第3話

 いきなり家無き子になりそうな危機に、当然ながら不動産会社に相談したものの、取り次いでくれた不動産会社から、心底申し訳なさそうに告げられてしまった。


『申し訳ございません、お力になれそうにありません……』

「いえ、こちらこそ無理を言ってすみませんでした。私も家賃滞納してしまったんで」


 なんでも、大家さんが自己申告していた通り、とにかく未払いの常連住人が多過ぎたらしい。あまりにも家賃滞納が続くせいで、とうとう不動産会社に仲介に入ってもらってアパートを運営するようになり、前よりも取り立てが厳しくなったと。

 一周回って冷静になったら、たしかに大家さんの言うことももっともなんだよなと反省してきたけれど、同時に「私、あとひと月以内に新居探し出さないと家無き子になってしまう」という危機感が湧いてきた。

 気を入れ直して、新しいアパートを探し出すけれど、今のところがとにかく都合がよかったから、それより上、上じゃなくてもいいから同等というのを探し出すのは、なかなか大変だった。

 駅には近過ぎると、ネットでの打ち合わせになにかと支障を来す。セキュリティーが充実しているところじゃないと、仕事帰りがちょっと怖い。ネット回線タダがおいし過ぎる。正直仕事でいくらでもネットを使うから、金払って駄目な回線を使いたくなかった。

 部屋は今よりも狭くてもいいけれど、収納はある程度ないと困る。本は貸倉庫借りればなんとかなるけれど、資料は手元に置いておきたいから、資料が置ける家じゃないとなあ。

 仕事と原稿の合間にちくちくと新居を探すし、事情を知っている不動産会社もなにかとお勧めの物件を紹介してくれたけれど、あちらを立てればこちらが立たずで、なかなか見つからなかった。

 どうしよう。このまま行ったら、家無き子。

 まさか歯科医院の空いているスペースに済む訳にもいかないしな。私は不動産会社がくれた物件案内を見ながら、「うーんうーん」と唸って階段を登っていると「あれ、かしこ先生?」と声をかけられた。

 私を「かしこ先生」なんて呼ぶの、ネットファン以外だったら浜尾さんしかいない。


「どうもー」

「……引っ越されるんですか?」


 私の持っている物件案内に視線を向ける浜尾さんに、私は「あはは」と笑う。


「ちょっと凡ミスして、アパート追い出されそうなので、これを機によりよい物件に引っ越そうかと……まあ、なかなかありませんけどねえ、そんないい物件」

「……お仕事忙しいのに、大変じゃないですか?」


 浜尾さんの言いたいのって、私が歯科衛生士として働いている以外に、BL作家やっていることだよなあ。

 たしかに、今はまだ余裕があるけれど、来月に入ったら締切がふたつほどある。上手くやり繰りすれば締切がぶつかることなんてないけれど、上手くやらなかったら締切が被る。昼間は働きに出ているし、休み時間にスマホで下書きを打ち込んでうちのパソコンに送信しているとはいえど、推敲は私の場合はパソコンを使わないと無理だ。


「まあ、来月は締切ふたつ抱えてますし……」

「来月! 締切! に、二作も新しく出る予定なんですね……?」


 浜尾さんが震えながら言う。うーん、まあまだ会社的には広報のGOサインは出てないけど、「原稿やってます」くらいだったらどんなジャンルの作家も普通にSNSで言っているからなあ。


「まあ、そうですね……?」

「だ、だったら! 早く、原稿に取りかからないと、駄目ですよね……?」


 無茶苦茶ぐいぐい食いついてくるなあ。それだけ、新作読みたいのかな。まだどちらもプロットは切ってあるものの、原稿の肉付け作業には程遠い状態なんだけれど。


「そうですけど……」

「だったら! 俺ん家に住むのは……どうですか!?」

「……はあ?」


 思わず目が点になった。

 いきなりお隣さんが腐男子だった上に、私の読者でファンだったのが発覚したとこまではまあよかったものの、いきなりそのファンの家に住めと言われた場合、作家としてはどう答えるべきなのか。

「ごめんなさい」か? リアルでファンに声をかけられたの初めてで憎からず思っていたのを振るのは、こちらも気が引ける。

「考えておきます」か? ここはリップサービスでお茶を濁して、徹底的にスルーし続けるべきだろうか。あまりにも特に知る必要もない個人情報を大量入手状態の私にとっては、スルースキルは必要不可欠スキルだし、それを駆使して。

 私が黙り込んで考えあぐねているのを見てか、勝手に浜尾さんはあわあわと手をジタバタさせた。前から思っていたけれど、この人本当にオーバーリアクションだな。


「す、すみません! そりゃ困りますよね。いきなり、男に同居誘われたら!」

「ま、まあ……そうですね」

「ち、違うんですよ……ただ、俺はかしこ先生の力になりたかっただけで……」


 背中を丸めておどおどしはじめてしまった浜尾さんに、私はおろおろする。だからファン心を弄ぶ気はこちらもないんだってば。


「いや、別に本当に怒ってませんし。ただ、作家とファンが一緒に住むっていうのは、なにかとまずいんじゃないかという、それだけですから」

「自分、別にSNSでかしこ先生と同居なんて書き込みませんけど」

「それはたしかに困りますけど、そういうんじゃなくってですね……原稿の漏洩とかって、本当に契約関係とか会社の守秘義務に反しますから」

「あ、それは自分も守秘義務厳しい会社で働いてるんで、よくわかります。そういうのは絶対にしませんから安心してください。あと、かしこ先生のことは好きですが、かしこ先生の恋人になりたいとか、家族になりたいとか、そういうのは本当にありませんから。誓ってもいいです」


 その言葉に、私は不覚にも「キューン」と来た。

 ちなみにときめきではない。安心感だ。

 そりゃ、男女が一緒に住んでいたら、周りがなにもない訳ないだろと勝手に外堀を埋めてくる。それが嫌だから、大学時代から男女混合の飲み会はなるべく避けていたし、就職活動で歯科医院を回ったときも、なるべく院長先生が既婚者で男の人が少ないところを選んだ。

 周りから「結婚結婚」と言われても、仕事関係に男の人が既婚者か年寄りしかいなかったら、仕事のせいと言い訳が利くからだ。

 しかし、まあ。半分くらいは浜尾さん家に住んでもいいかなという気には傾いているものの、半分は納得いっていない。

 私が浜尾さんに対して知っていることは、彼が守秘義務に厳しい会社勤めだということと、腐男子だということ、私のファンだということくらいだ。

 あそこまで細かく私の本を知っている人が、実はネットストーカーで勉強しました! とはならないような気がする。少なくともストレートの男性のBL耐性のなさは結構知っているから。

 だとしたら、この人はゲイなんだろうか。バイなんだろうか。でもそんな性的な話を私が口に出すのは、いくらなんでも作家がファンに対して行うセクハラという奴ではないだろうか。それは駄目なような気がする。

 この人を私のファンとしては信じたいんだけれど、どうしたら下心がないと信じられるだろう。

 さんざん考え込んでいたら「わ、かりました……!」と浜尾さんが背筋を伸ばした。


「え、ええと? 浜尾さん?」

「わかりました、かしこ先生が困るようでしたら、俺は会社で泊まりますから、うちを好きに使ってください! これならかしこ先生は原稿に集中できますし、俺はかしこ先生の生活環境を守ることができて、一石二鳥ですよね!?」

「待って待って待って。いくらなんでも、それはし過ぎ。というより、それじゃ浜尾さんが体を壊してしまうから、それは止めましょう。ねえ?」


 いくら推しのためとは言えど、家をプレゼントするファンは困る。なによりも浜尾さんの体に悪い。

 そりゃ若い内はどんなに体を弄んでも次の日に疲れは残らないけれど、若い内の不摂生はボディーブロウのようにあとあとになって響いてくる。いくらなんでもそれを私のファンの浜尾さんにさせるのは、こちらだって申し訳ない。

 少なくともこの人が本気で私を心配していること、下心がないということだけは、よくわかった。


「なら、私の引っ越しを手伝ってくださいよ。それで、それぞれどうやって暮らすのか考えましょう。幸い私たち同じアパートに住んでて、同じ間取りですから。私の期限までにいろいろ考えられるかと思います」

「かしこ先生……!」


 彼は自分の口元に手を当てて、うっとりとした目でこちらを見てきた。本当にオタクは感極まったら皆同じポーズになるなあ……多分私も何度か推し声優に私原作のドラマCDに出てもらって見学に行ったとき、同じポーズしてたわ。


「俺、かしこ先生の仕事環境、絶対に守りますから……!」

「そーう? ええっと。ありがとう……」


 こうして次の土日に一度荷物をまとめてみて、移動の準備をすることにした。

 私は本棚の資料を積みつつ、パソコンの移動準備をしつつ、ひたすら首を捻っていた。これは引っ越しじゃない。右から左に移動だ。住所だって番号がひとつ変わっただけだ。

 楽でいいけれど、どうして浜尾さんがそこまでしてくれるのかが私にはさっぱりわからなかった。

 私だって推し声優は数多くいるけれど、推し声優が突然家無き子になったときに、素直に住居を提供して「私は職場に住みますから!」なんて言えるだろうか。私は言えない。だとしたら、私が困り果てているのを見かねて言い出した浜尾さんはなんなんだ。

 わからないまま、私は空き缶を開けてみた。中には色とりどりの封筒が詰まっていて、中には私の宝物のファンレターが入っている。

 BL作家は、人が思っているよりもよっぽどファンレターが少ない。その中でいただいた貴重なファンレターを眺めてみるけれど、私は数少ないファンレターには全て返事を書いているし、浜尾さんには書いた覚えがなく、やっぱりファンレターにもなかった。

 世の中にはオタクに近付くオタクもどきがいるらしいけれど、浜尾さんの反応を見ている限り、完全にオタクのそれだ。同種だ。


「……わからない」


 隣に聞こえない程度に呟いた。

 彼が私のファンだということ以外、なにも確定情報がない。

 まだなにも安心できる要素がないのだった。

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