン男爵令嬢のことを知ってのことだろうか。

 腕を組み、眉を寄せる。唇をきゅっと結んで、腕を組んだまま指をトントン、と動かした。

(気に食わない。嫌われ者のくせに、今更態度を変えてどうにかなるとでも思っているのか?)

 ベンもジェイクも、そう言っている。浮いた存在、嫌われ者であると。そんな相手の婚約者である自分は同情の対象であり、そして「嫌われ者を受け入れる優しい人」だ。

 オリヴィアに友人は必要ない。彼女が心を寄せるのは自分だけでいい。

(どうせ僕がまた優しい言葉をかけてやれば、僕以外見なくなる)

 方向修正しなくては。もとのオリヴィアに戻さなくては。


 アンディはすぐに、オリヴィアとの接触を図った。いつものように優しい笑顔を貼り付けて、甘さを含んだ声で。

「やぁ、オリヴィア。最近一緒に帰れなくて悪かったね。今日は大丈夫だから、一緒に帰ろう」

 オリヴィアの表情が一瞬固まる。けれどすぐに笑顔になった。

「まぁ、アンディ様。今日はベティとファニー、それにルーカスと一緒にカフェに寄っていく約束をしていますの。またの機会に誘ってくださいまし」

 え、と。

 今度はアンディの表情が固まった。

 いまだかつて、オリヴィアに誘いを断られたことなどなかった。そもそもアンディの方が誘った回数は数えるほどしかないのだが、彼はそれすら頭にない。まさか断られるなど、思っても見なかったのだ。

「そ、そう。カフェに」

「えぇ。スコーンがとても美味しいと評判で、わたくし一度行ってみたいと思っていましたの」

 オリヴィアは今まで、寄り道などしていなかったように思う。アンディの知る限り、彼女はいつもすぐに帰っては作法を習ったり勉強に励んだりしていたはずだった。未来の「自分」のために。

「――ねぇ、最近のオリヴィアはどうしてしまったんだい? 全然、らしくないよ」

「……らしくない?」

「公爵夫人になるために努力をしていたきみはどこへ行ってしまったの? 寄り道とか、買い食いとか……しかもその子たち、平民だろう? オリヴィアは僕との結婚なんて、どうでもよくなってしまったのかな」

 わざとらしく淋しげに視線を伏せて、オリヴィアの同情を誘う。こうすれば彼女は慌てて、「そんなことありませんわ!」と言うに決まっている。

 今まで、なら。

「アンディ様ったら、これも公爵夫人としての勉強のひとつでしてよ。わたくしは少しも、努力を怠ってなどおりません。……そろそろ約束の時間ですので、失礼しますわ。ごきげんよう、アンディ様」

 そう言ってにっこり笑うと、軽やかに背を向けて去っていってしまった。途中で二人の令嬢と一人の平民の男と合流するのが見えて、アンディは奥歯を強く噛みしめる。

(僕に口答えしただと……? 一体どういうつもりだ、オリヴィア!)

 苛立ちに大きく舌打ちをして、地面を蹴る。

 怒りの形相でオリヴィアの去った方を睨みつけたアンディは、まさか彼女の心が大きく離れて行っていることなど、考えもしないのであった。

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