十層ごとに難関は来たる
「よく眠れたかい?」
「え、ええ。気がついたら寝ていたみたいで」
前線基地は、最前線に近づくほど訪れる人間が少なくなる。そのため、気の利いた宿泊施設というものは存在しない。ある程度長期的にこの階層に住む者以外はすぐに出ていくため、家のようなものもあまりない。
寝起きするなら長屋の区画なのだが、そこだって探索者が使うための、まさに寝床と呼ぶしかないような小さな部屋が立ち並んでいるだけだ。
荷物がない寝床は、誰も住んでいないから自由に入って使って良い。逆に、荷物がある寝床に侵入したら殺されても文句は言えない。それが前線基地の不文律だ。
不安がるアリアレルムを安心させるように、寝床の入口の前で寝ずの番をしていたティレンの顔に、特に疲れの色はない。階層の探索では前線基地に戻らず野宿することも多い身だ、いちいち寝床を使う必要もない。
起き出してきたアリアレルムを伴い、炊事場に向かう。適当に朝飯を腹に詰めて、二人はすぐに前線基地を出た。
「さて、と。それじゃ行こうか」
「ええ!」
何やら気合十分といった様子のアリアレルム。弓を片手に、警戒感を上げて周囲を見ている。
狼の群れに襲われたことで気を張っているのだろうが、少し過剰だ。
「弓は背負っておいて構わないよ」
「え!? で、でもまた狼が出てきたら」
「いや、襲ってこないから大丈夫」
彼我の戦力差を把握できないほど、頭の悪い獣は少ない。アリアレルムだけならば狙う者もいるだろうが、今はそれを塗りつぶすほどにティレンの気配が濃い。
探索の進んでいない階層であれば襲ってくるものもいるだろうが、探索を完了した階層に住む獣は探索者を十分に脅威として警戒している。周囲の気配を探れば、やはり遠巻きにこちらを探っている気配はあっても、攻撃的な意志を示す気配はひとつもなかった。
「遠巻きにこっちを観察してはいるけどね。もし襲ってきても、その時は俺が君を守るよ」
「そ、そうですか……? なら」
何やらほのかに顔を赤らめて、アリアレルムが弓を背負い直した。
よく分からないが、納得してくれたなら何よりだ。
「じゃ、行こう」
「ちょ、ちょっと早いですよ!?」
「え、そう? これでも普通に歩いているんだけどな」
「歩いてそれですか!?」
悲鳴が上がる。確かに足が速いのが探索者としてのティレンの自慢ではあるが。アリアレルムの必死の走りが、どうやらティレンの普通の歩行と同じくらいの速度らしい。
これはアリアレルムの速度に合わせた方が良いかもしれない。ティレンは手持無沙汰にアリアレルムの周りをくるくると歩きながら思った。
「ああ! 落ち着かない!」
「それはこっちのセリフです!」
***
百七十二層から百七十一層を進む間に、取り敢えず二人の歩く速度の折衷案は何となく確保できた。
ティレンはゆっくりと、アリアレルムは気持ち早足で。
百七十一層では前線基地に寄らず、転移穴から転移穴への一本道だ。
転移穴の前で足を止めると、ティレンはアリアレルムの方に顔を向けた。
モンスターは襲ってこないが、常に早足で歩き続けるのは相当な負担だろう。荒い息を整え終わるまで待つ。
「さて、次の階層はちょっと厄介だ」
「厄介?」
「百七十層。十層ごとの難関だ。神様がこう、普段より気合を入れたところって言われてるから……って、その辺りは君の方が詳しいんじゃないか?」
「そうでもないですよ? 百層まではともかく、その先は全然」
だいぶ死にましたから、とぽつり呟く。
アリアレルムによると、身の軽く魔術に長けたエルフは斥候として迷宮の攻略に種族を挙げて参加し、その大半をすり潰したという。
地上に住むエルフは全盛期の三割程度にまで数を減らした。長命種ゆえに繁殖の遅いエルフという種族は、明確に衰勢に向かっている。
種族としての数が増えるまで、決して迷宮の奥を目指してはならない。時の長老がそんな方針を出したのも無理はない。
「そっか。じゃ、分かりやすく。百七十層は常闇の層。光のない闇の中を進む層だけど、難度はそれほど高くない」
むしろ、能動的に襲ってくるモンスターがいない分、他の階層よりも楽だとも言えた。ただし、例外もある。
「ただ、周囲を探ろうとして光を使うとややこしいことになる。周囲にいるモンスターが突然一斉に襲いかかってくるから」
「!?」
それはもう、どこにこれほどいたのか、と思うほど大量のモンスターが集まってくる。被造物系のモンスターなので自分の命を顧みることもないし、うっかり火を焚いてモンスターに文字通り押し潰された探索者も少なくなかったようだ。
後で調査された結果分かったことだが、ここのモンスターはどうやら常闇の中では人が近づくと遠ざかっていくらしい。
「そんなわけで、前線基地も独特な形をしているんだ。まあ、そんな暗闇の中を執念で完全踏破したっていうから、先輩がたは凄いよな」
「完全踏破……!?」
百層以後、短命種は階層を完全踏破しながら進む方法を選んだ。百八十五層まで進んだ現在、前線基地の設置と完全踏破を諦めた階層は三つ。百十層と百三十層、そして百五十層だ。
百七十層。視覚をほぼ完全に封じられた空間で、前線基地を作って完全踏破するなど神様も予想外だったに違いない。
「じゃ、どうぞ」
ティレンは背中に背負っていた剣を外すと、一時的に左腰に差した。長さの関係で抜くのは難しくなるが、次の階層では戦う予定はないから問題ないだろう。
腰を下ろして、アリアレルムに背中を晒す。理由が分からないのか首を傾げる彼女に、乗るようにと再度促す。
「え、えええっ!」
「いや、はぐれたら死ぬよ? 間違いなく」
「で、でもそんな、幼子みたいな!」
完全な闇の中、はぐれてしまえばアリアレルムに打つ手はない。それは分かっているのだろうが、それでも気恥ずかしいのだろう。顔が真っ赤だ。
一応ティレンも考えたのだ。手を繋ぐ、ロープで互いを結ぶ、背負う。先のふたつは、二人の歩く速度が違い過ぎることからも現実ではないと判断してのこと。
その辺りも説明すると、意を決したのかアリアレルムはおずおずとティレンに身を預けてくる。
「よし、じゃあ行こう!」
すっくと立ちあがり、躊躇なく転移穴に飛び込むティレン。
視界に何も映らない、完全な闇が二人の前にはあった。
辛うじて、転移穴が放つ淡い光だけが現実感を感じさせてくれていた。ここのモンスターは転移穴の光だけは敵とみなさない。収拾がつかなくなるからだろう、というのが先輩たちの分析だった。ティレンもそう思う。
「あの、話すのは大丈夫なんですか?」
「ああ。ここのモンスターは音については気にしない」
心なし小声で聞いてくるアリアレルムに、あっけらかんと答える。
とはいえ、ティレンの中には強い緊張感があった。ここでは自分の位置を判断できる要素が極めて少ない。前線基地も出来た、完全踏破も叶った。だが、その難度が極めて高かったのも確かだし、命を散らした探索者が他の階層より遥かに多かったのもまた厳然たる事実だ。
まずは中継点である前線基地の場所を探す。光が漏れないように分厚い暗幕で覆われたこの階層の前線基地は、この階層の探索者が迷わないような工夫が手厚い。
カアン、と何かを叩くような音が響いた。
この階層のモンスターは、光には反応するが音には反応しない。そんな生態を利用した工夫だ。
「あっちだ!」
「え、ちょ……うきゃあああ!?」
音の出た方向を見定めて走り出す。
一切の加減をせずに走り出したティレンの背中で、アリアレルムの悲鳴が階層を駆け抜けていった。
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