第29話 好奇心は……
「ジュリアン兄様は、とても優しいのですね」
ビアンカが笑いかけるとジュリアンが驚いたような顔をする。
「驚いた、ビアンカに優しいと言われたのは初めてだよ」
「え?そうなのですか」
今度はビアンカが驚く番だった。そんな彼女をみてジュリアンがくすくすと笑う。
「のども乾いたし、そろそろお茶にしようか」
「はい」
次兄はときに強引なサティアスとは違う気遣いを見せる。二人は温室の小道に分け入った。その先に小さな滝と池があり、茶葉が並んだ棚にティーテーブルが二組あった。
池には蓮の葉が浮かび、何ともいえない花の香りが漂っている。ビアンカはこの温室が気に入った。
茶を淹れようとするメイドを制し、ジュリアンが丁寧に淹れてくれる。
程よいかげんに蒸された茶葉の香りがふんわりと広がった。ポットから注がれた紅茶の香りをしばし楽しむ。
ふと池のほとりに咲く白い花が目に入る。庭園のバラのように目立つことなく、可憐に咲く。そういえば、海辺の修道院でも似たような漏斗型の花をみた。数か月前の事なのに懐かしく思う。
「あれは、アサガオだよ。うちの庭園にはないよね。白の他にいろいろな色があるよ。飲み終わったら見に行こう。もちろんビアンカが疲れていなかったからだけれど」
ジュリアンは好きだと言うだけあって、とても詳しい。
「ジュリアン兄様、凄いんですね」
ビアンカの言葉にふっと笑顔を浮かべる。
「どうも今のビアンカは、調子が狂うな」
「どうしてですか?」
「僕のやることに興味をもったことなどなかったから」
「そうなのですか?」
以前はサティアスよりもジュリアンと話していたと聞く、それではいったい何を話していたのかと不思議になる。
「主に恋の相談にのっていたよ。スチュアート殿下の事とか」
次兄がさらりと言うので、ビアンカは茶をむせた。
「やめてくださいよ。ジュリアン兄様。私そんな恥ずかしい相談をしていたのですか?」
「聞きたい?」
次兄がくすくすと笑う。ビアンカはぶんぶんと首を振り、話題を打ち切った。
少し、温室をまわった後、二人は裏庭をとおり、屋敷に戻るころにはビアンカはすっかりリラックスしていた。
♢
ビアンカは、いつもは小さい方のサロンで勉強することが多い。しかし、一向に長兄がやって来る気配はない。
もしかしたら本好きな兄は書庫に現れるかもと思い。その日は書庫で勉強することにした。
相変わらずメイドがつかず離れずついて来る。そんなに見張らなくても屋敷から逃げ出したりはしない。それとも公爵令嬢となると誘拐の心配などもあるのだろうか? しかし、ここは屋内だ。いずれにしてもここは別邸よりもビアンカに対する監視が厳しい。
ケスラー家の書庫は広く、高い所の本をとるための梯子までついている。ちょっとした図書館と言う趣だ。ビアンカは勉強の合間に書架の間をうろついた。とことこと好奇心の赴くままに散歩気分で奥に入ってみる。
振り返ると、メイドも別にそこまではついてきていない。だいたいの場所を把握していればいいようだ。他の出口もあるようだが、そこは鍵が掛かっていて出入りできない。
別に悪戯をしようと言う気はないが、一人になるとほっとする。常に人の視線にさらされるのはある種の緊張を伴うものだ。きらりと光が反射したような気がして、横をみるとそこには姿見があった。
書庫のこんなところに姿見があるとは思わなかった。誰が使うというのだろう。ビアンカはしげしげと覗き込む。
そういえば、海辺の別邸で、兄が鏡抜けをやっていた。この鏡も同じことが出来るのだろうか?自分の部屋の姿見でもやってみたが、何も起こらなかった。誰も見ていないことだし、ビアンカはがぜん試してみる気になった。
手のひらに魔力を込めて、鏡面にかざす。すると兄がやったみたいに鏡面が揺れた。透けるように向こう側に部屋が映る。
ビアンカはそれをみて心の中で快哉を叫ぶ。
多少の迷いはあったが、ちっとも長兄とは会えないし、もやもやが溜まっている。ちょっと見てすぐに戻ってくればいい。ビアンカはひと思いに飛び込んだ。
鏡の先は広い執務室になっていた。豪奢な机と応接セットが置いてある。中は整然として、別邸にあった秘密の部屋より、ずっと片付いている。
ビアンカは慎重に物音を立てないように部屋の中を歩いた。もしかしたら、兄がいるかもしれない。きっと彼はビアンカのこの行動にいい顔をしないだろう。
しかし、その考えは杞憂に終わる。ぐるりと見て回ったが、誰もいないようだ。壁には肖像画がいくつかあり、美しい男女が描かれている。ご先祖だろうか?
サティアスと会ったらどうしようと思っていたのに、いなければいないで、落胆した。
部屋を探ったとて、何か見つかるものではないだろうと思い姿見の前に戻ることにした。ところが姿見がない。
迷うほどの広さではないはずだ。
「閉じ込められたの……?」
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