桜の中にあるもの

黒本聖南

第1話

 それが罪になるであろうことは、ぼんやり、分かっていた。

 それでも男には、やらねばならぬ時がある。


一枝かずえちゃん、一枝ちゃん!」


 時間との勝負。

 誰かに見つかれば叫ばれる。

 その前に、彼女を外に引きずり出さなければ。


「開けてくれ、俺が悪かった! 俺が好きなのは君だけだよ!」


 恥も外聞もなく、窓を叩く。

 頼むから機嫌を直して早く出てきてくれ。

 ──そんな願いは、あっさり叶った。


「……サクさん」

「一枝ちゃん!」


 窓を開けてくれた寝間着姿の彼女は、乱れた髪はそのままに、とろんとした瞳を僅かに見開き俺を凝視している。


「何をしているの? ここ、なのに」

「玄関からだと君のご両親に止められるから、たまたま家にあった脚立を持ってきたんだ」

「……何で」

「君に会う為に」

「何で! ……そこまでするの?」


 問いながらも、聞きたくないとでも言いたげに、彼女の顔が歪んでいく。

 俺の言葉は、彼女にとって不快なものに成り果てたのか。

 それでも、伝えなければいけない。


「決まってる」


 何度でも言おう。


「君が」

「一番好きだから?」


 俺の言葉を遮り、続きを口にすると、その瞳から涙が一滴零れ落ちる。


「もう、何度も言われたわ。不安になるたび、何度も何度も、覚えるくらいに」


 彼女の涙は止まらない。

 幾度も流れていく涙を、見ていることしかできなかった。

 手を伸ばせば、拭える距離だというのに。


「だからもう、何の意味もない」

「なっ……!」


 気付いた時には、後ろへと引っ張られていた。

 違う、押されたんだ、彼女に。

 これが布団の上ならどんなに良かったか。けれど現実は空中で、落下地点は固い地面。

 役立たずのこの手は、彼女の涙にすら触れることなく、何も掴めないまま意味もなく伸ばし続ける。

 彼女は見ているばかり。

 その手を伸ばしてくれたら、きっと掴めるはずなのに。


「かず、え」

「だってサクさん、■■■■が■■■■でしょ?」


 そんな人の傍にいたくない。

 それが最後に聴こえた彼女の言葉。

 この数秒後、激痛と共に世界は暗転し──柔らかな温もりと白い世界で、俺は目覚めることになる。

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