第39話 〈side:勇者〉聖女、蠢く


 ――わたくしの名はエリス・ティタース。

 稀代きたいの治癒術士であり、ルマトゥーラ王国から正式に『聖女』の二つ名を賜った才媛。

 それがわたくし。


「――よし」


 朝。

 わたくしは日課として、部屋を出る前に肖像画の前へ立つ。

 王国随一と名高い画家が、、わたくしの姿絵だ。

 何度見ても素晴らしい。


 優しげな微笑み、艶やかな髪、美しい肌、小さな顔、清楚清廉を体現した純白のシスター衣装。

 ああ、


 一日の始まりにこの肖像画を見つめて、気持ちを高めるのがわたくしの日課だ。

 最近は特に気合いを入れて日々を過ごすようにしているから、この時間は重要だ。


 ――数日前、アリア・アートが王都から姿を消した。

 それも、すべての地位を陛下に返上した上で、だ。

 わたくしにとっては、ここ数年で一番吃驚きっきょうした出来事である。


 勇者と共に巨悪と戦った同胞として、彼女のことはよく知っているつもりだった。アリアは傲慢で、他人との協調性を欠き、子どもで、魔法のこととなると他のすべてが目に入らなくなるような変人と言えた。

 おそらく、十人に聞いたら十人から同じ返答があるだろう。


 けれど、アリアにはその欠点を補って余りあるほどの魔法適性があった。

 こと魔法となると、わたくしでも太刀打ちできる気がしない。

 アリアが人を小馬鹿にするのは、それが許されるだけの力があったからだ。そのことは、彼女自身もわかっていたはずだ。


 しかし、王都を出ると申し出たときのアリアは、まるで人が変わっていた。

 力に裏付けられた覇気が消し飛んでいたのだ。物腰も、以前のような子どもっぽさ、けんか腰は消え、どこか達観したような雰囲気が漂っていた。


 わたくしが一番信じられなかったのは、アリアを蝕む黒い染み。

 あんな醜い姿をさらして、よく平気でいられるものだと思ったのを覚えている。

 黒い染みについて――実のところ、心当たりはある。だがアリアのことだから、人前では魔法でも何でも手を使って、誤魔化すと考えていた。

 でも彼女はそうしなかった。


 なにが、アリア・アートを変えたのか。


「……やめましょう。こんな詮無いことは」


 わたくしは、アリアの姿を頭から締め出す。

 ちょうどいいではないか。あの子のことは、そろそろ鬱陶しくなってきたところだ。忘れるにはよい機会だ。

 それより、今はわたくし自身の懸案を解決しなければ。


 陛下から賜った館を出る。

 王都の一等地を再開発して建てられた館も、わたくしのお気に入りだ。住まわせている使用人たちも、皆、聖女に相応しい気品と所作を身につけた逸材ばかりだ。

 彼らを引き連れ、わたくしは王城へと向かう。


 ――目下、わたくしが最も心を砕く問題が王城にはある。

 イリス・シス・ルマトゥーラ姫。

 王城内で、急速に人臣の敬愛を集めつつある女。


 わたくしが勇者一行として初めて王城を訪れたときは、取るに足らない地味な少女に過ぎなかった。見目と出自が良いのは認めるが、まったくそれを生かそうともしない。ただ背景その他に埋もれる宿命の、永遠の脇役。

 当初は、だった。イリス姫と相対するとき、その感情を表に出さないようにするのが大変だったくらいだ。


 けれど、今は――。


「失礼いたします」


 わたくしは従者と共に、豪奢な扉をくぐる。


「ようこそいらっしゃいました。聖女エリス・ティタース。どうぞ、そちらにおかけください」


 そう言って対面のソファーを勧めてくるのは、他でもないイリス・シス・ルマトゥーラ。

 だが、以前のような脇役臭はない。

 わたくしを見る目に、圧がある。

 背筋を伸ばし佇む姿には、確かに気品めいた空気を感じた。


 わたくしはイリスの視線を真正面から受けて立ちながら、ソファーに腰掛ける。

 わずかに眉をひそめた。

 従者たちの反応が一瞬、遅れていた。

 ……まさかあなたたち、この女に見蕩みとれていたのではないでしょうね。


 イリスと相対する。ピリッとした空気。

 気に入らない。この子は、張り詰めた空気になると真っ先に白旗を揚げて逃げる臆病者ではなかったのか。気に入らない。初めて会ったときの直感は間違っていなかった。


 なぜ、わたくしの視線を受けて表情を変えない。

 前のように、許しを請うような情けない顔を、なぜ、しない。


「先日のアリア・アートの一件。あなたがた勇者一行にとっても、大きな衝撃であったでしょう。その後、お変わりはありませんか」

「お心遣い、感謝いたしますわ」


 白々しい。

 わたくし以上に喜んでいるのではないのか。この子。

 アリアにきつく当たられていたことを、わたくしが知らないとでも思っているのだろうか。

 そんな内心を隠し、わたくしはイリスの世間話に付き合った。


 ――どうやら驚くことに、わたくしを呼びつけた理由は他ならぬアリアのことについて、らしい。

 さらに信じられないことに……アリアに起こった変化を心配しているようなのだ。わたくしに心当たりがないかと、わたくしの力でアリアの黒い染みを和らげられないかと、そんな意味のことを尋ねてきた。


 まさか、探りを入れている?

 わたくしがアリアになにかした、と?

 それでわたくしを追及しようと?

 瞬間、頭に血が上る。


「さすが姫様。すでに舞台から降りた方にまで心を砕かれるとは。そのお優しさ、あなたこそ聖女の名が相応しいのでは?」


 激怒しながら、わたくしは笑顔でそう言った。

 するとイリスは小さく首を振った。


「私に聖女の肩書きは似合いません。その力もありません」


 そのとき見せたイリスの表情に、わたくしは少し気持ちを持ち直した。自信なさげな瞳。そう、あなたにはそんな顔が似つかわしい――。


「ですが」


 イリスの表情に、力が戻る。


「立ち直ろうとしている者、前へ進もうとしている者を見捨てる真似は、したくありません。あなたは、どうなのですか。聖女エリス・ティタース」


 なに。

 なんなのか、その顔は。

 わたくしに、一片でも非があると言うつもりなのか。


「わたくしは聖女としての務めを果たすのみですわ。これまでも、これからも。……それでは姫様、わたくしはここで失礼いたしますね。ご高説、素晴らしかったですわ」


 席を立つ。

 部屋を出る。

 声が聞こえない、周囲の目がないことを十分に確認してから、わたくしは従者に言った。


「調査を進めなさい。あの女の化けの皮を剥がす。なんとしてでも」


 そうだ。

 この世に清廉潔白な姫など居ようはずもない。

 必ず弱みを見つけてやる。

 そして、わからせてやろう。身の程というものを。


 神から与えられた呪詛の力は、このためにある――!



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