第40話 第三代表決定戦② 信頼

 あと二つある交代枠、その一つにカルロスは岡屋を選択した。岡屋はここまで出番は全くなく、予選を通して初めての起用だ。

 岡屋は出場を告げられた瞬間から口を閉ざし、誰とも絡まぬまま決戦のピッチに向かった。

 延長開始の笛が鳴る。ワールドカップ出場の行方はゴールデンゴール方式の延長戦にゆだねられた。次の一点を取ったほうが夢の切符を手にすることになる。

 前半開始直後、司令塔中羽がボールを持つと、すぐさま岡屋の前方に大きくパスを放った。追う岡屋。だが相手のディフェンダーがいち早く反応し、ボールを蹴り返す。

 中羽が叫ぶ。

「もっとはやく!」

「わーってる、わかってるよ。もっといける、俺は岡屋だ」

 岡屋はうしろ髪を手で束ねながら、独り言のようにつぶやいた。

「この縦のラインは俺のものだ。誰にもジャマさせねー」

 錠は岡屋を見た。野獣が獲物を狙って目を光らせるかのような気配を漂わせている。

 延長に入る前の終盤戦から、錠は前線に位置しながらディフェンスに追われていた。が、岡屋の投入に再び攻撃への意識がよみがえる。巨漢ディフェンダーたちと対峙し、目を尖らせた。

「どんなに大きかろうと、制空権は俺にある。もう一度、虹をかけてみせる」

 しかし、日本はまたもイランに押し込まれていく。両チームとも一点取ればワールドカップの出場が決まるのは同じだが、エース健在のイランの攻撃陣が日本を上回っていた。

 錠も岡屋も状況に合わせてディフェンスに加わり、じりじりとポジションを下げていく。それでも途中出場で体力のある二人は精力的に相手を追い回し、最低限の役割を遂行した。

 日本は二人の貢献もあり、なんとか延長前半をしのぎ切った。エンドを代わるだけのインターバルのあと、後半に突入となる。休む時間はない。

 ここでカルロスがカードの最後の一枚を切った。またしてもフォワードの投入だ。押されてはいるが、一点取らなければ勝ちはない。得点力不足のチームに対するカルロスの意志表示でもあった。同時に、錠と岡屋のディフェンスが機能していることも、カルロスの決断を後押ししていた。

「テツさん」

 カルロスはその他の選手には見せない顔で一文字を送り出す。

「そんな顔するなよ。ユキヤも出たんだ。この場にいて出なかったらなんのために――」

 ユキヤが立ち上がって手を出す。一文字は力を込めて応えた。カルロスもその上から掌を重ねる。

 一文字は手を解くと、ピッチを見やった。

「お袋も、きっと待ってる」

「……テツさん、無事に帰ってきてよ」

「わかってる。トモも待ってるからな」

 一文字は交代する高村と握手を交わしてピッチに入った。それを目にし、錠は延長に入って初めて笑みをこぼした。そして、ひとりつぶやく。

「よろしく頼むぜ」

 延長後半、またもイランの猛攻。それを何とかしのぐ日本。オマーン戦のようにピッチの真ん中に一文字を残し、他のメンバーは皆ゴール前に釘付けだ。

 イランのほうはディフェンス二人をセンターライン付近に置いて、八人で攻める。試合は、ほぼ日本の陣内で展開された。

 ボールを支配し続けるイラン。だが、ここで岡屋がスピードで相手を追い込み、中羽がボールを奪った。最も厳しいマークを受け、なかなかボールを持つことができなかったが、ここは体を張りキープ、前へ大きく蹴り出した。

 ボールはセンターラインをかろうじて越え、敵の陣内に入った。

 それを追って競り合う敵と一文字。一文字をマークする相手のゼッケン三番はイランで最も強く、スピードもある。

 錠はここで思い切って前に出た。攻める一方のイランは、すでに錠にマンマークはつけていない。日本の選手たちも、オマーン戦の再現を狙って動き出す。

 敵の三番が一文字に激しく当たる。故障の箇所を削られ、痛みにバランスを崩した一文字の足元から、敵はボールをはじき出した。しかし、そのこぼれた球を錠がいち早く拾った。もう一人中盤に残っていた敵の五番がすぐに迫る。

 錠は空いているスペースへボールを運ぼうとするが、相手のプレッシャーにうまくコントロールできない。サポートもまだ上がってはこない。ゴールまで距離はあるものの、得意技に持ち込もうと無理に軸足を踏み込んだ。が、右足を振り切る前にボールを奪われた。

 やはり密着されてはレインボーは打てない。

 またもイランボールとなり、ボールは日本陣内へ。前に出かけていた日本は、慌てて防御体制を整える。

「くそっ」

 錠も自陣に戻ろうとしたが、ふと足を止め、振り返って相手ゴールを見た。

 錠はユキヤの言葉を思い出した。

『本来、ドライブ系のシュートはキーパーが前にいるときこそ、より効果を発揮する。うしろにスペースができるからな。セットプレーになると、キーパーはうしろに下がってしまう。つまりフリーキックよりも、オンプレーでのほうがチャンスがあるということだ』

 極秘練習でのアドバイスの言葉だ。

 イランが一気呵成に攻めているこの状況下、キーパーは通常よりかなり前にいた。前のめりになっているディフェンスラインとのスペースを少しでも埋めるためだが、

 このスペースでボールを受けて、レインボーを打てたら――。

 錠はそう考えた。しかし敵のディフェンダー、三番と五番は二人ともパワーもスピードもある。先ほどのように、簡単には打たせてくれない。

「錠、どうした」

 一文字が立ち尽くす錠を案じて声を飛ばした。

「おっさん、頼みがあるんだ」

 錠は一文字に近づき、ピッチのど真ん中で話をもちかけた。

「なるほどな。うまくいくかわからんが、話はわかった」

 錠は一文字の足元を見た。

「気にするな。目的のためには手段など選ばん」

 その顔を見て、錠は言葉を飲み込んだ。

 日本のゴール前、イラン、日本ともに肉弾戦のなか、体にムチ打って攻め、守る。

 その真っ只中、イランのエースが強烈なシュートを放った。これをキャプテン小原が体を投げ出して防ぎ、そのこぼれ球が再び中羽の元へ。

 来た、ここだ!

 一文字がマークを外して動き出す。中羽は瞬時にピッチを見渡し、前方に蹴り出した。

 このボールは一文字の動きに合わせるように飛んでいった。一文字は熟練のトラップで足元にボールを収めたが、すぐさま相手の三番も詰めてくる。

 一文字は無理に突破はせず、立ちはだかる三番をかわすチャンスをうかがいながら、ボールを斜め前のスペースへと運んだ。当然、三番もついて動く。

 三番は抜かれぬよう一定の距離をとって後退しながら、奪うタイミングを計っている。

 先ほどの競り合いで、一文字が万全でないことは明らかだ。敵もそれは見抜いている。疲れも見えるなか、イランの攻撃陣は慌てて守備には戻りはしなかった。うかつにゴール前を空けられない日本も、最終ラインを少し上げたにとどまった。

 一文字と三番、局地戦のさなか、二人の視界に日本のユニフォームが現れた。後方から二人の進路に対角線をなすように、ひとり疾風のごとくやってきた。

 錠だ。もう一人のディフェンダー、イランの五番もついてきている。

 一文字が迫る錠をちらと見た。その隙を狙って、三番が一気にボールを奪いに前に出た。

 それに合わせるように一文字はボールをまたいで足を出し、そして、あえて体を三番に当てた。激突する二つの巨体。

 直後、一文字の背後を錠が駆け抜ける。

 その瞬きの間に、ボールは錠の足元へ。ぶつかると同時に、一文字はボールを後ろに引いて受け渡しを行っていた。

 勢いのままに、錠は小さく前方へ蹴り出した。長距離レインボーの間合いだ。

 すまねえ、おっさん!

 激しく倒れ込む二本の巨木を背に、錠は大きく軸足を踏み込み、レインボーのモーションに入った。

 今度は錠を追ってきたディフェンダーが、一文字らを避けたぶん慌ててスライディングで飛び込む。が、ここは錠の振り足の速さがまさった。

 いけーっ!

 ボールは勢いよく夜空に舞い上がった。直後、背後から敵のスパイク。飛ぶように蹴り上げた錠は敵のスパイクの上に着地、バランスを失い崩れ落ちた。ホイッスルはない。

 膝をつき、手をつきながら、それでもその視線はボールの行方を見守った。

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