第6話 青森県高校新人陸上競技大会
これまで本当にたくさんのレースに出場してきたので、走っていたはずなのにあまり記憶に残っていない、なんてことも実際多いのだけれど、さすがにこのデビュー戦のことは覚えている。
九月の上旬で、ようやく夏の暑さが過ぎ去ってくれて、ちょうど雲が太陽を覆い隠していたタイミングで女子千五百メートルの予選がスタートした。
四戸高校陸上部は、口裏合わせしたわけではないのにスタートから縦一列に並んで走っていた。果敢に先頭に立ったのはカンナだった。この頃のカンナは思い切りの良いレーススタイルで、最初から最後まで前に立って後ろの選手を圧倒して勝とうとしていた。実際、県の予選レベルだったらそれが出来ていたので大したものだと思う。わたしはカンナの背後というベストなポジションをキープして、入りの一周を終えていた。
走りながら思っていたのは、陸上競技場の地面っていつもの土のグラウンドと全然違うな──ということだった。四戸高校は普通の県立高校なので、陸上部専用のトラック練習場などなく、少なくともレース本番で走るのはこの時が初めてだった。クッションが効いていて、地面を弾いて走るような感覚を覚えた。こりゃ走りやすいな、と思った。
レース前に浅井監督からはこう言われていた。
「残り一周になったら鐘が鳴るから、それに合わせて仕掛けてみろ」
仕掛け、ってなんだ? よく分からなかったが、なにかしろ、ということだとわたしは受け取った。浅井監督は怖い人ではないということはもう分かっていたけど、練習と試合で人が変わる指導者もいる。中学のバレーボール部の監督は練習中はそうでもなかったが、試合で指示通り出来なかったりすると怒鳴り散らした。試合中は怒らず裏側でキレるのは勘弁してほしかった。
指示を無視されるのは、大人にとっては子供からバカにされたように感じるのかもしれない。そのトラウマがあったから、わたしは浅井監督の言葉をなるべく実行しようと、鐘が鳴った瞬間に全力でスピードを上げた。カンナを追い抜き先頭へ。浅井監督が大声で何か言っている。名前だ。わたしの名前を叫んでいる。いいぞ! って聞こえる。あれはホッとした。これで間違っていなかったのだ。
わたしは先頭でゴールを目指して突っ走ったが、残り半周で急に失速した。脇腹に差し込むような痛みが出て、身を捩らせながらなんとか足だけを動かす有様になった。そんな姿勢ではスピードを維持できるわけもなく、わたしは後続に次々と追い抜かれた。必死の思いでゴールまで辿り着いた頃には、もう全員がゴールしていた。わたしのレースデビューは、予選最下位で終わった。
情けない気持ちだったけど、誰もわたしをバカにしたりしなかった。同走した他の学校の子からも、勇気あるね! とか、思い切り良くてすごかった! とか、最下位なのに褒めてもらってばっかりだった。全体の二位で決勝に進んだカンナも、わたしの背後から抱きついて
「アンタが最後目標になってくれて、超レースしやすかったよ。あんがと」
ってイタズラっぽく言われた。このヤロー! って、わたしはカンナの髪をガシガシかき混ぜたりした。
浅井監督は、満足そうな顔でわたしを見ていた。無口な監督だけど、それだけで気持ちが伝わってきて、わたしまで満足した。
この後、就職してから県の陸上協会の人達から聞いた話だと、このレースの時点で「四戸におもしれぇのがいる」って話題になってたらしい。
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