第11話 それぞれの事情

 科目登録を済ませた翌日のことだ。錠に一本の電話が入った。相手は姉だった。

 姉の麻美は東京の専門学校を卒業し、そのままこちらでOLをしている。同じ東京にいても会うことはほとんどない。話をするのは二ヵ月ぶりだ。

「錠、あんた何やってんのよ」

「何って?」

 察しはついているが、とぼけてみた。

「なんで話さなかったのよ、サッカーのこと」

「ああ、その件ね。なんで話さなきゃいけないんだよ」

「普通、報告とか相談ぐらいするでしょ」

「姉ちゃんに相談してどうなんだよ」

「家族でしょ。いきなり驚いたわよ。母さんにも言ってないで……」

「母さんに言ったの?」

「あたりまえでしょ。っていうか知ってたわよ」

「…………」

 錠は適当に相手をして煙に巻こうと思っていたが、言葉がみつからなくなった。

「錠、聞いてる?」

「……ああ。で、どうだった?」

「母さんも、そりゃ驚いたんじゃない。詳しいことはわからないみたいだから、私がメディアで見たかぎりのことは伝えたけど。いつもみたいに淡々と聞いてた」

「ふうん……」

「でも、もちろん気にかけてるわよ」

「そうかな」

 錠はちょっとふてくされ気味に言った。

「錠は大丈夫だから、って言ってた」

「まあだいたいわかるさ。いつもそんなだ」

「……忙しいからね」

「わかってるさ。俺たちのため、だろ」

 錠の母は女手一つで姉と錠を育てた。地元の名の通った旅館で働いている。大事な役どころらしく、帰りは遅く、休みも少ない。

「そのぶんずっと私が相手してあげてたでしょ。その私に報告もないなんて」

 錠はそれを言われると、いつも押し黙る。

「ところで、就職活動はどうなってんの。もう進路は決まったの?」

 前回もこの話題でうんざりさせられた。錠はすぐに口を尖らせた。

「その話はするなよ」

「何言ってんのよ。むしろこっちが本題よ」

「今それどころじゃないじゃん。ワールドカップかかってんだよ」

「はあ? それとこれとは関係ないでしょ。あんたの将来はどうすんのよ。あんただけのことじゃ

ない。私はともかく、母さんのこと、ちゃんと考えなさいよ」

「ああ、うざいな。なんなんだよ。あれこれ押しつけんなよ。俺は俺でいろいろあるんだよっ」

 錠は声を荒げ、姉は現状を察した。

「もう……。けど卒業はしなさいよ。学費や養育費は四年生までだからね。アノヒトからの」

 錠はまたも嫌な言葉を聞かされ、舌打ちをした。

「ちっ、アノヒトの話もするなよ。払わせたらいいじゃん。俺たちを捨てて出ていったやつにはさ」

 アノヒトは錠が小学生のとき、母と離婚して彼らの元を去っていった。流本家ではその話題が出ることはほとんどないのだが、姉が近所で聞いた噂によると、原因は女性関係らしい。それを嫌悪して姉はアノヒトという言葉を使いはじめ、やがて錠もそれに倣うようになった。

「ふざけるのはいいかげんにして、卒業と就職はちゃんとしなさいよ。自分のためだからね」

 姉は最後に強い口調で念を押した。


 そのころ他の代表選手たちは、もうじき開幕するJリーグに備え、所属チームで戦術の消化に余念がなかった。

 そんななか、錠はシェフ市川の練習を見学に出かけた。シェフには友近と中羽、そして一文字が所属している。

 練習場に着くと、錠はフェンスの外側でマスコミに取り囲まれた。有名人気取りでサングラスをかけ、薄笑いを浮かべながら困りますよを連発した。

 マスコミの問いかけをいなしつつグラウンドを見渡すと、友近や中羽らが見えた。が、一文字は見当たらない。錠はもっとフェンスに近づこうと移動を始めた。それに合わせ、報道陣も一緒に動く。もみくちゃになるなか、上からかざされたマイクの一本が錠の頭に当たった。

「ちっ、いてえな」

 錠は思わず振り返って誰彼ともなくにらみつけたが、迫りくる人波に押し流された。

 やがて練習中の選手たちも、あたりの異様な空気を感じはじめた。

「なんだか騒がしいな」

「あ、あれ錠さんですよ」

 友近が気付き、声を弾ませる。

「何しに来たんだ、いっちょまえに」

 かたや中羽は、そっけなく言い捨てた。

 練習中、マスコミの動きが落ち着いたころを見計らい、友近のほうからフェンス際の錠にアプローチがあった。

「錠さん、今日はどうしたんです」

「ああ、みんなどんな練習してるのかと思ってな」

「このあと、どうするんです」

「いや別に」

「よかったら食事しましょうよ」

「おう」

 練習後、二人は友近のクルマで都内のレストランに向かった。

 友近の愛車を初めて見て、錠は面食らった。気にしない素振りで乗り込んだが、その軽快な走りと絵になる友近を見て言葉を漏らした。

「しかしお前、十九ですげえの乗ってんな」

「いいでしょう」

 ハンドルを軽く叩いて、友近はうれしそうに笑った。

「でも皆さんから比べたら大したことないですよ。南澤さんとか枡田さんなんて、もっとすごいですよ」

 錠はあれこれ友近の話を聞き、改めて一流のプロは違うと思わされた。

「中羽もか」

「ヒロさんはポルシェですよ。一番すごいのはやっぱりユキヤさんかな」

 思わず錠は友近の顔を見た。

「え、なんです?」

「あ、ユキヤって、いやユキヤさんってどんな人」

「ああ、おしゃれですね」

「性格とかは」

「そうですね、キザに見えるけど明るくて、風格あるけど気さくな人ですよ。あと練習熱心だと思います。サッカー大好きなんですよ、ユキヤさんも」

「ふうん」

 錠は流れていく景色を見ながら、ぼそりと返した。

「ちなみに中羽は」

「ぷっ」

 友近は吹き出した。

「なんだよ」

「いえ、ヒロさんはサッカーのセンスは抜群ですね。性格は、そうだなあ。本人いわく、お金と女性と名誉のためにサッカーやってるって言ってますけど、どうだか」

 友近はニコニコしながら答えた。

「へっ、あいつらしいや」

「でも、錠さんもやっぱりすごいですね。レインボー、あれ今度教えてくださいよ」

「え?」

「自分でやってみたんですけど、なんか違うんだよなあ」

「わはは、そりゃあそうさ」

 簡単に蹴られちゃ困る、錠はいろんな意味でそう思った。

 やがて友近はクルマを繁華街の駐車場に入れた。

「このすぐ近くに美味しいお店があるんですよ」

 友近は、錠を歩いてすぐのところにある高級感漂う店に案内した。錠は戸惑いながらも、すました顔で友近のあとに続いた。

 店に入ると、聞き覚えのある声がした。

「よう、こっちだ」

 太く低い声、一文字だ。いつものいかつい顔で円卓についている。

「あ、もう来てたんですか」

「ああ」

 一文字が友近のそばに目をとめた。

「おう、錠じゃねえか」

 なんだか友近にだまされた気がした錠は、いったん目をそらしたが、小さく会釈をした。

「錠さん、練習見に来てくれたんで誘ったんですけど、実は言ってなかったんですよ、おじさんと約束してるって」

「おい、おじさんはやめろって」

 一文字は苦笑しながら返した。

 錠は、友近も結構言うもんだと軽く驚きつつ、目を泳がせた。

「俺がいて迷惑だったか」

「や、別にそんな」

「はっはっは、まあ座れよ」

 錠は言われるままに席に着いた。

 代表では気にも留めなかったが、一文字と友近は年の差にもかかわらず旧知のように言葉を交わす。錠にはそれが意外に思えた。

 一文字は移籍、友近は高卒の新人として、昨シーズンからシェフ市川のチームメイトになったばかりだ。思えばオマーンでも、先ほどのグラウンドでも、友近は何の抵抗もなく近づいてきた。これも友近のキャラクターのなせる業なのだろうと錠は思った。

 メニューを見てもよくわからない錠は、二人に合わせて適当に注文をし、勘定の心配をしながら料理を待った。その間、他の二人に会話はない。この沈黙は彼らには普通でも、錠には重く感じられた。

 しばしのあと、ようやく一文字が口を開いた。

「錠は、あれからどうしてたんだ」

「え?」

「今、春休みか」

「いえ、もう」 

「学生は就職活動の時期だっけな」

 今最も嫌な話題に触れられ、錠は表情を少しこわばらせた。

「あ、そうなんですね。錠さんはどんな感じなんですか」

「ん、まだ何も」

 友近に尋ねられ、錠はやむをえず言葉を返した。が、

「お前、もう四年だろう」

 一文字のこの何気ない一言に、またたく間に顔を紅潮させた。

「だ、だったらなんすか? あんたにゃ関係ないでしょ」

 立て続けに不愉快な言葉を浴びせられ、つい口を尖らせた。

 一文字も表情を険しくさせたが、さすがに大人だ。

「まあ、そう怒るなよ。練習見たってことは、Jリーグに入りたいのか」

 一文字のその対応に、錠も心を軟化させた。

「いいや、ちがう。暇だったから」

「ふうん。で、どうだった。こいつらちゃんと練習してたか」

「あ、何言ってるんですか。当たり前ですよ。もうすぐ開幕なんだから。ね、錠さん」

「ああ」

 錠は半ば投げやりに返した。

「錠、酒飲めるか」

「は?」

「トモ、ビール三つ頼め」

「え、僕はまだ未成年だし、クルマですよ」

「いいよ、運転は代行業者に頼んでやるから。俺のと一緒に」

「そんな、愛車を他人に任せられませんよ」

「つべこべ言うな。そんなこと言ってたら、こないだキャンプで酒飲んだことマスコミにばらすぞ」

「そんな、あれも先輩たちが無理やり――」

 二人のやり取りに、錠は思わず吹き出した。

 食事のあと、三人は他の店に移って本格的に飲んだ。

「しかし、あんたらプロがこの時期にこんなんでいいの」

「いいんだよ、たまにゃ」

「僕はもう結構ですよ、未成年なんですから」

「トモ、そんな大きい声で自分から罪を暴露してるとおまわり来るぞ」

「そうだ、未成年のくせに外車なんて乗りやがって。飲め」

「かんべんしてくださいよ、もう」

 成人二人は、カウンターの両サイドから友近を酒のさかなにして、おおいに盛り上がった。飲むにつれ、目つきはすわり、次第にろれつも回らなくなっていった。

「ところで、錠さんはどこか好きなクラブチームはあるんですか?」

「俺か、俺はボンバ」

 その言葉に、一文字のグラスを持つ手が止まった。

「こいつが裏切ったから今年も弱い」

 錠は赤ら顔で一文字を指差した。

「なんだと、てめえ」

「ほんとだろ、チームもサポーターも捨てた裏切り者め。自分だけいい目――」

 そこまで聞いて、一文字は友近を挟んで錠につかみかかった。

「このやろう」

「うわ、なんだよ」

「ちょっとやめてくださいよ」

 一文字は片手で錠の胸ぐらをつかんだ。

「世間知らずの学生めが何言ってやがる」

「な、なにをっ。そんなのっ、そんなの関係ないっつうの」

 力の差は歴然ながら、錠は一文字の腕を両手で握りしめ、悲壮感丸出しの顔で抵抗した。

 一文字は昨シーズン、ボンバ大船からシェフ市川に移籍をした。三十五歳のベテランはフル出場は難しく、全盛期ほどの活躍はできないが、いまだ代表に呼ばれる実力の持ち主だ。一文字獲得でシェフは攻撃に幅が広がり、逆にボンバは得点力不足に泣いた。錠にとっては当然面白いはずがない。

 その後、二人の小競りあいは友近が制止してなんとか収まった。彼らは元どおり席に着き、静かに飲み続けた。

「二人とも飲みすぎですよ」

「俺だってなあ、俺だって……」

 一文字は何かを言いかけてやめた。錠もつられてこぼす。

「ふん、俺だって……」

 一文字は錠のほうを見たあと、一気にグラスを空けた。

「帰るぞ」

 友近は自分で代行業者に電話をし、二台分の依頼をした。

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