長雨の晴らし方

鈴木無花果

長雨の晴らし方

 秋雨ハナは28歳にして破滅的な毎日を送っていた。

 趣味は仕事と酒。仕事が終わったら終電まで飲む。たいてい終電は逃す。貯金はマイナス。女一人、死ぬもんじゃなし、どうでもいい。


「ハナちゃん、今日はもう閉めて洪水対策するから帰ってよ」

「まだ飲めるのに飲まぬなど酒に無礼極まりない……」

「はいはい、酒には俺から謝っておくから」

 長雨の続く横浜市。6月の深夜2時。

 ハナは今日も終電を逃していたが、常連のバー『モンスターズ』で始発を待つという目論見は大雨によって叶わず、店の傘と一緒に叩き出されてしまった。

「うら若き乙女を深夜に放り出すたぁ、横浜って街は冷たいねぇ……」

 タクシーも拾えずにフラフラしていると、道端にうずくまって少年が泣いている。10歳かそれくらいだろうか。

 ボロボロの和服に草履、それから大きな番傘を抱えている。

 ハナは面倒ごとは好まない。そして面倒ごとを呼ぶのはいつだって人間だ。酒だって一人で飲んで、一人でつぶれるのが一番いい。いいのだが、でも今日は飲み足りなくて人恋し過ぎたので話しかけちゃいました。

「少年、迷子かぁ?家はどうした?」

「逃げてきた」

「家出か~、じゃあウチ来るかぁ~?」

 ヘラヘラと笑うハナが差し出す手に、少年は少しためらってから、手を伸ばした。

「ハルサメ」

「名前?」

「うん」

「あたしは秋雨ハナ。雨同士じゃんか」

 ハナが酒臭い息で笑うとハルサメはようやく泣き止んだ。部屋に着くころには雨があがっていた。



「ハナ、これは……良くない」

 翌朝、ベッドで目覚めたハルサメが目にした光景は「破滅」の一言だった。

 ハナなりの気遣いだったのか、着せられたTシャツは洗濯したばかりの綺麗なものだったし、ベッドの上にも新しいタオルが引かれていた。それ以外は破滅。

 いつのものか分からない食器、カップラーメン、ペットボトル、空き缶の山。

 ごそ、とゴミの山が動いたと思えばハナその人であった。

「……誰?」

「ハルサメ!」

「あー、大声やめて、頭痛い……」



 というわけでハナとハルサメの歪んだ共同生活が始まったが、壊滅したハナの生活は変わらなかった。むしろハルサメが掃除洗濯をこなすので、服を洗濯機に持っていくことすらしなくなり、玄関で半裸で眠るハナをベッドに引きずっていくのがハルサメの日課になった。

 さらにハルサメに求められたのは、ハナが退屈な日(つまりほとんど毎日)に居酒屋やらダイニングバーやら連れまわされる先で、ハナのクダを巻き取ることだった。

「ハナちゃん、未成年はちょっと……」

 金曜日のハナのルートは決まっている。2軒目で終電を逃して3軒目で『モンスターズ』。

「じゃあこの子を一人で家に置いとけってんですか!あぁなんてかわいそうなハルサメちゃん!」

「家で飲めばいいでしょ……」

「おじさん大丈夫!ハナはもうちょっとしたらちゃんと帰します!」

「ハルサメ君いい子だね~。クリームソーダ飲む?」

 それで翌日の土曜日は大抵、ハナは二日酔い、ハルサメは寝不足でうんうん唸った。そんな日は雨がしとしと降っていた。



 ひと月ほど経って、ハルサメの保護者にあたりがつかないことが、流石のハナも気になり始めてきた。

 気になるのはそれだけじゃない。この子には不思議なところがある。

 ハナが思うに、ハルサメは雨を操っている。リンクしていると言う方がいいか。

 ハルサメが悲しむとき、その日は必ず雨が降る。

 ハナが酔っ払って部屋に吐瀉してみたり、酔っ払って『モンスターズ』にハルサメを置き忘れて来たり、酔っ払ってハルサメの番傘に穴を空けたり(直しました)、ともかくハルサメが悲しんだ時には雨が降る。

 ハルサメは「逃げてきた」と言った。それはどこから?

 雨を自由に降らせることができたなら。

 農家であれば、日照りにおびえなくて済むだろう。

 しかし世の中善人ばかりじゃない。

 例えば人為的に洪水を起こすことで、街や村を丸ごと飲み込んでしまうことだってできてしまう。

「危険人物……には思えないけどね……」

「ハナ!お掃除するから早く起きて!」

「へいへい」

 このまま一緒にいるわけにはいかないと、ハナも理解はしている。

 らしくないと思う。秋雨ハナらしくない。今を手放したくないと思うなんて。



 快晴の土曜日の午後だった。ハルサメの番傘を日傘にして、2人は手を繋いで歩いていた。

「あたしの午前中はどこにいったんだ……」

「ハナが寝てたから無くなった。ご飯はやく」

 ハナとハルサメがやっぱりフラフラ歩いていると、スーツ姿の若い女が立ちふさがる。地味な黒髪に眼鏡。

「やっと見つけた。雨の子供」

 とっさにハルサメがハナの後ろに隠れて手を握る。

「どちらさまですか」

「突然すみません、私は橋本といいます」

 差し出された名刺には「能力開発機構」と書かれている。

「その……、彼を保護するための団体の者です」

 手のひらでハルサメを指す彼女を見てハナは動揺する。見ないふりをしていた現実と直面する予感。

「はぁ、でもこの子、逃げてきたって言うんで、ちょっと信用が」

「はい、彼の元の家……、ひどい人が主人でした。その、詳しくは言えないのですが、彼を悲しませることをたくさんしていました。その必要があったんです」

 橋本が俯いて表情を曇らせる。意外と感情のあるタイプの人間かもしれない。

 その主人がハルサメを悲しませたのは、雨を降らせるためだろう。

 そうだ、世の中善人ばかりじゃない。

「その主人から彼を保護する作戦の混乱の中、彼は自分で逃げ出しました。またあの男のような人間に見つからないよう、彼を保護したいのです」

「あってる?ハルサメ」

「あってる……」

「そうかぁ……」

 ということは、むしろあっちからすると、ハナの方が不審人物だ。突然消え去った少年をいつの間にか確保して連れまわしているのだから。

「雨の子供、ハルサメ君って言うんですね」

 橋本が膝をついて、ハルサメに目線を合わせて優しくほほ笑む。

「ね、ハルサメ君、私たちのところに来てほしい。きっとあなたを守るから」

 イヤになる。この人なら大丈夫そうだ。少なくとも自分よりは。



 部屋のドアを開けた勢いで冷蔵庫のドアを開けて、中から発泡性リキュールを取り出して一気に飲み干そうとして半分のところでむせた。

 久しぶりに一人でいる部屋はやけに広く感じる。足の踏み場もない部屋だったのに。ハルサメが掃除をしてゴミの山を捨てたから。

 そうだ。そもそもハナがハルサメの面倒を見てたワケでもなし。むしろ面倒を見られていたのはハナの方だ。ハナはだらしがないし金もない。

 行きたくないと泣いてくれたハルサメには申し訳ないが、自分なんかよりもきちんとした人のところに預かってもらうのが正解だ。それがお互いのためだ。

「うっ、うううううぅぅっ……」

 そう思っても、寂しくて涙が止まらなかった。

 外では強い雨が降っていた。



 日本列島は記録的な長雨に襲われていた。

 晴れ間が無くなってからひと月経った土曜日。ハナはいつも通り二日酔いで玄関に倒れていた。

 ピンポン、とインターホンが鳴る。

 多分ケースで通販した酒だ。置き配設定にしてあるんだけど。

 ピンポン、ともう一度鳴る。ピンポン、ピンポン。

 舌打ちして立ち上がる。

 ドアを開けると、スーツに眼鏡の女と、番傘を抱いた男の子。

「へ?」

「ハナ、また朝まで飲んでたの?」

「……そりゃ、そうだけど」

「ねぇハナ、あのね」

 ハルサメがハナの手を握る。

「ハナ、ハルサメはね、これまでずっと、暗いところで、雨が必要だって殴られて。すごい、悲しかった。逃げた後も、ひとりぼっちで、悲しかった」

 でも、と言いながら鼻をすする。

「ハナだけが一緒にいてくれた。ハナが一緒にいてくれないと、涙と雨がとまらない」

 ハルサメの涙が玄関に水のあとをつけていく。

「我々の機構としても、これ以上、ハルサメ君をハナさんと引き離しておくことは、大きな災害に繋がってしまうと判断しました」

「その、それはつまり……」

「ハナ、ハルサメと一緒にいて。もう、離れるなんて言わないで」

 ハルサメが胸に飛び込んでくる。

 ハナはそれを強く抱きしめる。

 雲の切れ間から、光が差しこんだ。

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