ふるさとと妹の誤解
百六十層はドラゴンと、ドラゴンの餌となる動物と、ドラゴンの棲み処になる地形で構成されている。探索者たちはドラゴンと協定を結ぶことでこの階層を踏破した。要するに、実力での踏破は無理だと考えたわけだ。
そのためか、百六十層の前線基地は基地というよりも町、町というよりも都と言った方が良い。何しろ階層の最高戦力が襲ってこないのだ。基地としての防衛設備は最低限で良いし、むしろドラゴンが人の姿になって訪れたくなるような設備の方が重要とされた。
迷宮エルフ、ドラゴン、そしてヒルスリオン。ダンジョンの百層より奥に存在したいわゆる『話の分かる』種族。
ドラゴンの女王は特異な思考の持ち主で、自分の支配する階層が自分の支配力の及ぶ限界であると理解していた。そして、自分と自分の支配下にあるドラゴンだけでは世界を広げることは出来ないとも。
探索者の戦闘における能力はドラゴンの一頭にも及ばなかった。だが、百層以上の階層を代を重ねてでも踏破し、自分たちの影響下に置いてきたという探索者たちの能力に『世界を広げる力』を見た女王は、自ら探索者たちに協定を持ちかけた。
今では百六十層の前線基地は、ダンジョンの中で最も居心地の良い場所と言われている。先に進んだ探索者の中にも、終の棲家をここと決めている者も少なくない。
極めて危険ではあるが、同時に安全でもある。ドラゴンと探索者の夢の都。そんな場所がティレンの生まれ育った場所だった。
「でっか」
アリアレルムの頭の悪い感想が、ある意味で全てだった。
地形すら容易く変えるドラゴンの力も借りて整地された前線基地は、これまでの前線基地のどれよりも豪華で、立派なつくりをしていた。地上の都よりも素晴らしいかもしれないとアリアレルムはこぼす。
ティレンにしても、出発する時よりも発展しているなというのが率直な感想だ。さすがに女王の縄張りとされているだけのことはあって、他のドラゴンも前線基地の周辺で悪さをすることはあまりない。
雷峰をはじめとして、前線基地を離れれば危険極まりない場所もある。ここで生まれ育った子供たちは、安全な前線基地を離れることで少しずつ自分にとっての安全と危険の範囲を学んでいく。
偏屈なリブラディエルに弟子入りする、などという常軌を逸した
ティレンだけでなく、ここで生まれた第八世代は少なくない。あと何年かすれば、最前線を走る探索者は大半がここの出身となるかもしれない。
「……というわけで、ここの前線基地は女王の宮殿みたいなもんだとも言える。女王にしてみれば、見初めた相手が探索者だった、って話みたいだけど」
「へえ……」
観光案内みたいになったが、この前線基地は安定的に発展している。迷宮商人の数もかなりのもので、露店ではなく大きな店を構えている者もちらほらいる。
「ドラゴンの生え変わった爪とか牙とか鱗とか、人気あるし。あと、ここの商人が多いのは百五十層と百七十層が特殊だからかな」
「百七十層は特殊でしたね」
『羨ましいぞアリア! 婿殿、わらわも行ってみたいぞ』
小型のドラゴンの姿を取ったネヴィリアがまとわりついてくるが、ティレンとしては好きにしろとしか言えない。まだ年若いネヴィリアは人に変化する術は使えないらしく、早く人の姿を取りたいと騒いでいる。
階層間の穴は開通しているから、ドラゴンも階層の移動は出来るはずだ。しかし、実際に百六十層を出て別の階層を旅するドラゴンは非常に少ないらしく、ティレンも出会ったことはない。あるいは人に化けているのかもしれないが。
拡張は順調に進んでいるようだが、中に入ってしまえばそれなりに見覚えのある区画に行き当たる。引っ越しなどをしていなければ、両親が住んでいたねぐらはここから近いはずだ。
取り敢えず家族に挨拶したい、というティレンの意向はアリアレルムからもネヴィリアからも簡単に許可が出た。ネヴィリアに至ってはティレンの両親に挨拶したいと鼻息が荒い。
実家らしき建物が見えてきた。ティレンの記憶より二階ほど高い。増築したのか。これは弟妹が増えているかもしれないと不安がよぎる。土産は三本では足りないかもしれない。出来れば自分用に削り出した大振りの刃物については手放さずに済むと良いのだが。
ちらりと隣をふわふわ浮いているネヴィリアに視線を向ける。もう片側の角も削らせてもらえば……いや、それは流石に彼女に悪い。
「ただいまー」
「に、兄さんッ⁉」
「おお、ラキ。元気だったか?」
入口をくぐると、そこには随分と大きくなった妹。両親の姿は見えない。上の階だろうか。
一階の内装は昔のままだ。なつかしさにほっと息をつく。
ネヴィリアとアリアレルムが続けて入ってくる。
妹のラキが驚いた顔でアリアレルムの顔を見た。しばらく固まっていたが、無言でくるりと踵を返す。上の階につながる階段の方へ軽やかに走りながら、悲鳴じみた大声。
「父さん、母さん! 兄さんが嫁さん連れてきた!」
「ちょっと待てラキーッ!」
***
父のフォゾンと母のヴェリア、そして妹のラキと弟のセイン。あと物心ついてない弟妹が四人ほど。それがティレンの家族の全容だった。
子沢山で何よりだ。
ティレンは増えた家族を紹介してもらうより先に、ラキが振り撒いた誤解の解消にかなりの時間を要した。何しろネヴィリアが嫁さん呼ばわりを喜んでしまったからである。アリアレルムも満更ではない様子だった。何でだ。
取り敢えず土産のナイフを三人に。小っちゃい子らの分はないが、上の珍しい肉でどうにか突破する予定だ。
「んじゃ、これが土産な。ラキと……セインか。んで、親父に」
「ほう、こりゃ業物だな」
「そこのネヴィリアの角から削り出した。使い勝手は悪くないはず」
「ありがとよ」
探索者を引退したとはいえ、フォゾンはまだまだ現役の体格をしている。ドラゴンに追われた獣が前線基地に迷い込んでくることもあるから、戦う力があるに越したことはない。というより、探索者のたしなみがある者は終の棲家に落ち着いたとしても生涯現役がほとんどだ。
ラキとセインも嬉しそうにしている。どうにかミッションは成功したと見て良い。
「あたしには?」
「お袋にはこっち。迷宮エルフの階層の高級肉だ。大事に食いなよ」
「おおっ! これが噂の!」
取り出した高級肉をテーブルの上へ。アリアレルムの視線が怖い。手元にある肉の低質下は徐々にだが進んでいる。食べたいが、食べてしまえば待っているのは残酷な落差。彼女の葛藤が妙な圧になってティレンに向けられる。
「しかし、アンブロージャか。百八十五層にあったとは」
「どうする? 親父が届けるか」
ティレンの提案に、フォゾンは静かに首を振った。
ティレンもフォゾンも、地上で直接アンブロージャの採取を命ぜられた祖先とは顔を合わせたこともない。迷宮生まれには祖先の主君への忠誠心も望郷の念もありはしないが、自分に繋がる祖先の宿願だったから品を届ける。それだけのことだ。
そういう意味では、ティレンとフォゾンのどちらが届けても問題はないのだが。
「いや。俺はヴェリアにこの階層を出ないと約束している。だから、それはお前に頼む」
「分かったよ」
母との約束ならばやむを得ない。話半分で肉に夢中でありながらも、ヴェリアの左腕はフォゾンの右腕に巻き付いて離れないのだから。
話は終わったので、ラキとセインにちらりと視線を向ける。フォゾンに見せるために取り出していたアンブロージャに釘付けだったが、ティレンがしまうと残念そうに溜息をついた。探索者への憧れか、食べてみたかったのか。
「お袋への土産ほどじゃないが、こいつも美味いぞ。ラキ、セイン」
ティレンはアイテム袋の中から、上等な干し肉を何本か取り出した。百八十五層で狩った獣型モンスターの干し肉だ。高級肉には及ばないが、ティレンが今持っている中では最も美味しい。
アリアレルムが射殺すような目で肉を凝視しているのを無視しつつ、ティレンは肉を抱えて厨房へと向かった。
なお、高級肉については母が独り占めしたらしい。翌朝、全て食べ尽くされたとラキとセインが泣きついてきたが、ティレンは残念だったなと慰めることしかできなかった。
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