故郷にて師匠の骨を所望する
「ひどいめにあいました」
ぐったりとティレンの背負子の上で、アリアレルムが嘆いた。
三日間、鍛錬ということで迷宮エルフの狩りに同行していたのだ。自分から言い出したことではあるが、言葉に出来ないくらいきつかったらしい。身動きが取れない様子だったのでそのまま背負子にくくりつけて里を出てきたのだ。
食う、寝る、狩る。ひたすらにその繰り返しだったそうだが、本人が思った以上に身にまとう空気が引き締まっている。この分なら、もう少し階層を戻ればそれなりに戦力になりそうだ。
「それでも、肉は美味かっただろ?」
「あれはずるいです。いくらでも食べられるではないですか」
あと四十日くらいあの生活を続けていれば、アリアレルムも立派な脳筋エルフに作り変えられていたことだろう。見渡す限り森の中という階層だが、それだけに食材の質も良く、特に獣肉の味が良い。
大量の上質な肉の中で、疲れ果てたアリアレルムはマナーや人目というものを完全に忘れ果てて食事に没頭していたという。
さすが同族、筋が良いとはアランハルト族長の言だった。あと十日もこなせば、彼女に求婚する者も出てくるかもしれないと言っていたが、その辺りは七十二層にいる仲間たちに無事を知らせてからが筋だろう。
ティレンとしても、出来るだけ早く宿願を届けて最前線に戻りたいのだ。せめてもう少し滞在して欲しいという圧力を退けて、逃げるように立ち去って今は百六十五層を歩いている。
「三日の間にエルフの里で干し肉を作っておいたけど、あの階層ほど美味しい肉が取れる場所は当面ないからね」
「えぇ!?」
「だから、他の肉にも舌を慣らしておいたほうがいい。当たり前だけどここからは質が落ちる一方だよ」
「!」
絶望的な呻き声が背中の方で聞こえてきた。啜り泣きも混じっているような。
いつ終わるともしれない過酷な狩りを続けながら食べる極上肉か、その味を知ってしまってから徐々に質の下がっていく肉を食べる生活か。
何とも形容しがたい命題かもしれない。
***
百六十層に近づくと、ティレンはなんとなく落ち着かなくなる。
言うまでもなく、生まれ育った故郷であるからだ。
最前線を目指している彼にとっては、今もって一番永い時を過ごした場所は故郷である百六十層だ。生息するモンスターの種類から美味い木の実の群生地、天気の変化の予兆まで全て把握している。
百六十層で父は探索を終え、母と番ったと聞いた。そして自分が生まれ、数年後には妹も生まれた。今頃はもう何人か弟妹が増えているかもしれない。
父への土産は宿願に関する話で良いだろうと思う。しかし、母や妹たちへの土産になりそうなものについてはあまり考えていなかったなと反省しきりだ。
「まあ、お袋にはエルフの里の干し肉でいいとして。問題は……」
健啖極まりない母は、美食家でもある。父の宿願であるアンブロージャは渡せないにしても、アリアレルムが今でも思い出して泣くほどの高級肉なら文句は出ないだろう。問題は妹と、生まれているかもしれない弟妹である。
「しまったな、コルンに渡す以外にもいくつか確保しとけば良かった」
前線基地で育ったならば、何を置いても探索者に憧れるものだ。深層の武器や防具を土産にしておけば無難に喜んでもらえたのに。とはいえ、後悔しても仕方ない。
ティレンは左腰に差した骨製の刃物に手をやった。強いモンスターの骨を加工して何か作ってやることにしようと思い定める。
特に、百六十層は十層ごとの難関なのでモンスターも強い。百七十層は闇という特徴がある搦め手の階層だったが、百六十層は単純にモンスターが強い階層だ。
ティレンは十の歳を数える時には百六十層のモンスターを一人で狩猟していたが、同じことが出来た子供はいなかった。妹が未だ最前線に来ていないということは、残念ながらティレンほどの才覚を備えてはいなかったのだろう。あるいは百六十層で暮らす選択をしたのかもしれない。
探索者に向かない者が生まれた階層で一生を過ごすという事例は、それなりにあることだ。相応の働き手としての役割は求められるが、生活ははるかに安定している。建物の修理や基地の拡張、備蓄食糧の管理などがそれだ。探索者はやりたがらないが誰かが担わなければならない役割。最初のうちはその階層を終の棲家と定めた者が担い、時を経て探索者にならなかった若者が引き継いでいく。
「ま、武器はあっても困らないし」
前線基地を襲ってくるモンスターもいるし、資材の切り出しなどの間に襲われることもある。探索者にならないからと言って、武器と無縁でいられるわけでもない。迷宮商人だって武装しているのだ。
「ティレンさん。あそこに鹿がいます! 射ますね!」
「うん。ありがとうアリアレルムさん」
獣イコール食材。アリアレルムから脳筋エルフの色が抜けるにはまだもう少しかかりそうだ。
***
百六十層は、階層番号だけではなく別の呼ばれ方がある。ドラゴンズネスト。
ドラゴンの女王が君臨し、大小様々のドラゴンが生息する特殊な環境だ。
それぞれのドラゴンは、自分たちの居心地が良くなるように環境を改変する。それぞれの個体による縄張り争いなどで、日々大小様々な天変地異が地形に影響を与え続けているが、一方で環境がまったく変わらない場所もある。
「よう、リブラディエル」
『ティレン!? 戻ってきたのか!』
すなわち、縄張りを侵食されないような強大なドラゴンの住む場所だ。
雷峰のリブラディエルと呼ばれる巨大なドラゴンが、角から放電しながら叫んだ。
凄まじい大声だが、ティレンとしては慣れたものだ。背後でアリアレルムが泡を吹いているが、慣れれば気にならなくなると放っておく。
「親父の宿願が見つかったんでね。一度地上まで行かなきゃならない」
『ほう、それはめでたい。で、そこの連れてきたメスはなんだ? お前のつがいか』
「いや、そういうのじゃない。浅い階層から罠で飛ばされてきた人だ。地上を目指すついでに送り届けようと思ってさ」
『なんだ、我はてっきりつがいを紹介しに戻ってきたのかとばかり思ったわ』
「そういうのは最前線に追っつかなくなってからで十分だよ」
ところで、とティレンは切り出した。リブラディエルはティレンにとってはご近所さんであると同時に、魔術の師匠でもある。
実家である前線基地に戻る前に師匠に挨拶しにきたのは、ティレンなりの礼儀であると同時に、面倒な願い事をするのにちょうど良い相手でもあるからだ。
「悪いんだけどさ、尻尾の骨をちょっとくれない?」
『ああ、尻尾の骨か。どれくらい欲しい――って何でだ! 嫌だわ!』
「ラキへの土産に削ろうかと思って。いいじゃん、また生えてくるんだろ?」
『生えてくるなら痛くても構わないわけじゃないんだよ! お前ドラゴンの体を何だと思ってるの!?』
「えー。じゃあ角?」
『もっと嫌だわ! お前なんで師匠の体を土産に加工しようとしてるんだよ! せめて他のやつにしろよ!』
リブラディエルは激怒した。ここの育ちでなければ恐慌を起こして逃げ惑うところなのだが、相手は残念ながらティレンである。アリアレルムは気絶しているから問題なかった。
ティレンはリブラディエルから言質が取れたので、腕組みをして何故か偉そうに要求する。
「ふむ。じゃあそうするから手頃なやつを紹介してよ。あ、後であれこれ言われたくないから、適度に知能のユルいやつ希望」
『本当にお前、弟子じゃなかったら物理的に雷落としてるからな。黒こげだからな』
「いや、落としてもいいよ」
『疲れるだけだからやらねえよ。この野郎、まったく変わってねえ』
百六十層で唯一女王に従わなかった悪童であるリブラディエル。
そのリブラディエルさえも振り回した稀代の大悪童、堂々の帰還だった。
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