第73話 甲斐信濃の国主

 旧織田領各地に武将の配置を終えると、武田家の統治も落ち着きを見せ始めていた。


 岐阜城に移転を進める傍ら、義信は領国の地図を広げていた。


「ううむ……」


 現在、武田家の領地は西へ西へと拡大しており、それに伴って本拠地も西へと移動していた。


 しかし、領地が広くなり遠方になるにつれ、義信の統治が行き届かない地も増えてきた。


「どうしたものか……」


 思案する義信の元に、信玄から文が届いた。


 曰く、


『信濃の山中に温泉を見つけた。ここを儂の秘湯とするゆえ、家臣にもそのように周知しておくように』


 というものだった。


「自由だなぁ、父上は……」


 かつては甲斐の虎として辣腕を振るっていた信玄だが、義信に大名の地位を追われたのちはご隠居として君臨していた。


「私はこんなにも忙しい思いをしているというのに……」


 と、そこまで考えて気がついた。


 そういえば、大名としての雑務は元々信玄がこなしていたな、と。






 織田征伐を終え、甲斐信濃の軍を解散させると、信玄は秘湯を探しに信濃の山中を訪れていた。


 湯に浸かり、「ふぅ」と息をつく。


「いい湯だわい……」


 義信に命じられ、美濃の侵攻から岐阜城の攻略、北伊勢、南近江の制圧と戦続きであった。


「こうやって息抜きの一つでもせねば、やってられんわい」


 日頃の疲れを癒やしていると、小姓が駆け寄ってきた。


「ご隠居様、お館様より文が……」






 信玄が早馬で岐阜城までやってくると、義信の前に現れた。


「火急の用があると聞いたが、どうした。浅井が攻めてきたのか!?」


「いえ、私に楽を…………父上に仕事を申しつけようと思いましてな」


「なに……?」


「父上には、甲斐と信濃の国主となっていただきます」


「なんじゃと!?」


 思わぬ命令に、信玄が目を剥いた。


「私が直接治めようとも思いましたが、やはりここは父上にと」


「いや、しかし……」


 義信の言っていることは理解できる。


 広大な土地を治めることとなった武田家だが、その扱いに困り、統治のために地方に有力者を配するのもわかる。


 わかるのだが、信玄の中で素直に飲み込めないものがあった。


「……儂から甲斐や信濃を取り上げておいて、今さら返すのか? いささか都合が良すぎるのではないか……?」


「私が父上から奪ったのは、武田家の家督です。あくまで甲斐や信濃はそのおまけ。何も問題ありませぬ」


 義信の物言いに、信玄が笑った。


 なるほど、甲斐信濃は家督のおまけか。


 甲斐や信濃に固執していた自分では、その発想はなかった。


「……よかろう。当家の領地も二倍に増えたのだ。その扱い、統治に苦心する息子を助けるのも父の役目……」


「父上……」


「だが、忘れるな。ひとたびお主が腑抜けた姿を見せれば、儂が大名に返り咲いてくれる」


 それだけ言い残して、信玄がその場を後にした。


 残された義信に、小姓が耳打ちをする。


「よろしいのですか……? 先のご隠居様のお言葉……」


 隙あらば独立すると言ってるに等しく、あれでは謀反を公言しているようなものだ。


「気にするな。あれで父上なりの激励なのだ。……言い方は素直ではないがな」





あとがき

明日の投稿はお休みして、次回は1/11に投稿しようと思います。

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