第36話 光の雪


 ――意識を失った大賢者を、俺は見下ろしていた。


『ラクター様』


 女神アルマディアが静かに進言する。俺が大賢者アリア相手になにをしてきたかを、すべて見届けた上での言葉だった。


『アリアの魔力が著しく減衰しています。体表面に黒色反応。おそらく何者かの呪いに冒されています。このままでは命に関わるでしょう』

「……」


 俺がなおもアリアを見つめ続けていると、今度はリーニャが袖を引っ張った。


「主様。リーニャ我慢した。だからもうこいつ、食い散らかしていい?」

「……リーニャは、この魔法使いが許せないか?」

「にゃ。主様を馬鹿にした。下に見た。命令しようとした。


 だから魂すら喰う――とリーニャは続ける。びっくりするほど、凜とした表情だった。そうすることが『当たり前』だと心から信じているのが伝わる。

 俺は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「ルウ。頼みがある。この人間を癒やしてくれ。お前ならできるだろ」

「はい~」


 疑いもなく、二つ返事で引き受ける大精霊。

 彼女にしてみれば、自らが守護する森を荒らした張本人がアリアである。それをためらいもなく癒やすのは、ルウという大精霊が怒りや恨みとは無縁の存在であることの証だと俺は思う。


 アルマディアが言った。


『意識を失う前、わずかに聞こえましたね』

「ああ。ごめんなさい、ってな」


 俺は肩をすくめながら、踵を返す。


 ――アリアのやらかしたこと、これからやろうとしていたことは、謝って済む問題ではない。

 最悪、王都に大量の死傷者を出すこともいとわない暴挙だ。

 イリス姫にこのことを伝え、アリアを突き出せば……極刑すら下される可能性がある。勇者もただでは済まないだろう。


 だが。


「アリアにとって、『ごめんなさい』の一言は重くて苦しいもんなんだろうよ。きっと。意識を失う前のあいつ、マジで死にそうな顔をしていた。あいつにとって最後の最後に出てきた言葉が、『ごめんなさい』だったのなら……」


 頭をかく。


「まあ、耳を傾けなきゃならんだろ。こいつの話が本当なら、どうやらアリアも勇者スカルによって追放されたクチみたいだしな」

『厳しいですね』

「そうか? てっきり『甘い』と叱られるもんだと思ってたよ」

『私は楽園を創る女神です。人にとって、生き物にとって、『生き続けること』がなにより苦難の道であることを、私は知っています』


 なるほど、と俺は思った。


【楽園創造者】――自分の自由に楽園を創る者。それは裏を返せば、この世は楽園とはほど遠いということだ。

 自分の人生が楽園なら、そもそも新しく楽園を創る必要などない。

 楽園を司る女神だからこそ、そうでない現状を見続けてきたのだろう。

 ま、苦難の道を歩むかどうかはアリアが目覚めてからあいつ自身で決めることだ。


「今は……こっちの方が問題だよな」


 つぶやく。


 目の前に、すり鉢状の窪地ができていた。アリアとの魔法合戦で、地面がえぐり取られたのだ。

 その中心、直径二メートルほどの藍色の球体が埋まっている。

 周りの地面には、最近掘り返されたような痕跡がある。

 これは俺の推測だが、アリアの奴が自分で埋めたんじゃないか。おそらく、あの魔法はなにか欠陥があって、そのミスを隠すために雑にここへ放り込んだ、と。

 隠してなかったことにするなんて……子どもか。


『ラクター様。やはりこの球体が聖森林の異常の原因と思われます。広範囲の生命力を徐々に吸収しているのが感じられます』

「だろうな。この辺りにやたらと枯れ木があったり地面が荒れてたりしたのは、こいつのせいだろう」


 大賢者の大魔法が、聞いて呆れる。

 どうしますかとアルマディアがたずねてくる。俺はGPメーターを表示し、まだじゅうぶんに余裕があることを確認した。同時に、でアリアに完勝できたことにむなしさすら覚えた。


を試す。アルマディア、イメージ構築を手伝ってくれ」

『あなた様の望むままに』


 俺は窪地の底に降り立った。藍色の魔法球体の前に立つ。

 近くまで来ると、より強く生命力の流れを感じた。俺は女神を宿しているから平気なのかもしれないが、一般人が近づけばタダでは済まないかもしれない。


 ……よく見れば、魔法球体はほんの少しずつだが膨らんでいる。となると、元はもっと小さな球体だったのかもしれない。

 あまり猶予はなさそうだ。


 俺は両手を掲げ、シード系魔法を発動する。空中にこぶし大ほどの種を生み出した。



 ――『楽園創造』。



 ちょうどルウの核代わりとなる種を創りだしたのと同じ要領で、種を神力で包む。

 アルマディアとイメージを共有する。

 静かに俺は魔法名をつぶやいた。


「シード・カウンターフォース」


 輝きの種が、魔法球体の中へ沈み込む。

 数秒の無変化。静けさ。


 にわかに、魔法球体が収縮し始めた。まるで水を満たした洗面台から栓を引っこ抜いたように、一点に向かって小さくなっていく。

 二メートルほどあった球体は、あっという間に消え去った。残ったのは、中心に浮かぶこぶし大の種のみ。


『いきます』

「ああ」


 俺はアルマディアと息を合わせながら、種に神力を送る。呼吸を整え、前にかざした右手をぎゅっと握りしめた。


 直後。

 魔法球体を飲み込んだ種は、まばゆい光を放って爆散した。

 思ったほど衝撃はない。温かい風が勢いよく吹き上がっていくのを感じる。


「わあ」


 いつの間にか隣に来ていたリーニャが、空を見上げながら声を上げた。


 ――光の雪が降っていた。


 雲一つない晴天の中に、白く輝く小さな光が、たくさん舞っている。

 光が周囲の木々や草花や大地に触れると、瞬く間に活力が蘇った。荒れ地だった周辺はあっという間に緑あふれる土地へと姿を変える。

 それだけじゃない。まるで自然の要塞のように、植物は雄々しく巨大になっていく。


 シード・レインウインドも同じような効果はあったが、あれはあくまで『元に戻す』ものだった。だが、こっちの光の雪は、元に戻すだけでなくさらに発展させている。


「うまくいったようだな」

『肯定です。シード・カウンターフォースの魔法。アリアの魔法球体を取り込み、上で広範囲に解放する。ラクター様にしかできないことです』

「アルマディアがうまく魔法の効果を誘導してくれたおかげだ。ぶっつけ本番で、これだけ強力な魔法を反転させるなんて、俺ひとりじゃ難しかったろう」


 俺はその場に腰掛けた。まるで『楽園創造』を使ったときのように、どこからか生えてきたたくましい根が椅子代わりになってくれる。

 リーニャが目を輝かせながら、巨大化した木々の間を飛び跳ねる。その様子を目を細めながら見守っていた俺のところへ、ルウがやってきた。

 彼女はいつもの朗らかな笑みを浮かべたまま、報告した。


「大賢者の回復が終わりました~。命の心配は、もうありません~。ただ、黒く変色した身体はこれからも残り続けるでしょう~」

 



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