あなたの推し作家は私

石田空

特にロマンスは求めてないし

第1話

 カタカタとキーボードを打つ。今時ノートパットやスマホアプリでもいいものはたくさん存在しているけれど、私の小説を書くスタイルは未だにデスクトップパソコンに有名ワープロソフトでの作業が一番はかどる。

 手元にはインスタントコーヒーを淹れてあり、モニターを眺めながらときどき思い出したかのようにコーヒーの入ったマグカップに手を伸ばし、それを飲んでいた。

 モニターには男同士の絡み合いの文章が綴られている。前の絡みのシーンではこの体位は使ってなかったよなと確認し、文章にもうちょっと艶と粘りが出るよう書き足してから、ようやく原稿をパソコンに保存した。

 メールソフトを立ち上げると、原稿ファイルを貼り付ける。


【いつもお世話になっております、乃々原ののはらかしこです。

 原稿が完成しましたので提出致します。どうぞよろしくお願いします。】


 定型文を書いて、そのまま送信した。全部終わったところで、私はようやく椅子の背もたれにもたれかかって、大きく伸びをした。

 仕事がひとつ終わったのはいい。今日は仕事先の飲み会だから、明日は絶対に仕事にならないと思ったから、原稿を終わらせないといけないとと思っていたし。

 ようやく自由になった私は、急いで服の準備に取りかかった。

 世に言うところのBL小説家が私であり、それを書いて生活している。なんだかんだ言って出版社五件ほどとお世話になっているから、既に本職の給料は越えてしまっているけれど、今の不景気な世の中、一年先のことすら見通しが立たない。

 くだらない飲み会に出たくはないし、正直今の職場だって辞めたいけれど。でも今の職場がなんだかんだ言って原稿を書くのに一番融通が利くから。個人情報を出さないってことにすら気を付け、ストレスが溜まるのを給料分と思って割り切れるかというデメリットはあるけれど。

 そう思いながら、どうにか飲み会用の服の用意を整えた。

 フェミニンなシャツにスラックス。派手過ぎず地味過ぎずの、普通の格好だけれど。どうせ飲むからなあ、匂いがつくからなあ。そう考えたら、これくらいが一番いいかと思って最後に鞄を用意した。

 あとはスマホのアラームをセットした。飲み会に出発時間まで、少し仮眠させてもらおう。なんだかんだ言って、締切を前倒しで終わらせたせいで、頭の糖分が足りない感じがする。ラムネを口に放り込んでから、眠りについた。

 締切明けはもっと開放的になるものなのに、飲み会前だとひたすら億劫だ。


****


「それでねえ、そこの家の家族なんだけれど……」

「あぁら、やあだ」


 甲高いパートさんたちの声に辟易とする。ここ、院長先生のおごりじゃなかったら絶対に入れないくらいに高いフレンチなのに。私が普段ディナーで出すお金とひと桁違うから。その中でパートさんたちの下品な会話を聞き流しながら、できる限り皿の上のメニューに集中していた。

 舌平目のムニエルも、子羊のプレートもおいしいのに、パートさんたちの会話で台無しだ。

 私が働いているのは、地元の歯科医院で、歯科衛生士をしている。

 小さな診療所だけれど、なかなか難儀な患者さんも多いため、その面倒を見ている従業員を引き連れて年に二回ほど飲み会に呼んでくれる院長先生は気前がいいんだろうけれど。

 正直おいしいお酒で口が滑りやすくなったパートさんたちの会話は、驚くほど下品だ。どこかの家庭の離婚騒動からはじまって、我が家のマウント合戦、パートさんたち共通の知り合いの個人情報まで語り合うので、おかげで全く知らない人の個人情報にまで詳しくなってしまう。しまいには一緒にごちそうを食べに来た院長先生の娘さん……今は美容歯科医として矯正治療を生業としている……にまで矛先を向ける。


「ところで先生は、結婚どうなさるんですか?」

「えー、今時私よりも給料いい人じゃなかったら結婚できないですよぉ」

「そーう? 先生でしたら美人だし、引く手あまたじゃない?」

「ねえ?」


 その会話に辟易へきえきとする。

 なんだかんだ言ってどこの業界も男尊女卑がひどいし、比較的優しい院長先生ですらそれを痛感する。そういう中で歯科医として稼いでいる人が、仕事を取り上げられて家庭に入ることが幸せとは、傍から見ている私にすら思えなかった。

 なんだかんだ言って先生はのらりくらりとかわしている中、私は皿の上のものがなくなってしまったために、仕方なく今度はグラスワインに逃げる。まるで糖蜜を舐めたかのようにコクのある貴腐ワインなのに、会話の内容がこんなんじゃ台無しだ。

 もう院長先生はパートさんの会話を全部無視して、店内で出せるワインを全て注文する勢いで「このワインは?」「このワインは?」とソムリエさんを質問攻めにして注文し続けている。自分のお金とはいえどすごい。


「そういえば、柏原かしわばらさんはー? もうすぐ三十でしょう? お相手見つかった?」


 う。ワイングラスをガチンと鼻先にぶつけてしまった。痛い。私がグラスを置いて鼻先を押さえて俯きつつ、どうにか誤魔化す言葉を探す。


「いえ。副職もありますし、今の仕事が楽しいですから」


 さすがに内容は伝えてないとは言えど、一応院長先生に副職のことを伝えると、院長先生は「ふーん」と気のない返事をしていたし、普通に確定申告は済ませているから歯科医の迷惑にはなっていないはずだ。

 早く次のメニュー来てくれと祈っていたものの、パートさんたちの追及は残念ながら終わってくれない。娘さんは話題の矛先が私に移ったのにあからさまにほっとした顔で、院長先生と一緒にワインを飲んでいる。このテーブルは私の敵しかいない。


「でも三十になったら、ぐっと結婚するの難しくなるでしょう?」

「そうそう。今だったらまだ間に合うんだし」

「なかなか難しいんですよ、今時の婚活は」

「でも柏原さん、日頃から家にいるから暇でしょう? もっと外に出て探したほうがいいんじゃないかしら?」


 だから、この人たちは。私はイラリとするものの、理性が働いてどうにかお冷やに手を伸ばすことで誤魔化した。

 ちなみに私はあの手この手を駆使してスマホのアプリのIDを教えていない。そんなもの教えたら最後、締切前の忙しいときでも、病院内の備品の買い出しやら早番での掃除の交替やらを頼まれるのが目に見えているため、必死の抵抗だった。それでもスマホの電話番号は教えざるを得なかったせいで、うちにじゃんじゃん電話がかかってくるせいで、休みの日はほとんど家にいることがバレてしまっている。家じゃなかったらデスクトップパソコンで原稿できないでしょうが。

 世代が違うと、残念ながら価値観が違う。

 既に結婚すれば人生安泰という時代は終わりを迎えているし、日本はよくも悪くも他の国ほどパートナーがいないと駄目というお国柄でもない。だったら現状維持でいいじゃない。私だって自分の原稿に理解がある人じゃないと無理だし。

 ……最近はドラマとか映画とかで話題になるようになったとはいえど、未だにBLが肩身狭いジャンルだということには変わりない。私だって公表してないし、少なくとも旧世代的な職場で言うのは危険だと思って、副職の内容だって未だに言っていないのだから。

 さて、お冷やを口に含んでどうにか理性を保っている私は、どう言ったものかと考えあぐねた。


「副職に理解ある人じゃなかったら難しいですし。今の世の中、兼業じゃないと難しいでしょ」

「あら、資格持ちの柏原さんだったら、どこでだって働けると思うけど?」

「……ほら、家庭に入って欲しい男性って、今でもかなり多いですから。専業主婦は無理ですよ」

「そう? 子供ができたらなかなか大変だから、しばらく専業主婦になるのも手だと思うけど。どうせ資格持ってるんだから、再就職も楽でしょう?」


 ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。もうやだ。パートさんとしゃべりたくない。私は家に帰って原稿だけしていたい。

 癇癪を起こしそうになったけれど、お冷やのグラスが空になったのを見た給仕さんが「こちら、お替わりを淹れてもよろしいでしょうか?」と声をかけてくれたので、「お願いします」と言ったら、ようやく私から話が逸れて「ところでね……」と知らない人の個人情報へと話題が替わってくれた。私は心底ほっとしたところで、ようやく締めのデザートと食後の飲み物が運ばれてきた。


「お待たせしました、デザートのタルトオショコラです。それでは紅茶のお客様は……」


 締めのデザートが来たことで、内心ガッツポーズを取る。

 これを食べたら帰れる。院長先生と娘さんは未だにワインとつまみのチーズに夢中だけれど、それでも帰れる。

 締めのセイロンのミルクティーに、ケーキ屋でもなかなかお目にかかれないレベルのタルトオショコラに舌鼓を打って、ようやく店を出ることができた。


「先生、今日はごちそうありがとうございました」


 私もパートさんも挨拶を済まし、解散する。

 電車にごとごと乗り、近くの駐輪場から自転車を取ってきて、それに乗り込んで走り出す。

 デザートの前にたくさん水を飲んだおかげで、すっかりと酔いは冷めてしまった。そのままうちのアパートまで走る。夜風が腐りきった気持ちを癒やしてくれる。

 うちのアパートは元々は新婚夫婦をターゲットにしているところだけれど、たまたま新築のときに借りることができた。

 ネット回線はタダだし、収納はたっぷり。唯一の不満があまりにも壁が薄過ぎて、隣の家の音が全部筒抜けだから、編集さんとネットで打ち合わせをするときでも、あらかじめお隣さんがいないときを見計らわないと事故るから、こちらも気が気じゃない。

 私は自分の家の階まで階段を登っている中、うちの前に誰かがしゃがみ込んでいるのが見えた。お隣の浜尾はまおさんだった。

 このアパートだと、私以外だったらひとり暮らしをしているのは彼くらいだ。でも、うちの家の前でしゃがみ込まれると、家に入れない。


「どうかしましたか?」


 仕方なく声をかけると、浜尾さんはビクンッと肩を跳ねさせてから、気まずそうに私のほうに顔を上げた。

 私、なんかしただろうか。思わず目をパチパチと瞬かせてしまった。

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