第39話 第三代表決定戦① 継承
第三代表決定戦の開催地はマレーシアのジョホールバル。日本代表は、韓国からそのまま現地に入った。
相手はイランだ。グループAでは、トップと勝ち点で並びながらも得失点差で二位となったが、その実力はアジアナンバーワンといわれ、特にディフェンスに優れる難敵だ。
粛々と時は流れ、決戦のときがやってきた。この戦いに勝ったほうがワールドカップの出場権を得ることになる。日本は韓国戦の勝利で上昇ムードだった。そしてなによりもこの大一番、ユキヤがスタメンで登場する。
熱帯夜のスタジアム。両国のサポーターによる熱の応酬のなか、ユキヤが登場すると、スタンド全体が一斉に同じ声を上げた。ユキヤは日本だけではなく、アジアを代表するストライカーだ。試合前のピッチに立ったその勇姿を錠はベンチから見守った。
韓国戦からこの数日間、錠はユキヤに声をかけられ、極秘に練習を行った。全体練習のあと、居残りで高村や一文字らとともに新たな攻撃のオプションを身につけた。その軸となるのは錠だ。キックオフ前の緊迫のなか、錠は出番が待ちどおしくもあった。
幾多の思いが注がれぶつかり合うピッチに、キックオフの笛が轟いた。
試合はやはりイランのペースで始まった。評判どおりディフェンスは強固だった。屈強なイランの選手たちを相手に日本の中盤がてこずり、ユキヤにはなかなかボールが渡らない。なんとか前線にボールを入れても、ポストの高村が大型ディフェンダー相手に持ち味を活かしきれないでいた。
ベンチのカルロスも表情は険しい。
「やはりフィジカルで押されてしまう」
「ユキヤが入ったからといっても簡単に点は取れんな」
並んで一文字も戦況を見守っている。
「しかもキーパーがあのアリだし」
アリはアジアでは天才と言われているキーパーで、四年前もユキヤや高村の決定的なシュートを止め、日本のワールドカップ出場を阻んでいる。今回の予選でも衰えは見られない。グループAでも彼自身は無失点だったが、戦列を離れていた時期があり、イランはそのときの失点により二位となった。
この日もアリは、日本の苦しまぎれのロングシュートはもちろん、ゴール前の空中戦も難なく制し、さらに的確なコーチングでディフェンスラインを統率した。
ようやく日本に流れが傾きはじめたのは、イランが守備から攻めの姿勢に転じたときだった。
ゆるくなったプレッシャーのなか、中羽が基点となってユキヤにボールが通るようになり、徐々にチャンスをつかんでいく。ボールを持ったユキヤは、フェイントを織り交ぜた巧みなドリブルで相手を翻弄し、ディフェンスラインを乱させた。
それでも相手の守備はしぶとく、簡単にはシュートまでは持ち込めない。南澤ら中盤の選手もフォワードのうしろから飛び出して攻撃に加わるも、ボールはつながらず。イランの壁は厚かった。
前半は〇対〇で終了。イランのフィジカルが目立つ四十五分だった。
選手たちは控え室に戻り、カルロスは自らユキヤの脚のケアをした。
「どうだ? このあと」
「もちろん、OKだよ」
ユキヤはとびきりのスマイルで答えた。後半もメンバーに変更はない。
「さあ、いこう」
ユキヤは手を叩きながら、戦場に戻るチームを鼓舞した。その姿はなにより心強い。
しかし、後半開始直後だった。
「ユキヤの脚がもっている間に先制点を」
そんな日本側の思いもむなしく、イランのキックオフからテンポよくボールをつながれ、あっという間にゴールを許してしまった。
エンジンをかけ直す前に点を取られ、せっかくの好ムードがまたかという雰囲気に変わろうとしていた。このあとさらに失点を許すのはよくあるパターンだ。
しかし、この試合は違った。
「まだ半分ある、落ち着いていこう」
ピッチにはユキヤがいた。
「まず一点取るんだ」
ユキヤの言葉に導かれるように、日本は攻勢に出た。運動量で相手を上回り、スピードで揺さぶって押し込んでいく。
後半十五分。森波が相手のボールを奪い、中羽のスルーパスからユキヤが抜け出す。ディフェンダーが寄せる前に、ユキヤは高村にパス。前半から相手のプレッシャーに苦しむ高村だが、ここはなんとか持ちこたえた。キープして、裏へ抜けようとするユキヤに返す。見事なポストプレーだ。
大型ディフェンダーがユキヤに迫る。
「出た、ユキヤ得意の股抜き」
ユキヤはフェイントから相手の股間にボールを通して抜き去った。あとはキーパー、アリだけだ。
「四年前の借りを返すぞ」
ユキヤはキーパーが飛び出す間もなくシュートを放った。
ボールはアリの手をかすめ、ネットの奥を揺さぶった。
「やった! やったぜ、ユキヤの復活ゴールだ」
日本は大いに沸いた。錠も思わず立ち上がる。これで一対一、追いついた。
日本は勢いに乗り、さらに攻め込んでいった。それに対し、イランもギアを上げて抵抗する。ピッチ上、双方のプレーが次第に激しさを増していった。
後半も二十分を過ぎ、錠も内側のギアを上げた。出撃体制は整っている。カルロスもその準備に入った。
三十分、右サイドで勝負を仕掛けたユキヤが激しい当たりで倒された。仰向けになって脚を押さえるユキヤ。
「大丈夫ですか、ユキヤさん」
近くにいた選手たちが駆け寄る。相手にはイエローカードが出た。ベンチも心配そうに見守る。
「やばいな、相当きつかったぜ」
カルロスが錠を見た。
「錠、行くぞ」
「ああ、でも」
そのとき、一文字が肩を叩いた。
「あの位置を見ろ」
「あ、あれは――」
極秘練習の夜、ユキヤは錠と高村に秘策を授けた。一文字もカルロスとともにその場にいた。
ユキヤはリハビリに取り組んでいる間、同時に敵の研究も行っていた。
「イランのディフェンス陣のテクニックからすると、少々当たられたくらいじゃ反則はもらえない。相手もこちらを研究しているはず。ゴール近くはもちろん、レインボーが長距離砲もあるとわかった今、おそらくサイドの厳しいエリアでしかファウルはしてこないだろう」
ユキヤは展開を読んでそう分析した。
「いくらレインボーが狙いどおりに撃てる高速降下のスーパーシュートといっても、サイドの厳しいエリアからだと、コースが狭まる。並みのキーパーならともかく、相手はアリだ」
そう言ってユキヤは錠を見た。
「そこでだ。壁となるディフェンダーとキーパーの間にレインボーを落とすんだ。そこに高村が相手より先に入りこんで、得意のヘッドで決める」
この提言に錠は浮かぬ顔を見せた。
「そんなことができるかな。今まで人に合わせたことなんて」
「だから練習するんだ」
錠はユキヤの言葉に引っ張られ、このフォーメーションを限りなく完成の域に近づけた。あとは実戦で結果を出すのみだ。
しばし十人で日本代表は難局をしのぎ、次のタイミングで錠の投入となった。ユキヤはピッチの脇で、担架に乗ったまま手当てを受けていた。錠は視界の隅にそれを捕らえながら白いラインを越えた。
錠は決戦のピッチに膝をつき、ボールをセットした。
本当の意味でエースの代役として、ユキヤからこのチャンスを引き継いだ。右サイド深い位置、角度的にゴールは狭い。だが、ユキヤの想定した最も確実性の高いポイントだ。
「よし、やるしかない。頼んだぜ高村さん」
錠はいつものルーティーンからレインボーの助走に入った。勢いよく、ボールのかなり前方に軸足を踏み込む。錠の後方でとらえられたボールは、低空飛行で体の下を抜け、空へ舞い上がった。
と、同時に高村が壁の裏に飛び出す。そこへボールが上から下へ伸びるように潜り込んでいく。
ドンピシャ。慌ててブロックにいくディフェンダーも、目の前で角度を変えられたキーパーも対応できず、高村のヘディングが右隅に決まった。
「やった、高村さん。ユキヤさん、やったぞ」
錠は拳を握った。応急手当てを受けながら見守っていたユキヤも、体を起こしてガッツポーズを見せた。
逆転。二対一。後半三十五分のことだった。
このあと、カルロスは錠を代えなかった。交代枠はあと二つ。ディフェンダーを入れて守備を強化する手もあった。だが、フォーメーションをいじることによってバランスを崩すこともある。カルロスは錠の前線での守備に賭けた。あと十分少々を守り抜けばワールドカップだ。
しかし、さすがアジアナンバーワンといわれるイランだ。簡単には行かせてくれない。日本の選手たちにプレスをかける機会さえ与えず、すかさず同点に追いつく。
ショックと疲れで膝を落とす選手もいるなか、錠は自陣のゴールに転がるボールを持ってリスタートに走った。
「俺が入ったから負けたなんて言わせねえ」
前を見据え、一人ピッチを駆け抜けていった。
「ちっ、ユキヤさんがいないから負けたなんて言わせないぜ」
中羽も走り出す。やがて皆も無言で動き出した。
試合は日本ボールで再開された。
フリーキック以外は安全パイと見られた錠に、特にマークはつけられなかった。おかげでフリーになることができた。
錠はボールを受けると、その場からレインボーを放った。ボールの向こうに一歩でも踏み込むスペースがあれば、助走なしでも少々の距離なら打てる。それだけの力がついていた。
しかし、ここはやや精度を欠き、ゴール脇をかすめてピッチの外に出た。それでも相手に脅威を与えるには十分だった。
これ以降、錠にもマークがつけられた。マンツーマンでだ。錠にマンマークがつくということは、そのぶん他の選手へのマークが手薄になるということだ。
ただし、その点では貢献できても、マークを背負ってのプレーは今の錠にはまだ厳しかった。
こぼれ球を拾い、レインボーを打つスペースを得るためにドリブルで相手を抜こうと試みたが、チャージで弾かれ、ボールを奪われた。ファウルもこない。鍛えたはずの技術もフィジカルもここでは通用しない。
やっぱり友近みたいにはいかない。俺にはドリブルは無理か? なら、どうすりゃいい?
『全体を、周りを見ろ』
いつかの一文字の言葉が浮かぶ。
錠はピッチを見渡した。そして、自分が今どこにいるのか確かめた。どこでボールを受けたらいいのか、そのためにはどう動けばいいか、自分なりに考えた。そして周囲の動きに目を配った。
森波がボールを持った。錠はすかさず空いているスペースに入る。
「森波さん!」
パスの名手、森波からボールが出る。錠は動きながらも確実にトラップしてそれを収めた。が、すぐに相手のプレッシャーにさらされる。
誰かいないか?
パスの相手を探す錠。それを感じ取って声がする。
「錠!」
南澤だ。後方からサポートに動いていた。
錠は確実に渡るよう丁寧にインサイドをボールに当て、南澤に預けた。そして休む間なく前線に動き出した。ここは南澤がボールを奪われたが、錠はカルロスに教えられたことを堅実にこなしていった。
だが、ここから日本は次第に押し込まれ、錠にはほとんどボールが渡らなくなった。
「なら、俺が日本のためにできること、それはこれしかない」
とにかく走った。前線から中盤まで、相手ボールになるとパスコースを断とうと敵にプレッシャーをかけていった。
――みんなの夢を汚してしまっていた。違うんだ、俺だって本当は、サッカーが好きなんだ。うまくなりたかったんだ――。
ベンチでは、ユキヤが手当てを受けながら戦況を見守っていた。
「すごいな。あのスピードと迫力。いいチェイシングだ」
そのそばで、カルロスが苦戦中にもかかわらず笑顔を見せる。
「あいつ、本当にふっきれたな」
つられてユキヤも、そして一文字も笑みをこぼした。
やがて後半も四十五分を過ぎ、ピッチに笛の音が鳴り響く。
前後半九十分では決着つかず。しばしのインターバルののち、十五分ハーフの延長戦に突入することとなった。
選手たちは汗だくでピッチから引きあげていく。サブのメンバーは総出で迎えた。
錠はホイッスルを聞いてからしばし動けず、ピッチ上に立ち尽くしていた。だが、その体に、倒れ込むことは許さない。
ユキヤが足を引きずりながら迎えに現れた。
「よくやったぞ、錠」
錠は無言で大きくうなずき、ユキヤに促されてピッチをあとにした。皆と同様、ベンチ付近に腰を下ろし、体だけを癒す。
他のメンバーのケアをしていたカルロスが、錠の元へやってきた。錠の眼差しを見て一言。
「いけるよな」
ニヤリとするカルロスの目を見返して、錠は小さく笑って見せた。
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