第51話 西上作戦開始

 上杉家との同盟の手筈が整うと、信玄の六男にして義信の弟である信貞が越後に送られた。


 謙信の前に通されると、信貞が頭を下げる。


「それがし、武田信貞にございます」


「お主が甲斐の虎の子か」


 謙信が信貞をじっと見据え、不意に口元が緩んだ。


「……良い眼をしている。まだ若いが、よい将となることだろう」


「もったいなきお言葉にございます」


「時に、お主には姉上の娘と婚儀を交わし、我が一門に入ってもらうこととなる。

 それすなわち武田を捨て、上杉に魂を捧げ、越後に骨を埋めるということ……。汝にその覚悟はあるか?」


 信貞の背筋に冷や汗が伝う。


 生半可な答えでは、上杉謙信は納得がいかないだろう。


 考えた末、信貞が声を絞り出した。


「……お望みとあらば、父より賜りし“信”の字を捨てる覚悟にございます」


 偏諱を捨てるということは、実家とは縁を切り、絶縁関係になると宣言しているに等しい。


 信貞の決意表明に感じ入ったのか、上杉謙信がじっと見据える。


「……よかろう。汝の覚悟に敬意を評し、景虎の名を与える。……これよりは上杉景虎と名乗るがよい」


 これには直江景綱や柿崎景家が息を呑んだ。


(景虎は殿の初名……)


(それを与えるとは……)


 実の甥である景勝をさしおいて景虎の名を与えるのは、異例の厚遇であった。


「上杉景虎の名に恥じぬ振る舞い、期待しておるぞ」


「ははっ」


 こうして、武田信貞──改め、上杉景虎が上杉一門に加わるのだった。






 一方、北条家の元にも上杉から報告が届いていた。


「景勝殿が北条の姫を娶ったとのこと」


「これにて三国同盟と相成りましたな」


 どこか安堵する北条家臣たち。


 かくいう氏政も上杉との同盟が成立し、胸を撫で下ろしていた。


「北と西の守りは固まった……。関東平定も見えてきたぞ……!」





 武田、上杉、北条で三国同盟が締結されると、義信が重臣たちを招集した。


「機は熟した。……これより西上作戦を始めるぞ」


 待ちに待った上洛に、家臣たちが色めき立った。


「ついにか……」


「この時をどれほど待ち望んでいたことか……」


 家臣たちを無視して、義信が地図を広げた。


「織田領には三方から攻め込む。飛騨からは上杉殿が。東美濃の岩村城からは父上が。東海道からは私が攻める」


「しかし、油断はできませぬぞ。我らが同盟を結んでいる間に、信長は六角家の南近江を獲得しました。南近江からも軍を動員し、さらに織田の同盟国である浅井も動けるようになります。敵方の国力は、既に当家を凌いでおりましょう」


 上杉や朝倉から援軍を貰える手筈は整えたが、それでも武田、織田単体での国力は劣っている。


 援軍によってどうにか兵数の不利は覆せるものの、援軍に頼らざるを得ない以上、過信は禁物と言えた。


 義信の口元がふっと緩む。


「兵数や武器で劣るのなら、策を弄するまでのことだ」


「策、にございますか?」




 永禄12年(1569)11月。

 武田家の西上作戦が始まるのだった。




あとがき

明日の投稿はお休みして、次回は12/14に投稿します。

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