なぜ百合子は音楽家になれなかったのか

コザクラ

なぜ百合子は音楽家になれなかったのか

 才能。


 世の中、それがわからずに潰えていく人間のなんと多いことだろう。

 そういう意味では、才能の出生前診断でそれがわかるようになったのはいいことだと思う。

 百合子もそんな時代に生まれた1人。

 彼女は出生前診断で、音楽の才能があることがわかっていた。

 なので私がその死を知った時はとても悲しかった。だって、その才能が世に解き放たれることはなかったから。

 百合子は自殺したのだ。






なぜ百合子は音楽家になれなかったのか






 才能があるのに、なぜ? 何を困ろう?

 いや、困るのだ。あらゆる要因がその開花を拒むから。

 百合子だけではない。


 俺や私には才能があるのに、それが活かせない。


 才能を知ったにも関わらず、それを活かせずにいる人はこうして自殺していく。

 これは「アノミー的自殺」と言われる自殺の類型で、今こういった理由での自殺率が年々高まっている。


 なぜ才能が活かせないのだろうか。これは親の所得との相関で説明出来る。

 例えばその子が出生前診断で、アイススケーターとしての才能があるとする。

 しかし世帯全体の所得が少なければ、例えその才能があっても親はそれに投資出来ない。

 金がない以上、その子の人生の大半は生活費を稼ぐことに使われるだろう。もちろん思考のリソースもそこにかなり割り振られる。

 夢は夢のまま、才能は開かない。所得が開花を閉ざす。


 ちなみに親の虐待もそこそこに相関があった。

 親が虐待していれば、子供はその才能を開く機会を狭められる。精神的に、時に物理的に。しかも幼少期からであればあるほど。

 そういった環境で過ごした子供は社会性や性格に難が出てくる。

 仮にアイススケーターの道が開かれても果たして人間関係でうまく行くかどうか。例えばスポンサーやパトロンの獲得というところでつまずくだろう。これでは才能のない人生と変わらない。


 人は化け様は環境次第。才能の出生前診断はそれを明らかにした。

 では才能とは何か。それは、環境という盤石な下支えを少しだけ後押しする手の1つに過ぎない。

 逆に言えば、環境さえ整っていれば才能の有無やその内容は幸福度にはさほど寄与しないと言える。

 これは究極、才能などがなくても環境の絶大な後押しさえあればボンクラでも勝ち組足りえるということも意味する。

 なるほどあの歌手――滝川優吾が売れているわけだ。

 彼の歌はあまり上手くないし歌詞もありきたりだが、事務所が商売上手なので凄く売れている。


 そんな彼が生まれつき持っていた才能は「絵描き」だった。

 しかし父親が「そんな不安定な才能はよろしくない」ということで本人と相談。折衷して「どうせだったら」と音楽家の道を開いてやったそうだ。

 それもそれで不安定じゃないかと突っ込みたいところだが、その父親はかつてバンドマンだったのでそういう支えもあった。

 ――が、そんなことはどうでもいい。

 滝川優吾の成功に最も寄与したのは、その家庭の収入だった。彼の父親は国会議員だったのだ。

 実家の太さ。すなわち世代収入との相関だ。まさにデータの示す通り。

 結果、滝川優吾は音楽の才能がなくても売れた。

 事実その家のツテがスポンサーに次ぐスポンサーを呼び込み、今や彼は大手音楽事務所の所属である。

 もちろん本人も努力しただろうが、その努力に伴う見返りは「環境」によってほとんど約束されていた。

 10の努力や苦労が7か8の結果として返ってくる。これはあり得ないくらいの返しだ。これが環境によって決まる。

 彼は結果を残してひたすら勝った。翻って「よく闘ったから」なんてことでは決してない。

 彼はただ勝ったのだ。勝ち続けたのだ。ゆえに今その全て、人格や経歴までもが肯定されている。例えば「才能のジンクスを乗り越えた天才」と持て囃されるくらいには。


 一方、音楽の才能があった百合子はどうか。

 百合子の家は――いや、その環境は最悪だった。

 まず、百合子の家は極めて貧しかった。

 近所のパン屋によれば、店の余りのパンの耳をあげれば獣のようにかじりついていたらしい。同じ証言が近隣住民からも報告されていた。


 親も親で、百合子には日常的に虐待をしていた。

 一応学校には通っていたが、やはり貧乏ということもあって洗濯はめったになく、風呂も週に1度あるかないか。

 おかげで体臭がきつかったので、それをネタにいじめられていた。

 大の友達だった私は彼女に色々話しかけたのだが、本人は「なんでもないよ」と笑うものだからやり切れない。

 この場合は教師が最後の頼みだが、その教師はおろか学校も見て見ぬふりの知らんぷりだった。


 そして百合子は自殺した。

 遺書にはこうあった。


 おとうさんおかあさんごめんなさい。わたしは音楽家になれなかったです。


 ニュースやネットで明かされたのはここまで。

 それより下は本人の訴えや糾弾の数々。例えば目を引くのがいじめの加害者の名前だ。

 これが滝川優吾である。


 そんな彼は、ある番組のインタビューで百合子について言及した。

 彼はそこで百合子の本来の才能を知ったらしい。

 この反応に私は目を疑った。


 彼女の分も頑張って、僕は立派な音楽家になります。


 それが彼の答えである。しかも涙ながらに。

 とはいえ、そう言えるだけの事実はあった。

 家がマスコミの報道にストップをかけていたからだ。何たる暴挙。これぞ金の力。広い顔の力。家が政治家ゆえの、睨みの力だ。


 だとしてもわからない。私は彼がわからない。精神構造が。思想が。

 人を間接的に殺しておいてなぜ泣けるのだろう。あの涙は何なのか。

 忘れていたのだろうか。それは確かにあるかもしれない。やった側は常に忘れる。

 案外、本当に覚えていないだけなら単に彼が涙もろかったと言えそうだが……。

 いや、覚えていてもそれはそれで。


 今日、私はその涙を「問い正し」にいく。

 そのために今まで私はあらゆるガードや包囲網を掻い潜ってきた。

 だから警察にしかわからない資料や情報も知り尽くしている。

 私にはそれが出来る。

 そう。私の才能は犯罪者。






【挨拶&作者からのお願い】

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 才能がわかるようになった未来。そこで起きた悲劇のお話でした。

 皆様の心を動かせましたらば作者としては幸いです!


 広告下の♡やコメント、ブックマークやフォローを下さると励みになります! よろしくお願いします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なぜ百合子は音楽家になれなかったのか コザクラ @kozakura2000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ