第33話 ラベンダーのサシェ

「マリーさん、明日ご出発のお客様からラベンダーのサシェの大口注文です。30個ですが、お受けして良いですか?」


「わ!ありがとうございます!明日ですね、その分は在庫がありますから、大丈夫です!」



 オリバー支配人から大口注文の連絡だ。

 ラベンダーのサシェを宿のアメニティとし始めてから10日。

 サシェの評判はすこぶる良い。初日にお渡しした宿泊のお客様達からは翌朝の朝食時に、「あの匂い袋を土産で購入したい」と早速問い合わせが入った。その後も途切れることなく、購入が続いていて、時折数十個単位で購入されるお客様までいるほどである。



 宿泊するお客様は皆、「到着した時には疲れが見える人も、翌日には別人のように顔色が良くなっていて、肌ツヤも良くなっているようだ」とは、宿泊部門の見習いであるディックとキースの報告だ。


 もちろん、やどり木亭の従業員達にも全員にサシェを試供品として渡して試してもらっている。実際に使ってもらって、感想を聞くためだ。

 宿泊部門のオリバー支配人以下全員がサシェをベッドのそばに置いたり枕元に置いたりしているようで、使い出してすぐに今までよりも、体が軽く感じられたり、疲れが取れたり、疲れを感じにくくなったり、と体調の変化を実感しているということだった。


 肝心のマリーはというと全く変化を感じることがなく、一人だけ「あれ?」と不思議に思っているのだが…まあ仕方ないだろう。無自覚とはいえ、マリーの身体は聖女の力で満たされているのだ。しかも最近では、一部開放された聖なる力をじわじわ溢れさせているくらいである。もともと、いつでも快調なのだ。



 そういうわけで、購入希望のお客様用にはフロントに販売用のサシェを並べてあるのだが、時折、数十個単位で購入を希望される方もいて、すでに今日を入れて20件近くの大口注文が入っているのである。



 一方で、食堂の給仕チーム&内職チームもすごかった。



「皆さん、これはラベンダーという薬草を乾燥させたものを匂い袋“サシェ”にしたものです。この薬草は、心と体をリラックスさせてくれたり、心を落ち着かせてくれるそうなんですよ!ぜひ使ってみて感想を教えてください。皆さんの反応次第で、今後客室に置く備品にするかどうか決めたいと思っていますので!」


「へえ!いい香りね!マリーちゃんが考えたの?」


「はい!えへへ、どうですか?」


「ええ、とってもいい香りよ!癒される気がするわ!」


「ほんとね。袋の中に乾燥した薬草が入っているのね?なんだかちょっと贅沢な気がするわね!」


「うん、いいと思うわ!すでに、体の疲れが取れていくような気がする…」


「ルイーザさん、それはさすがに…まだ早い気がします…。でも、ぜひお部屋に置いたり、ベッドのそばに置いたり、枕元に置いたりしてみてください。香りが強くて苦手なら、玄関や広めのお部屋に置いておけばお部屋の香りが良くなりますし、衣装箱に入れておけば、お洋服に良い香りがついたりして良いと思います!」


 食堂の給仕メンバーである、ジェニー、エマ、クレア、ルイーザ、内職チームの皆さんにマリアンヌと作ったサシェを試供品として渡す。感想を聞かせてもらうためだ。



 そして翌日ー


「やどり木亭で働き始めてからも体調は悪くなかったんだけど、昨日はいつもよりぐっすり休めたからかしら、ものすごく体が軽くて調子がいいのよね。だから持ち歩こうと思って、ポケットに入れてきちゃったわ!」


「「「私もよ!」」」


「マリーちゃん!あのサシェは一体なあに?以前よりはマシになっていたけど、ちょっと疲れもたまっててクマもできていたのに、今朝鏡を見たらクマがなくなっていたのよ?」


「「私もよ!!」」


「マリーちゃん、何だかお肌の調子がいいような気がするの!あの薬草には、何か秘密があるんでしょう?」


「「「「「「「知りたいわ!!」」」」」」」


「皆さん、感想をありがとうございます!体の変化を感じられたようで嬉しいです!ジェニーさんはどうでしたか」


 一人だけ、真剣な表情で黙っているジェニーはどうだったのだろう。何も変化を感じなかったのかもしれないと心配になって尋ねてみる。


「マリーちゃん、あのサシェ、買うわ」


「え?」


「あのサシェを売って欲しいのよ!ここで働きだしてから体調は良かったけれど、今日はいつになく調子がいいわ!よく眠れたし、クマも消えたし、お肌の調子もとてもいいの。私、最近気になっていたくすみも取れたような気がするの。だからお願い。私に売って!」


「「「「「「くすみが、ですって?!」」」」」」


 ジェニーの言葉に、3人と内職チームも色めき立つ。そして、全員が事務室に置いてある姿見の前に駆け寄った。


「確かに私も肌の調子がいいと思ったけれど、そういえば、顔色もいいと思ったけれど、くすみがなくなったのかしら」

「私も、今日はいつもよりメイクのノリがいいと思ったのよ!」

「確かに、何だかいつもよりツヤがあるような、ハリがあるような気がするわね」


 そして、くるり!とマリーの方を振り返る。


「「「「「「マリーちゃん、売って!!」」」」」」


「わああ…!皆さん、それぞれ細かな感想をありがとうございます!そういえば、ラベンダーって美容にも良かったんだっけ。そういえば、皆さんはお肌のお手入れってどうされてるんですか?化粧水とか美容液とか使ってるんですか?」


「「「「「「マリーちゃん、詳しく!!!!」」」」」」


「えーと、はっきり覚えてないんですけど、消毒薬として使えたり、肌の傷や“ただれ”とか“できもの”とかに塗っても早く治るとか、傷跡が残りにくいとかだったかな?それから…殺菌効果とかシミが改善したり、お肌のトラブルを改善したりとかもあったような気がします。んー、確か、ラベンダーから蒸留水を作ったり、精油を作ったりしても良いはず…」


 そこから、お姉さま方に囲まれたマリーは根掘り葉掘り聞き出され、仕事開始の直前まで離してもらえなかったのである。


 結局、マリーとジェニーを筆頭に、ラベンダーを使った蒸留水や精油、化粧水、美容液を作ることになったのである。

 マリーは、まあ宿の娘であることもあり、この計画の責任者という立場であって、研究の主幹となるのはジェニーだ。

 こんな小さな宿で、しかも設備も何も無いところで…と思ったマリーだったが、なんとジェニーが大学の元研究員だったことがわかったのである。

 ジェニーがローベに戻ってくる前に王都で働いていたのは、王国で唯一の大学で、そこで教授の第一助手として流行病の研究をしていたらしい。

そこで多くの結果を出して来たジェニーは、何度も教授に手柄を横取りされたり、女性だからと結果を出せば出すほど同僚たちからの妬みや嫉妬が酷くなり、おまけにセクハラまがいのことまでされるようになったため『辞めてやったのよ!』ということだった。


 マリーは前世ではアロマなどにあまり興味はなかったので、なんとなくうろ覚え程度だったが、マリーから話を聞き出したジェニーは何度も大きくうなずきながら言った。


「蒸留水や精油の作り方ならわかるわ。それに、そういう仕事は私の得意分野よ。さらに研究が必要であれば、研究に使えるような機材だって一通り揃っているし、喜んでやるわよ!いざとなれば、自分で薬草を探しにだって行くし、マリーちゃんから言い値で買って自分で研究するわ!!だって、私の心に生まれたこの情熱の炎が、私にこの薬草で美容のための研究をしろと言っているのよ!!!」


 と、いうわけで、お姉様方全員からの拍手喝采の中、食堂の人員を補充でき次第、ジェニーはラベンダーを使ったコスメ開発を始めることになったのだった。

 ちょうど、マリーの家のアパルトマンの2階に空き部屋があるので、そこを研究に使ってもらうことにした。今回はセルジュとマリアンヌにも話を通すことを忘れないマリーである。


 まさかジェニーが研究員という経歴を持っていたことにも驚きだったが、ジェニーとお姉様方のあの情熱と迫力に大変驚いた。マリーに前世の大人の記憶がなければ、泣いていたかもしれないくらいには圧が強かったのである。

美容にかける女性の情熱は世界をまたいでも変わらないことを実感したマリーだった。




 話は戻り、ラベンダーのサシェである。

 こちらは両親にも従業員のみんなにも大変好評だったので、早速、やどり木亭のアメニティとすることになった。でも、作るのは内職チームの皆さんではなく、ローベの孤児院の子供達だ。

 宿泊部門に見習いとして入ったディックとキースに孤児院の話を聞いて以来、何かできることがないか考えていたマリーは、実際に孤児院を訪ねてみた。子供達は将来のため、基本的な読み書き以外に、自分たちのことをできるだけ自分たちでやるために料理や針仕事などを覚えるらしい。孤児院の大人たちだけでは手が回らないというのも理由の一つだが、できることを増やすことで、将来の就職に役立てられるようにしているのだという。

 そこで、マリーはセルジュとマリアンヌとオリバー支配人に相談し、孤児院の子供達にお仕事としてサシェ作りを依頼することにしたのである。


 作業場はマリーの家のアパルトマンの1階、使われていない店舗部分だ。幸い、作業台にちょうど良い大きなテーブルや椅子もある。

 日中、まだ外出できない赤ん坊や幼児を除いて、針仕事ができる子供や将来針仕事を仕事にしたいという子供達7〜8人ほどが、孤児院で担当する日替わり当番以外の日に交代で作業場に来ることになった。

 子供達だけでは危ないからとマリアンヌと内職チームもこの作業場で仕事をすることになり、最初のうちはサシェ作りも一緒にやってもらうことになったのだ。

 作業場ではお昼ご飯とおやつも出るので、子供達にも内職チームにも大人気である。


 サシェはいろんな色の端切れを使って作る。長方形の袋を作って、中に薄い紙に包んだラベンダーのポプリを入れて、口の上の方をリボンでぎゅっと結ぶだけである。大きさも、口の部分まで入れても6センチ程度なので、作る時間もそれほどかからない。

 初めの頃はマリアンヌが子供達に細かな部分を教えながら作ったり、縫い目が粗すぎるものはほどいて縫い直したりすることもあったけれど、子供達はすぐに慣れて日に日に上達し、縫い上げるスピードも早くなった。

 たくさんの注文が入るためマリーも作業を手伝っていたものの、何度縫っても、縫い目が不揃いだったり大きすぎたりと、今ではすっかり落ちこぼれである。



「マリー、大丈夫?わからないことがあればママに、…そのあたりの縫い目は少し大きすぎるかもしれないわね。ああっ、指を刺すわ!ああ大変!血が出てきたわ!!」


「マリーおねえちゃん、お手て大丈夫?ルーが手当てしてあげるよ!」


「マリーちゃん、他の仕事もいろいろあるんだろう?無理しなくてもいいんだよ?おばちゃんたちもしっかり手伝うからね!」


「マリーおねえちゃん、大丈夫?あとはわたしがやってあげるからね!」


「マリーちゃん、忙しいのに手伝ってくれてありがとう!袋は私たちが縫うから大丈夫だよ。マリーちゃんはリボン結びが上手だから、口を閉じるリボンを結んでもらってもいいかな?」



 マリアンヌと内職チームのお姉様方だけでなく、まだ幼い少女に針を刺した指の手当てをしてもらい、労られ、子供達を取りまとめるリーダーの少女アリーからも優しくそう言われて、マリーは素直に、あとは口を結ぶだけのサシェが入れられた作業箱の前に移動した。


(そういえば、前世でもお裁縫は苦手だったっけ…)


 針で刺しただけの小さな傷なのに、傷の大きさに反比例してとても痛い気がする。みんなに気遣われ、自分より裁縫が上手な幼い子供達や2つ年下のしっかり者の少女に優しく気遣われ、自分の出来なさ加減にマリーはちょっぴり落ち込んだ。

 しかし、マリーだ。そんなことくらいではへこたれないのである。


「なんでも、“適材適所”って言うしね!」


 前世では様々な場面で様々な意味合いで使われていた非常に便利なこの言葉を、今こそ自分が使うべきだろう、とマリーは大きく頷き、鼻歌を歌いながらリボンを結び始めた。

 そう、マリーは切り替えの早さに加えて、立ち直りの早さも一流なのだった。

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