第3話
私と浜尾さんは、仕事が休みの日にショッピングモールに出かけることにした。大きな本屋があるし、それっぽいことができるだろうかと思ったからだ。
そうは言っても。
私は服を選びながら、かなり悩んでいた。
人間嫌いがひど過ぎて、デートどころか同性の友達とすらまともに遊んだことのない私は、どんな格好をすればいいのかすらわからなかった。女性誌は読んでいると疲れるのであまり読んでないし、ネットのファッション特集もあまりにもピンからキリまででどれを参考にすればいいのかわからない。
仕事用の服はマネキンひとつを上から下まで全部買っているから、あまりにも他の用事に着て行く服の参考にならない。
正直浜尾さんと一緒にいるのは楽なのだ。そんな楽な相手に職場の飲み会で着るような、ビジネスライクな服を着るのは気が引けるし、でも部屋着でショッピングモールに行って知り合いになんて会いたくない。
結局は新しく卸したカットソーにデニムと、普段着にしては真新しい分だけ綺麗な服で落ち着いた。どうせ本をたくさん買うのだから、大きな鞄を持って行くし、ヒールの高い靴を履いてわざわざ足元ぐらつかせることもないからいいや。
そう思って着替えたところで、既に浜尾さんも服に着替えていた。形の綺麗なポロシャツにパンツと、比較的型崩れしてない服だなと思って眺めていて気が付いた。
「おはようございます、浜尾さん」
「ああ、おはようございます。かしこ先生。それじゃあいつから出ましょうか」
「その前にですね。ええっと、値段。値段ついてます」
私は首元をとんとんと叩いて訴えたら、浜尾さんは「はっ!?」と声を上げて、そのままドタドタと洗面所へと走っていった。
浜尾さんも困り果てた末に、新しい服を用意してくれたんだろうか。だとしたら申し訳ないなと思う。
人間嫌いの私に、女性恐怖症の浜尾さんで、連れだって出かける。シュール過ぎる光景だ。他人事だとそう思うのに、当事者はそれでもかなり楽に思えるのはなんでだろう。
職場の飲み会は行くのが鬱陶しくてしょうがないのに、浜尾さんと出かけるのはなんとなく楽しいと浮足立つ。変なの。
****
私と浜尾さんが着いたショッピングモールの本屋は、今日はなんかの本の発売日なんだろうか。レジに向かって長い長い会計の長蛇の列を見てたじろぐけれど、とりあえず欲しい本を探さないと。
「浜尾さん、欲しい本とかありますか?」
「ええっと……買ってるレーベルの新刊がありまして……」
「それ、私の同業者の?」
「すみません」
謝られてしまった。別に腐男子で欲しい本があるのかと思ったから聞いただけなんだけれど。
私が打診を受けたキャラクター文芸の本棚は、本屋によって棚が違うから確認したかっただけなんだけどな。
ちなみにBL小説は基本的にライトノベル。マンガと一緒に売られるケースが多く、ビルまるまる一棟同じ本屋だと同じ階に売られていることが多い。
だけれどキャラクター文芸の場合は、本屋によって「ライトノベルの同種」と扱われてマンガやライトノベルと一緒に売られる本屋もあれば、「一般文芸の亜種」と扱われて一般文芸と一緒に売られる本屋もある。
正直私も打診を受けるまでは、好きな作家さんの本を手に取るくらいだったから、ここの本屋だと扱いはどうなっているのか知らないんだ。
「とりあえず、なにかあったらレジ近くに落ち合いましょう」
「えっと……はい」
浜尾さんはコクンと頷いて、慣れた足取りでBL小説の棚へと歩いて行った。本当に好きなんだなあと感心しながら、私はキャラクター文芸の本棚を探しに行った。
本屋に遊びに行って困るのは、欲しい本が近いジャンルじゃなかったら、平気で行方不明になるってところだ。あと時間を忘れる。本屋も壁の端っこには時計がかかっているんだけれど、スマホなしで本棚ばかり眺めていたら、本当に時間を忘れて一時間くらい本屋にいることだってざらにある。
私はそんなことを思いながら、棚を探して、適当に何冊か手に取って、パラパラ捲ってから、買う用に持って行く。
もらったレーベルの本だけだったら、なにを書いたらいいのかわからない。丁寧な暮らしのブロマンスってなにと、それらしい本を数冊買い、ついでに観光ガイドの棚に行って地元のレストランや観光名所の本を手に取る。どうも観光ガイドみたいな内容にしたら、丁寧な暮らしを書けないと迷うこともないらしい。
私は本をおいしょと持ってレジに並んでいると。真後ろに人がいることに気が付いた。
まあこの人も並んでいるんだろうな。そう思ったものの。距離が異様に近い。前方を見てもこんな髪の毛がくっつくほど近くになんて誰も並んでいないし、後ろの人……。
私は思わず振り返ると、その人はなにも持っていなかった。
……もしかしたら図書カードを買いに来たのかもしれないし、予約した本を取りに来ただけかもしれない。そう思いたかったけれど、いくら混雑したレジ前でも、そこまで近くに並ばなくてもいいでしょ。
この前の歯医者で知り合いの歯垢を取ったことを思い出し、肌にポツポツと鳥肌が立ちはじめた。
……わからないから本屋に行こうなんて、しなきゃよかった。最初から通販に頼っていたら、こんなことには。
大好きな本屋だというのに、だんだん吐き気が込み上げてきたところで。
「あの、すみません」
私と真後ろの人の間に割り込んできた気配があった。浜尾さんだった。
「なんだ、あんた」
「すみません。前方の方と一緒の会計ですから。あの、お待たせしました」
そう言っていつものおたおたした口調で笑いかける浜尾さんに、私は心底ほっとした。
さっきまでの吐き気が治まり、帰りたくなっていた泣きたさも消え失せていた。
「……ありがとうございます」
「ええ? 自分は先生と会計したかっただけですから」
浜尾さんは心底とぼけ切っていたら、真後ろの人は「チッ」とわかりやすいくらいに不機嫌に舌打ちをしてから、そのまま混雑した会計の列から抜け出してしまった。その人を眺めながら、浜尾さんがボソリと呟く。
「これは会計のときに伝えたほうがいいですね。混雑していますけど」
「で、でも……もういないですし」
「他の人が先生みたいに近くにくっつかれるかもしれないじゃないですか。触られなくっても、普通に怖いじゃないですか」
私は少しばかり驚いて浜尾さんを見た。
本当に、私は触られてもいないけれど、近くにいただけで怖くて声が出せなくなっていた。ほとんどの人は、「自意識過剰」「触れれてもないのに」とか揶揄するのに、この人はきっちりと「怖いものは怖い」と言ってくれた。
この人だって、女性恐怖症が原因でたつきを本当に怖がっていたのに、私の近くに来て助けてくれた。
「……ありがとうございます」
もう一度お礼を伝えたものの、やはり浜尾さんは困った顔をして笑うばかりで、それ以上の返答はなかった。
レジについたとき、私たちはレシートを分けてもらって会計を済ませ、先程の不審者のことを伝えたら、店員さんは「申し訳ございません!」と謝って、慌てて上の人に伝えてくれた。
店員の見回りが増えれば、もう少しだけここの店も安全になると思う。
私は自分の鞄の中に本を詰める浜尾さんをちらりと見た。
「それで、今回はどんな本を買ったんですか?」
「かしこ先生の本じゃなくってもいいですか?」
「私も……他の人のどんな本が好きなのか興味ありますし、普通に読みますから」
「あー。石油王の話ですよ。石油会社の社員と石油王のラブロマンスです」
「定番なネタなのに、意外とリーマンものは出てこないですよね。石油王ネタって。本にカバーもされてますし、よかったらどこか喫茶店で読みませんか? 私も資料買ったんで、ちょっと読んでみたくて」
「なに買われたんですか?」
「私も丁寧な暮らし系の話はちょっと書けないんで、ご当地ものだったらなんとかならないかと思って観光ガイドを」
「でもご当地ものでブロマンスも割と難しくないですか?」
「それでちょっと悩んでますねえ」
ふたりでそう言い合いながら、ショッピングモールの地図を見に行き、喫茶店の場所を確認してから歩いていく。
私は人にすら触られなかったら比較的大丈夫だけれど、浜尾さんはどうなんだろう。横を歩く浜尾さんをちらりと見る。他のショッピングモールはよく知らないけれど、ここは比較的女性向けの雑貨や服屋が多くて、休みの日になるとどっと女性客が増える。前方も後方も女性客だらけな中で、まばらにカップルや親子連れが歩いている具合だ。
その中で浜尾さんはゆったりと歩いている。私よりも歩幅が大きいものの、ついていけないこともないから、そのままついていく。
やがて喫茶店に辿り着いた。
地元メーカーのコーヒーのおいしい喫茶店であり、メーカーのプリンやアイスクリームもおいしい。私は読書に糖分が必要だからと、プリンとコーヒーを頼もうかなと辺りを付けていたら、浜尾さんはメニューを持ってうずうずしていた。
「浜尾さんはどうされますか? ここの店はコーヒーが定番ですけど、比較的紅茶もおいしいですし、ジュースもありますけど。さすがに昼からアルコールは抵抗ありますけど、欲しかったらありますよ」
「い、いえ……ここのパフェって、どれくらいの大きさですかね?」
「はい?」
たしかにここはメーカーのプリンを使ったパフェも出しているけれど、私は食べたことがない。
どこかの席で出てないかなときょろきょろしていたら、パフェグラスをウキウキ鳴らしながら食べているのが見つかった。
「あれくらいの量みたいですけど……どうしますか?」
「食べます!」
「わかりました」
店員さんに注文すると、浜尾さんはにこにこと笑った。
「ありがとうございます。こういうところ、行きたくってもなかなか行けなくって」
「ひとりでパフェって苦手ですか?」
「というより、今日はすぐ入れたからよかったですけど、女性と一緒に並んでいるのが怖かったんで。今日は、かしこ先生が一緒ですから大丈夫でしたけど、ひとりでは怖くて並べませんでした」
「ああ、そっちですか」
最近は男性も甘いものを抵抗なく食べるとは聞くけれど、あんまりそういう光景を見たことがない。もしかしたら甘党の店には女性客が多過ぎて、甘いものは好きだけれど女性が苦手な人は入れなかったのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます