第15話 魔窟 BARアイアンヘッド

-- 前回までの『スナッキーな夜にしてくれ』 --


 BARアイアンヘッドの扉前で正体不明の赤色灯のように赤く光る何かに気がついた常松は、これはもしや次元パトロールなのではないかと直感する。

 慌てた常松はアイアンヘッドへの入店を試みるが、こんな時に限ってあるんだよなーと言わんばかりに、店の扉は開かない。


 正体不明の赤く光る何かがヒシヒシと近づいてくる中、怯えまくる常松の股間はすっかり生まれた頃のように縮み上がるが、「元々、生まれた頃とその大きさは大して変わっていないんじゃあないのかい?」と誰かが脳裏に呼びかけてくるような錯覚さえ覚えてしまう。


 そんなことは大きなお世話なのだが、すっかり縮み上がった肝っ玉とその下の方の玉が象徴するかのように、焦燥感だけが高まっていた。


 切羽詰まった状況に、真夜中のドアをノックしまくる荒技に出るとそれが功を奏したのか、店内から男の甲高いシャウトが聞こえた。これは幸いとばかりに助けを懇願するが、店内からの返答はシャウトのような掛け声のような「エーーーオ♪」と聞こえる謎の叫び声だった。


 真夜中のドアだけに、世界中を席巻したシティポップアーティスト松●みきのような素敵な声を期待していた常松は残念に思う。

と同時に、謎のシャウトを聞いた常松の脳裏に浮かび上がったのは、伝説のLIVE AIDのステージ。ダンディな髭に白いタンクトップ姿でシャウトしていた伝説のスターの勇姿だった。


 この叫びこそが、伝説のスターのコールなのではないかと直感し、正解のレスポンスを決めた常松はついにアイアンヘッドの扉を開けることに成功する。


 扉が開いたまでは良かったのだが………果たして、この店は天国なのか、それとも魔窟なのか?

次元の旅人常松にどんな仕打ちが待っているのであろうか?


 そして、大晦日の紅白では、やっぱりアダムがシャウトしていた。


 ありがとう! クイーーーーーン!!




▽ ▼ ▽ ▼ ▽


 大技であるコ―ルアンドレスポンスを成功させ、開いた店の中へと滑り込んだ常松は一息ついた。


 店内は薄暗いが照度の低い照明がいくつかあり、その薄明かりのおかげで辛うじて店内全てを見渡すことが出来る。

向かって右前から奥に伸びるカウンターから、先ほど聞こえた声の主と思われる男が呼びかける。


「ウェルカーーーーム! 我が聖域へようこそ!」


店のマスターであろうか、よくよく見るとダンディズムを感じさせる立派な口髭を蓄えたオールバックの男である。


「あっ、お店、やってますよね?」

「当たり前じゃないのよ。あなたは私のコールに応えてくれたのでしょう。さあ、こちらへどうぞっ」


 そう言われて店のカウンターへ案内される。

やはり、この店にも客は一人もおらず、店のスタッフも口髭のマスターらしき男ひとりだけのようだ。


 常松はカウンターの一番隅の席に申し訳なさそうに座るが、口髭マスターがカウンター中央にドリンクコースターを置きながら手招きおいでをする。


「Hey! ガーーーイ!! そんな端っこなんかじゃなくて、こちらへどうぞ〜」


「えっ、いいん…ですか?」


「あたしが、“いいの“って言ってるんだから〜、当たり前でしょう! そんな日陰にいたら輝く光も闇に染まってしまうわよ〜」


 薄暗い店内のせいなのか、口髭から繰り出される妙なオネエ的な口調のせいなのかはわからないが、常松はなんとなく腰がひける思いで、否、完全に腰がひけている状態でカウンター中央へ移動した。


「さあ、何にするの? バーボン? モルト? まさかカクテルなんて言わないわよネ〜。それともぉ、あ・た・し・かしら〜」


(うわっ! キターーーーッ!! なんかくるだろうなあと思っていたけど、お約束の攻撃がきちゃったよ)


 思わず顔が引き攣りそうになるのを堪えて俯いてしまうが、この手の発言に動じていては足元を見られてしまう。スクっと顔を上げると精一杯の笑顔で返してみせる。


「あははは、お約束ってやつですよねえー。さーて何を飲もうかなー、せっかくだからラムでも飲んじゃおうかなー!」


「あら〜、渋いわねえ、ラムだったらバカルディかしら?」

「それも良いんですが、キャプテン・モルガンはありますかあ?」

「もちろん、あるわよ! で、飲み方は〜」

「やっぱり、ロックですよね!!」

「お兄さん、なかなかわかってるじゃないの〜、じゃあちょっと待っててねえ」


 口髭マスターがショットグラスを用意する間、常松は店内をゆっくりと見渡し観察する。


 常松の座るカウンターは入口から奥へ伸びていて詰めれば十人くらいは座れそうだ。

カウンター左奥には、エレキギターやベースギターなどが展示されているかのように規則正しく置かれている。

 入る時に気がついたのだが、常松が座る真後ろあたりに二人掛けの小さなハイテーブル、そしてジュークボックスが置かれていた。

 店内の至る所に、ハードロックのレコードジャケットや海外のロックバンドのポスター、ステッカーが貼られており、カウンター中央の壁にはユニオンジャック(英国旗)が掲げられている。

店名がそれっぽいと思っていたのだが、間違いなくロック系のBARだとわかる。


 店内に流れるBGMは、軽快なギターサウンドにハイトーンヴォーカルが利いたアップテンポなハードロック。


 一息ついた常松は、ハードロックのリズムに少しだけ身体を揺らしながら、主旋律に合わせて指でカウンターを軽く叩いてみる。

指でリズムをとりながらラム酒をロックグラスに注ぐ口髭マスターへ視線を戻すと、口髭マスターの真っ白いタンクトップが薄暗い店内に一際浮き出して見えた。


(しかし、何だか髭があれだなー、何やらハードなあっち系の薔薇的な感じだなー。やっぱり髭男爵とか、sabuとか、髭マスとか呼ばれてるのかなー?)


「お股〜〜、ア〜ンド、せ〜〜い」


 常松が得意とする妄想を掻き消すような声が降り注いだ。


 何がアンドなのかは理解不能だが、目の前にラム酒ロックが置かれる。


 常松はおもむろにグラスを口に運んだ。

一口入れると頭の中を支配していた髭が消え去り、店の外で見た赤色灯のような赤い光を思い出した。


(あれは一体何だったんだろうか? やっぱり例の次元パトロールなのかな?)


 常松が神妙な顔つきで考え込もうとするが、それを遮るように口髭マスターが声をかけてくる。


「申し遅れたわね。あたしはここのマスターをやっているマーキュリーと申しますう〜。仲間からはあだ名というか、略称で、GAGAガガって呼ばれてるのよ。だから、お兄さんも気軽にGAGAって呼び捨てにしてちょうだ〜い」


(――――――!! いやいや全く略してないしーー! 何故に“GAGA”なわけーー!?? もしかしてRADIOの方のガガなのかーーい? っていうか、マーキュリーと関連ねえしーー? )


 ツッコミどころが満載なのだが、気を悪くされるのは不味いと思い、極力平静を保って大人の対応で切り返す。


「やっぱりマスターでしたかー。そうだと思っていましたよ。でも、初めて会うのにあだ名で呼ぶのはちょっと気が引けますから、マスターって呼ばせてもらいますよ」



「あら、GAGAって呼んでくれないわけ〜。口髭とか、ヒゲとか呼ばれるよりはGAGAって呼んでもらった方が嬉しいのに〜。口髭マスターなんて呼ばれたら、あたし泣いちゃうしい〜」


(――――――!! 危なっ!! 良かったーー俺。口髭的なことを声に出さなくてホント良かったーー。あと、泣くのかよ!!)


「時々、酔っ払ったお客さんが「ゲーヒー」とか呼ぶのよね〜、あたし、ヒゲとか言われるのがマジむかつくのよー! 絞め殺そうかと思うくらいなのよ」


(危ねええーーーー! っつうか、やっぱり泣くんじゃあなくて、怒るんじゃないかよ!)



「それで、お兄さんのことはなんて呼んだらいいかしら」


「あっ、俺は、常松っていいます」

「ふ〜〜ん、常ちゃんね〜」


(間髪入れずに、“ちゃん付け”決定かよ! あと、なんかやたら俺のことジロジロ見てるけど……)


 口髭マスターGAGAはそう言って、常松を舐め回すように見るとタバコを取り出して口に咥える。

咥えたタバコに火をつける仕草が、どことなく行きつけのスナックのママに似ている。


「でぇ〜、常ちゃんはどこで飲んできたわけ〜」


 時間も時間なので、すでに何件か飲み歩いてきていると思われたのだろう。


「今日は飲み始めたのが遅かったんですが、隣にあるスナックで飲んできたんですよ」

「あ〜ら、お隣のユリコママのところで飲んできたのね。常ちゃんはよく行くのぉ、ユリコママのところに?」


「実はお恥ずかしい話で、いつもはこのビルの4階にある店で飲んでたりするんですが、降りるフロアを間違っちゃったみたいで、迷って入ったというか、偶然に見つけたというか、スナックで飲みたかったのもあって冒険のつもりで入ったというかあ、とにかく今日初めて飲ませてもらったんですよね……あははは」


 と、そこまで話して口髭マスターの顔を見ると、何やら表情が強張っているような気がした。

その表情に何か得体の知れない旋律を覚えた常松は笑って誤魔化す、と同時に不味いことを話していることに気づいた。


(しまったあーー! ここは裏世界だったよな。いつも飲んでいる4階のことを口にしたのはかなりヤバいんじゃあないのかあ? 大体、この世界に4階なんて存在するのかな?)


 笑って誤魔化すついでに、ラム酒ロックを再び口に運ぶと一気に飲み干す。


「マスター、同じやつ、もう一杯お願いします」 


「常ちゃんってば、お強いのねえ」

新しいロックグラスを用意する口髭マスターの表情は和らいでいるようだ。


(あれ? 強張っているように感じたのは気のせいかな?)


「あたし、ユリコママとはチョーゼツに仲が良いのよ〜。彼女って美人でしょーー。あたしのこの自慢の美しい口髭には負けると思うけどお〜、まあ負けず劣らずよね。だからお互い美しいもの同士、気が合うのよね」


(なんか、対比させる美しいものが違うんじゃあないのかあ?)


「だから、彼女の店のお客さんだったら大歓迎ってわけ〜! 常ちゃんも歓迎するわよ〜」


「そうなんですかーー。いや、そうなんですねー。俺みたいな奴を歓迎してくれるなんて、こちらも嬉しいですよ。この店に入れて良かったなあ」


「しかも、1stドリンクにラム酒ロックをチョイスするなんて、なかなかの玄人よねえ。っていうかあ、見かけによらないわね」


(俺って、どんな見られ方しているんだろうか…)


「いつもはバーボンとか、焼酎とか、お決まりのお酒ばかり飲んでいるので、たまにはっていうか、せっかくこんなに素敵な店なのですから違うものを飲んでみたいなー、なんて思っただけでしてえ……」


「あらあ〜、それにしてはイイ飲みっぷりね〜。しかも、あたしの自慢の店をさりげなく褒めてくれちゃって〜、嬉しいわ〜」


 口髭GAGAはそう言って、2杯目のラム酒ロックを差し出すと常松にウインクを飛ばす。


「――――――!」(なんだああー! そのウインクは何の合図なんだああ)


 常松は石化寸前のところで、どうにか持ち堪えると、差し出されたグラスを受け取る。しかし、その手は小刻みに震えていた。


 そんな常松の震えを見逃さない口髭GAGAのラッシュが冴える。


「あらあら〜、常ちゃんってば、ウ♡ブなのねえ」


(このペースはヤバいぞ! 完全に口髭のペースになってるじゃあないか。 “夜のファンタジスタ”と異名をとったこの俺様が、この程度で怯んでしまうとは……)


 全くそんな異名をとったことのない常松は焦りに焦り出す。あまりに焦ったせいか、掌から、そして額からも汗が

迸る。


「そんなウブな常ちゃんを見ているとね♡ 久しぶりに渇きに渇き切ったあたしに潤いを与えてくれるみたいな〜、そんな期待や妄想で〜いろんなところが膨らんじゃうのよ〜」


(こえええええーーー!! なんだ、この背中に悪寒が走るような感覚はーー!)


 このとき常松は思わず、肛門を力の限り締め上げる。それはもう、今までにこれほど骨盤底筋を締め上げたことはないというくらいの全気力を肛門に集中させている。


 常松の肛門が男の尊厳を保つかの如く、

 虎のように気高く、強く逞しい鉄壁のディフェンスを形造る。


 そう! これこそが世に聞こえた、否、聞こえていないのだが、


 常松の最大奥義 『前門の狼、肛門の虎』


なのだ。


 常松の最大奥義が、GAGAには全く知られることなく(見えないので)静かに炸裂した。


(このマスター、やはりただの口髭ではないぞ。否、只者ではないぞ! “炎の特攻野郎”と呼ばれたこの俺がこれほどまでに動揺してしまうとは……やはり、ここは...魔窟なのか……)


 どこから、そんなふうに呼ばれた記憶が飛び出してくるのかはわからないが、そんな常松の小さな肝っ玉の下の方にある“前門の狼”は生まれた頃のように縮み上がっていた。

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