前線基地という名の街
前線基地は、階層ごとに存在する街のようなものだ。
いくつか前線基地が存在しない階層もあるが、それは階層そのものが長時間の滞在に向いていないなど、基地がないなりの理由がある。
五層にひとつ、攻略の困難な『重点階層』が現れることがあり、そんな階層に作られた前線基地は大きく発展する傾向にある。
理由は簡単で、階層の完全探索に時間がかかるからだ。
「完全探索が終わるまで、探索者は次の階層に向かわない。それは知っている?」
「ええ、まあ。どこにどんな秘宝があるか分からないから、よね」
アリアレルムを連れて、ティレンはこの階層の前線基地に向かう。
最前線でなくなった後も、基地はすべて前線基地と呼ばれる。名前を変える必要がなかったからだろう。今も昔も、一層だろうと百層だろうと。
百七十二層の基地は、それほど発展していない前線基地のひとつである。
それでも人の往来は多い。獣系モンスターの多い階層はにぎわうのだ。被造物系のモンスターは良い装備を落とすのだが、食糧が不足しがちなので人気がない。食糧が自前で用意できるというのは発展の大きな材料と言えた。
「よ、ティレン。最前線を外れるなんて珍しい」
「ロビアの旦那。宿願のお届けさ」
「そうかぁ、そいつはめでたいな! ……ガルガバンの秘石はまだ発見されていないか?」
「そういう石の存在は聞かねえなあ。この階層は掘り尽くしたのかい」
「いいや、まだだ。倅や娘に宿願を引き継がせることにならなきゃいいんだが」
ぶつくさとぼやきながら歩き去っていく大柄な男。アリアレルムがこそこそと近づいてきて、耳打ちしてくる。
「し、知り合い?」
「ああ。第六世代のおっさんだな。レッドオークの血が強く出たみたいで、第六の割には強い人だよ」
「レッドオーク……ガルガバンの秘石って?」
「知らね。レッドオーク族の伝承にある大層な石らしいけど、俺の宿願にはかぶってないし」
ティレンたち探索者にとって重要なことは三つしかない。ひとつ、自分の宿願かどうか。ふたつ、探索に役立つかどうか。みっつ、階層の攻略に必要かどうか。
迷宮で生まれ、迷宮を踏破するために生きている探索者はそもそもの物欲が薄い。目の色を変えるのは宿願の秘宝と、出土する武器や防具。
「ティレンさん。背中のその剣も、迷宮で見つけたもの?」
「ああ。『白銀のヴァル・ムンク』って名前らしい。大物相手に使うようなやつだから、普段は抜かないけど」
普段はこっち、と腰に提げた骨製の刃物を叩く。斧なのか鉈なのか判断に困るような形だが、切れ味は十分だ。
「バロンベアの顎の骨から削り出した刃物でね、取り回しがいいから愛用してる」
「バロンベア?」
「そういう名前らしいよ。ヴァルフ……相手の名前とか分かる能力を持っている奴が言ってた」
アリアレルムは浅い階層から来たせいか、装備が貧弱すぎる。ここの基地で揃えようかと思っていたが、難所を抜けるにはここの装備でも少々心もとないか。
ともあれ、当座の間に合わせは必要だろう。アリアレルムを連れて、基地の中央付近に立ち並ぶ露店に足を運ぶ。
「知った顔がいるといいんだけどなあ」
視線を巡らせる。食材や装備を置いた店が何軒も並んでいるが、足を止めている客はほとんどいない。
装備を並べてある店の奥を覗き込み、四軒目でようやく見知った顔を見つけた。小人だ。ゴブリンと違って肌の色が浅黒く、髭が濃い。長命種のドワーフに似ているが違うというのでティレンの記憶によく残っていたのだ。
「や、久しぶり」
「おお、久しぶりだな! ええと」
「ティレンだよ。そっちは?」
「グマグだ。どうした、あんた確か第八世代だろ? まだまだ最前線にいるもんだとばかり」
顔見知りとは言っても、互いの名前を覚えているような間柄ではない。ティレンは常に先へ先へと進む探索者であり、グマグは階層を動き回る商人だからだ。
グマグの疑問も当然のことだ。ティレンは頷いて事情を説明する。
「宿願の品を見つけたもんでね。初めての地上行きさ」
「そうか! そいつはめでたい。おめでとう」
「あんがとさん」
だがグマグの怪訝な表情はそのままだ。自分の店に顔を出す理由が分からないのだろう。ティレンにしても、グマグの店に並んでいる装備は型落ちの品でしかない。
少し後ろにいたアリアレルムの方を指差すと、グマグも珍しいものを見たと目を見開く。
「転移罠にかかったらしい。地上行きのついでに送っていこうと思ってさ」
「エルフじゃねえの。転移罠っつったって、あんたら百層より先には立ち入らないはずだろう?」
「百層飛ばしの転移罠だそうだ。俺も初めて聞いたよ」
「百層飛ばしィ!?」
唖然としてじろじろと観察するグマグ。不躾な視線にアリアレルムも所在なさげにもじもじしている。
ティレンは袋の中をごそごそと漁ると、そこからダイヤホーンの角を取り出した。
「戻るにしても、この貧弱な装備じゃ不安でさ。こいつでそれなりの品を見繕っちゃくれないか」
「あんた、これ! ダイヤホーンの角じゃあねえか! しかもまるまる一本!」
ダイヤホーンは角の生えた鹿に似たモンスターだ。角は極めて硬いが衝撃に弱く、彼らは敵に突進して角を突き刺すと、それを根本からへし折って逃げるという戦術を取る。角は日数が経てばまた生えてくるらしく、その辺りには躊躇がない。
槍にするにも役立たないので探索者には不評なのだが、地上の好事家たちは何やらこの輝きが好きで仕方ないらしい。
「今の最前線には群れで棲んでる。こっちに来る前に狩ったやつだよ」
「そういや今の最前線は百八十層を越えたんだって?」
「百八十五層だな。階層のヌシは倒したから、今は探索の時期だよ。価値が下がる前に仕入れるなら今のうちだよ」
「そうかあ、いいことを聞いた。よし、うちにある一番の装備を見繕ってやるわ」
品というよりは情報に価値を見出したらしいグマグは、アリアレルムを手招きして店の奥に声をかける。
「おうい、ヘレン!」
「あいよぉ!」
奥から顔を出したのは、グマグ同様に小柄な女性だった。迷宮を歩く商人は店員など雇わないから、嫁さんだろう。
「一番良い装備を、この姉ちゃんに用意してやってくれ」
「なんだって? 随分と気前がいいじゃないか」
先程のグマグと同じような顔をしたヘレンだったが、ティレンの顔とグマグが握っているダイヤホーンの角を見て何やら相好を崩す。
「あいよ! 任せときな」
ヘレンは満面の笑みでアリアレルムの手を引くと、店の奥へと連れて行く。
姿が見えなくなったところで、ティレンはグマグに視線を戻した。
「そういや、転移石はあるかい?」
「いや、在庫はねえな。この階層で持ってるやつの噂も聞かない」
「そっか。そりゃ残念だ。途中で手に入るといいんだがなあ」
「自分用のはねえのかい」
「一個はあるよ。ただ、今使ってもあまり意味がないんだよな」
転移石は迷宮でのみ産出する、階層を瞬時に移動できる宝石だ。それなりに希少な品で、探索者でも持っているのは一つか二つしかない。
また、転移出来る階層は自分が行ったことがある階層だけなので、百六十層生まれのティレンの場合、百五十九層から下層には飛べない。転移罠で階層を飛んでしまうと戻れないとも聞いたことがあるから、どうやら行ったことのない層を挟んでも飛べないらしい。
一方で、行ったことのない階層でも他の人間の転移には同行することが出来る。奇妙にガバガバなルールなのだ。
「まあ、地道に行くしかないかねえ」
「だな。あんたなら問題ねえだろうが、あのエルフの嬢ちゃんはしんどい旅路だ」
二人同時に奥に視線を送る。
この辺りにいる商人もまた、迷宮生まれがほとんどだ。力不足の探索者が商人になることはあるが、不思議と商人の子供が探索者になる例は少ない。
この辺りの商人であれば、数人いれば階層から階層への移動が出来るくらいの実力はある。とはいえ、グマグにはアリアレルムがこれから感じるであろう辛さがある程度は分かるのだろう。
「ま、少しでいいから気遣ってやりな。あんたらの基準だとすぐにぶっ倒れるぞ、あの嬢ちゃん」
そんな忠告が、ここまでの会話で一番実感のこもった言葉だったのだから。
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