第12話 旧友

 東京で桜の見頃を終えるころ、全国各地でJリーグが開幕となった。

 大学では新学年が本格的にスタートし、錠も一人の学生としてキャンパスに足を運んだ。とはいえ、四月にして早くもさぼりがちの状態だ。

 それはいつものことではあるが、例年と違い、友人たちは出るべき講義はわずかなうえ、就活でほとんど姿を見せない。錠の通学に対するモチベーションは余計に上がらなかった。

 錠が久々にキャンパスにその姿を見せたのは、晴れ渡った心地のよい日だった。この日は、竹内らと共通の講義がある曜日だ。

「お、天然記念物発見」

 前田が錠を見つけるなり、相変わらずの調子で寄ってきた。竹内もいつもどおりだ。

「錠、お前先週いなかったろ。二回目でもうか。そのあとの三限も出なかったろ」

 自分に関係ない講義も、錠のことが心配でのぞいてみたらしい。

「結局、あとで俺に頼ることになるんだよ。結局さ」

 前田が自慢の情報力をアピールする。大木はそのそばで、普段同様クールにやりとりを見ていた。

「今から俺に頭下げとけよ」

「前田じゃない。お前のネットワークには世話になるけどな」

「なんだ、その言い方は。なあ大木、何か言ってやってくれい」

 大木は表情一つ変えずに応える。

「代表で出られない時期だってあるだろう。今のうちに講義は出ておけよ」

 その言葉に、錠はそれこそ何とかなると、鼻で笑った。

「あ、お前、さては日本代表だからってインチキしようと思ってるだろ。教授相手に」

 前田は詰め寄るポーズをとって言った。

「何言ってんだ。そんなことするわけないだろ。でもまあ、言わなくても単位はくれるかもなあ」

「こいつめ」

 そんな掛けあいに、後方から軽いノリで割って入る声がした。

「よーう」

 振り返ると、派手な色彩の男が立っていた。目に痛いほどの黄色いウィンドブレーカーに、足元にはこれまた黄色いラインのスニーカーだ。

「あれっ、カワッチじゃん」

 前田が声を弾ませる。

「よっ、スーパースター」

 そう言いながら錠の肩に手をまわし、左だけ口角を上げて笑うその男は、錠たちの元クラスメート、河野だった。

 入学当初は錠ら四人と行動をともにしていたが、やがてもう少しノリのいい、垢抜けたグループとつるむようになり、いつしか離れていった。ファッションやイベントにうるさく、ステイタスという言葉が大好きな男だ。

「お前ら、久しぶりだな」

「ほんとだな」

「河野と会うの、いつぶりだっけ?」

 竹内も、そして大木も話に加わる。

「どうだろ? 試験のとき、たまに見かけてるけどな」

 他の三人とは対照的に、錠は河野から距離を取った。さりげなく竹内らの背後にまわる。

 河野は三人の相手をしながらも、その向こうの錠をチラチラと見やった。当の錠は伏し目がちにあたりを見回し、時間を潰した。

「そういや、お前ら就職はどうよ」

「うーん、厳しいな」

 竹内が錠の顔色をさりげなく見ながら言葉を返した。

「河野のほうは?」

「俺、吉本ツーリストから内定もらってる」

「マジかよ。もう決まってんだ」

「最大手じゃないか」

「ワールドカップ決まったらさ、うちのツアーで予約取ってやるから見に行こうぜ」

 その声を耳に、錠は顔を背けたまま眉間にしわを寄せた。

「まあ、錠に頼めば、なんでも取れちゃうか。スーパースターだから」

 河野はニヤニヤしながら、錠に話題を振った。

 錠は、あからさまに深く息を吐いた。竹内がすぐにフォローを入れる。

「あれだ、錠は今単位のことでいっぱいなんだよ。悩んでるときはいつもこんなだったろ?」

「いや、前からテンション低いときあったから、わかるわ」

 河野は陽気におちゃらけた。

 その日、河野は一行に付いてまわった。夜の居酒屋までだ。

 錠は当然不満だったが、他の連中は違った。やはり話題は河野を中心に就活のことばかりだ。

「俺の周りのやつらも結構いいとこもらってるぜ。田辺興業のやつもいるしな。ちなみに、そいつの先輩にホリ出版の人いるって言ってたわ」

 話の内容からしても、錠にとっては最も嫌いな人種だ。それに対し、他の三人は内定獲得者の話を聞かずにはいられなかった。

 だが、河野の目当ては錠だった。就活の話が一段落すると、より積極的にアプローチを開始した。トイレに立ったあと、さりげなく錠のそばに座り、酒を注いだ。

「みんなさ、お前のことすげえって言ってるぜ。俺、友達だって言ったらまたすげえって」

 そう言いながら、河野は錠の肩に肘を乗せた。錠は顔を背け、眉をひそめる。

「そういや、錠と俺の二人で渋谷行ったことあったよな」

 錠は肩の肘を嫌悪感たっぷりの目で見てから、体を横にずらした。河野はバランスを崩し、思わず肘を引っ込めた。河野は一瞬だけ不快な表情を見せたが、そのまま話を続けた。

「終電やばくなったから朝までいようと思ったけど、チーマー対策でどこも店開いてなくてな。錠なんて、ここ渋谷じゃねえのかって叫んでたよな」

 そこへ前田が話を挟む。

「カワッチ、俺ともあったじゃん。横浜も行ったぜ」

「ああ、そうだっけ」

「そうだよ。今度は六本木とか行こうぜ、な」

 しばらくの会話のあと、河野は別の用があるらしく席を立った。

「今日はお前らに会えてよかったよ。じゃあな」

「おう、連絡するから六本木行こうぜ」

 河野の去ったあと、皆は錠に気を使い、代表の話題を振った。

「そういや、代表でボンバの大将には会ったんだろ。一文字のテツに」

 錠はその名にまた顔をしかめた。

「だから、もうボンバじゃないって」

 竹内が今回もフォローする。

「ああそうか。でも、どうだった」

 錠はいかつい顔を思い浮かべ、口を尖らせた。

「別に。あのおっさん、ほとんど練習しないからな。ありゃ、ただの監視役だ」

 オマーンラウンドでは一文字も別メニューに近く、練習はほとんど外から見守るだけだった。

「どっか、悪いのか?」

「さあな、下手だからついていけないんじゃん」

「ひょっとしてお前、自分のこと言った?」

 前田は遠慮なく突っ込む。

「はあん?」

 錠は、その手の話は本気でお断りの雰囲気を醸しだし、顔を背けた。

「いや、一文字徹也、マジで足の調子よくないみたいだぞ」

 竹内はサッカーサークルの幹事だけあって情報通だ。新聞、雑誌などは必ず目を通す。実際、一文字はリーグ戦でも今シーズンここまで出番はなかった。

「移籍の件もその絡みなんじゃないかな。前からケガの噂はあったろ」

「そんなの聞いたことない。それに代表じゃ誰もケガなんて言ってなかったぞ」

 自分のほうが詳しいに決まっている、そう言わんばかりに錠は否定した。

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