第11話 開花の春
これはつい先週の話。わたしは正月休みを使って二日間だけ地元青森へ帰省した。本当はもっとゆっくりしたい気持ちもあったけど、今月末にレースを控えているから、そんなに長くはいられなかった。すべてが終わって落ち着いたら、一週間くらいかけて色々な人と会って話したいと思っている。
今回は絞って、どうしても会いたい人とだけあった。カンナは特に変わりなさそうで、安心した。小さなカフェでコーヒーなんか頼んで、それにひとつも口をつけずにずっとくっちゃべった。
「いいの? レース近いのに帰ってきて」
「二日くらいどってことねぇって。そんなカツカツのスケジュールでいまさらやらないから。それにこっちでも朝走ってるしさ」
「ありがとね、ウチの子らと走ってくれて。すごい喜んでたよ、よっちゃんと一緒に走った〜! って騒いでた」
「楽しそうだったね、なんかね。朝からえらい近所迷惑だったんちゃう?」
「出た! 関西弁」
「そら、もう二十年以上住んでますから。こっちで生まれ育った期間超えちゃったもんね〜」
「代利子には関西が合ってたんじゃない? アンタ、昔から新喜劇とか見てたし」
「そうなんだよね〜。高校で陸上部なんかに入っちまったおかげで人生激変だわ、ホントに」
「高校で辞めるってずっと言ってたのにね」
「思ってねぇからな、陸上で就職するなんて。今でもドッキリじゃねぇかと思ってますよマジで」
「世界でメダル獲るドッキリとかねぇべ」
「んだなぁ。四半世紀もドッキリは続かねぇべな」
「アンタは地元のヒーローよ」
「かな?」
「ウチの子、明日自慢するって。学校の友達に『ママの友達の三上代利子と一緒に走った!』って」
「アハハッ! 呼び捨てかよヒーロー!」
「好きなのはホントだよ。テレビでもレースがあれば欠かさず観てるし、競技場に来たこともあるんだよ」
「来たことあった? それ、赤ん坊の頃じゃねーの?」
「……だったかな?」
「んだべー。カンナの膝上にゆう坊ちゃんが座ってたのは見た記憶あんもん。それ以外の記憶はねぇ!」
「……あ、そっか」
「ん?」
「記憶ないはずだわ。だって、ユウと一緒に行ったのって、二年前のあの……」
「……あぁ〜! ないわ! そらないわ!」
「あるわけないよね」
「ない! ぶっちゃけ何にも覚えてない!」
「あのレース、みんな笑い話みたいにするけど……」
「うちの親父さんもお母ちゃんも、あのレースだけは見返せないっつってるわ。なんつうの? 痛々しいっていうか。身近な人ほどあれ観れないって言うね」
「……ラスト、観に行くからね」
「うん、来て。ゆう坊と一緒にさ」
「代利子らしく、楽しそうに走ってくれてたらタイムや順位はどうでもいいわ」
「ひっど! こちとら鮮やかに勝って締めようとしてんのにさ! なんならもっかい日本記録出して引退してやるつもりなのに!!」
「……アンタならマジでやりそう」
「つもりね、つもり」
「一番近くで三年間も見てたから、アンタの言うこと全てが実現可能だと思えちゃうんだよ──」
今振り返れば、陸上がわたしの人生を本格的に動かし始めたのは高二の時だったんだろう。それでもまだ実家を継ぐつもりでいるのは変わらなかったが。
一番初めに掴んだ瞬間は忘れていない。走る姿勢、足を踏み出す間隔、着地の感覚、全てがバッチリハマったあの瞬間のこと。四月、練習中に“自分だけの走り方”へと突如辿り着いたわたしは、初めてカンナよりも前で三千メートル走を終えた。
いつもは走り終えると地面に座り込んでいたのに、この時はほとんど疲れを感じていなかった。それを超越する感動が、自分の中だけで溢れ出ていた。走り続けているうちに、ランナーは誰もが自分と向き合うようになるものだと思う。わたしも入部して一年で、そのスタートラインに立ったのだった。
膝を立てて座ってわたしを見上げていたカンナの驚いたような表情も、合わせ技一本でわたしの記憶の中にこびりついて離れなかった。
カンナは最後にこう言っていた。
「──あん時“コイツ恐ろしいな”と思ったよ。どこまで伸びていくんだろうって。私とは全然違うな、って初めて思い知らされたのが、あの三千メートルだったわ」
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