第61話 織田の軍議と義信の謀略

 義信軍では、義信に代わり飯富虎昌が指揮をとっていた。


「織田軍の動きはどうなっている」


「初日に士気を挫かれたのか、動きが鈍いですな」


「おかげで、兵数で劣る我らでも織田軍を押し返せるというもの」


 長坂昌国と曽根虎盛が余裕そうに答える。


 一方、義信は木下秀吉と真田昌幸を呼び出すと、流言の成果を聞いていた。


 織田軍で柴田勝家戦死の報を流し、士気を落としたこと。

 雑兵の引き抜きを行なったこと。

 家康と対峙し、結果的に刀を置いていったこと。


 一通り説明を聞き、義信が頷いた。


「ご苦労であった。……引き続き調略と流言は任せたぞ」


「ははっ!」


「おまかせあれ……」


 二人は頭を下げると、織田軍の陣へ向かうのだった。






 柴田勝家の討ち死と武田軍の流言もあって、織田軍の士気は著しく低下していた。


 初日とは打って変わって、織田軍の攻撃は散発的なものになっていた。


「あまり深追いするなよ。勝家の二の舞いにはしたくないからな」


「殿、しかし……」


「わかってる」


 進言しようとする家康を遮り、信長が思案した。


 このままでは信玄や謙信の軍がやってくるため、時間はかけられない。


 信玄や謙信の準備が岐阜城に到達するまでに、どうにか義信を撃破しなくては……


「……家康、うちの兵はどれくらい残っている」


「柴田殿が討たれ申したが、3万3000ほどは残っております」


「義信軍は?」


「神保軍が壊滅しましたが、おそらくは1万8000ほどかと」


 初日は翻弄されたとはいえ、依然2倍近い兵力差がある。


 普通に戦えば、まず負けない戦だ。


 しかし、義信の策に翻弄され、手痛い反撃を受けたせいか、強気の攻めには踏み切れずにいた。


 信長が思案していると、家康が口を開いた。


「軍を二つに分けましょう」


「……なに?」


「武田軍に兵数では勝っているのです。このままここで義信を足止めして、別働隊を義信の背後に回り込ませる。さすれば、本隊と別働隊で挟撃が叶います」


 家康の策はたしかに筋が通っており、成功すれば義信に大打撃を与えることができるだろう。


 しかし、これには大きな穴があった。


「おれバカだから難しいことわかんねぇんだけどさ〜。それだけじゃ、武田には通用しねぇんじゃねぇかな」


「……どういうことにございますか?」


「知ってるだろ。武田と上杉が川中島で戦ったことは」


 家康が頷く。


「なればこそ。己が使った策でやり返されるとは、夢にも思いますまい」


 信長がううむと唸った。


 家康の言っていることは間違っていない。


 間違っていないのだが、素直に飲み込めないものがあった。


 はたして、それだけで義信に勝てるかどうか……


 信長が考え込んでいると、伝令の者がやってきた。


「殿! 鳥峰城、郡上八幡城が敵方に落とされたたのこと!」


「なに!?」


「さらに上杉軍が浅井軍と交戦し、浅井軍を退けたとのよし」


「長政が……」


 敵は軍神上杉謙信。

 容易な相手ではないことはわかっていたが、それでも自分のために援軍を出した浅井が敗れたとあれば、思うところはある。


 謙信、信玄の軍が美濃に侵攻を始めたことで、美濃の国衆にも動揺が広がっていた。


 稲葉一鉄が、同じく美濃の国衆である安藤守就に尋ねた。


(なあ、今からでも軍を二つに分けて美濃を守るべきだと思うんだが、どう思う?)


(……そうだな。さしもの、殿とて美濃が危うくなれば本拠地を失うのだ。軍を送ってくださるだろう)


 二人が頷いた矢先、信長が口を開いた。


「二つに軍を分けるぞ」


「では、美濃に軍を送ってくださるのですか?」


「何言ってるんだ?」


 信長がチラリと岐阜城の方角を見やった。


「謙信や信玄が美濃に侵攻を始めた。普通なら援軍を送るところだが、やつらは強い。生半可な軍では返り討ちに遭うのがオチだろ」


「それは……」


「そうかもしれませぬが……」


「だったら、おれたちはこのまま義信を倒せばいい」


 いくら信玄や謙信が戦上手とはいえ、今回の上洛軍の総大将は義信なのだ。


 ならば、義信さえ倒せば信玄や謙信は撤退する。


 信長は暗にそう言っていた。


 丹羽長秀が首を傾げる。


「しかし、先ほど仰ったではありませぬか。軍を二つに分けて挟撃するのでは、武田軍には通じぬ、と」


「普通であればな」


 信長は地図を広げると、鳥峰城と郡上八幡城を指差した。


「いま、美濃には信玄や謙信が攻め込んでいる。……この状況で軍を二つに分ければ、誰だって美濃の救援に向かうと思うだろ」


「それは……」


「たしかに……」


 稲葉一鉄と安藤守就が渋い顔で頷く。


 そんな中、家康が口を開いた。


「挟撃するのはわかり申した。……して、別働隊の大将は誰にするおつもりで?」


「家康、お前だ」


 信長に名指しで指名され、驚く家康。


 これには滝川一益が異を唱えた。


「お待ちください。徳川殿は武田と内応しているとの疑いがかかっていたはず。それなのに、別働隊を任せるとは……」


「済んだ話を蒸し返すな。家康は裏切っていない。……だろ?」


 信長に尋ねられ、家康が力強く頷く。


「ほれみろ」


「しかし……」


「同じことを言わせるな。……家康は幾度となく武田と戦ったのだ。こいつ以上に武田と戦い慣れてるやつもいないだろ」


 家康が信長の前に出ると、深々と頭を下げた。


「別働隊の任、謹んでお受けいたします。……この徳川家康、必ずや武田義信を討ち取ってご覧いれましょう!」


 頭を下げる家康に対し、織田家臣たちは冷やかな目を向けるのだった。

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