第61話 騒がしい休日③

 レヴィンは裏門を抜けて研究棟に急ぐ。

 リンダ・リンドバーグが待ち受ける研究棟はアカデミーの本校舎を挟んだ寮とは反対の位置にある。アカデミーの敷地を突っ切るのが一番の近道だ。


「遠回りになるが、人通りの少ない街の裏路地を通って向かうか」


 だが、他の学生に研究棟に向かうのを目撃されたら面倒だ。

 それにジルが先回りして本校舎の一角にある【冒険者ライブラリー】の付近でレヴィンが来るのを張っている可能性は否めない。

 できるだけアカデミーの本校舎には近づかないほうがいいだろう。


 ところが、二度あることはなんとやら。


「レヴィンくーん! 朝の散歩かーい!」


 よりにもよって金髪眼帯エルフの青年と裏路地で出くわす。


(なんでミカエルが……いや、モデルやスイーツ王子として名を馳せるこいつが、目立たぬように裏路地を利用するのはそれほど不思議なことではないか……)


「最近、王都で評判のパン屋さんで焼きたてのクロワッサンを買って来たから! 一緒に食べないかーい?」


 白髪青年の気も知らずエルフの美丈夫びじょうぶが紙袋を掲げて嬉しそうに駆け寄って来る。


「違いまーす! 人違いでーす!」


 ここで捕まったらまた長くなる。レヴィンは逆方向に猛ダッシュ。

 

「ちょ、ちょっと! なんで逃げるのレヴィンくん!」


 なぜかミカエルが追いすがってくる。


「貴様! なんで追いかけてくるんだ!」

「レヴィンくんが逃げるからだよ!」

「人違いって言っただろ!」

「いや、無理だよ! バレバレだよ!」


 ぐんぐんと金髪眼帯エルフが迫ってくる。

 重い鎧を脱ぎ捨てた軽装のミカエルの身体能力は侮れない。


「どうしてこんな朝早くから出歩いているわけ? 大人しくしてなきゃダメじゃないか! レヴィンくんは死んだんだよ? 早くダンジョン探索に復帰したい気持ちは理解できるけど、今は無理する時じゃない!」


 同じような忠告をされるのはこれで何度目か。


(くそったれ……このままでは追いつかれちまう)


 迷路のような裏路地や障害物を駆使してどうにか距離を保っているが、体調が万全ではない状態での盾役タンクとの体力勝負はさすがに分が悪い。


「ミカエル! 頼む! 見逃してくれ! 大事な用事があるんだ!」


 人のいい金髪眼帯エルフならワンチャンあるんじゃないかと懇願してみるが、今日のミカエルは頑なだった。

 

「嫌だ! レヴィンくんにボクと一緒に焼きたてのクロワッサンを食べることより大事なことなんてないよ!」


「……あるだろ! あるある! 逆に焼きたてのクロワッサンを食べることより大事なことがない人生ってなんなんだよ!」


「仮にあったとしても焼きたてのクロワッサンを食べるほんの少しの時間すら取れないなんて絶対におかしい! レヴィンくん! なにか隠してるでしょ!」


 目敏いお姫さまである。

 直後だ。なぜかミカエルが足をぴたりと止める。


「ねえ……レヴィンくん! もしかしてボクのことが嫌いになったのかい!」


 無人の裏路地に金髪眼帯エルフの悲痛な声が響く。


「は? いや、なんでそうなる?」


 白髪青年も足を止め振り返る。


「だって! 甘いもの好きのレヴィンくんが焼きたてのクロワッサンが嫌いなわけないだろ?」


「むしろ大好物だ!」


「でしょ? ということは逃げてる原因はボクだろ? 君に嫌われたのだとしたらボクはとてもつらいよ……泣いちゃいそうだ」


 途端に金髪眼帯エルフがしゅんと肩を落とす。


「ボクは君と秘密を共有できていることが嬉しい。とても救われている。でも、それってボクの重荷を君に無理やり背負わせてるってことでもあるんだよね……」


 金髪眼帯エルフが切なげに目を歪める。

 白髪青年は咄嗟に叫びそうになる。


『分かったミカエル! 一緒にクロワッサンを食べよう!』


 純粋な彼女を悲しませてしまうことが心苦しい。命を救われたというバフの効果もあって今すぐ抱きしめてやりたい衝動に駆られる。

 だが、しかし、ジルとロイスからのがれておいてミカエルにだけ捕まるわけにはいかない。


 しばし無言で見つめ合う二人。

 すると、ゴミ出しのために勝手口かってぐちから出て来たネグリジェのおばちゃんが、


「事情はよく分かんないけど、あの子の気持ちにちゃんと応えてやりな!」


 横切る際にレヴィンの背中をバチンと痛いくらいに強く叩いてゆく。

 ネグリジェのおばちゃんはゴミ袋を所定の場所に捨てると、再びレヴィンたちの前を通り過ぎ、最後に親指をぐいっと立てて勝手口の中に消えてゆく。



「いや、誰だよ!」



 そう心から思ったが、言ってることは間違っちゃいない。

 白髪青年は金髪眼帯エルフに背中を向ける。


「貴様の言う通りだ。他人の秘密を抱えるのは重荷だ。正直、うんざりしてる」


「……やっぱり」金髪眼帯エルフが声を曇らせる。


「勘違いすんなミカエル! それだけの価値があると思ってるから俺様は秘密を背負ってんだ!」


「……え?」


「俺様の分のクロワッサンは取っておけ! 用事を済ませたら食べに行く!」


 走り出したレヴィンの背中に金髪眼帯エルフの晴れやかな声が届く。


「うん! 分かった! 帰ってきたら一緒に食べようね!」


     ◆◇◆◇◆


 白髪青年は息せき切らして研究室の扉を開け放つ。

 分厚い書籍や謎の物体で埋め尽くされた煩雑はんざつな室内が視界に広がる。

 その最奥さいおうに白衣の女性が背を向け腰掛けていた。


「お望み通り来てやったぞ! リンダ・リンドバーグ!」


 白衣をまとったメガネの女性が椅子をくるりと回転させて振り返る。


「やあ、待っていたよ。レヴィン・レヴィアント」


 二十代後半とおぼしき大人の女性はメガネをくいっと持ち上げて、色鮮やかな唇に余裕の微笑みを浮かべる。


「朝からだっただろ? さあ、ソファーに腰掛けて。紅茶でも飲んで一息ついてくれたまえ」


 ローテーブルには湯気のたゆたう淹れ立ての紅茶が置かれている。レヴィンが来るタイミングを完ぺきに見計らっていたかのように――。


(この期に及んで、毒や薬を盛るとかはさすがにないだろう……仮にそうだったとしても毒を食らわば皿までの精神だがな)


 白髪青年はソファーに腰掛けると、迷うことなくティーカップに口を付ける。

「……美味い」

 琥珀色の液体をまじまじと見つめてしまう。甘くて口当たりのいい紅茶だ。実にレヴィン好みである。


「美味いだろ? 貴君きくんの好みに合わせてみた」

 

 彼女は見透かすように目を細め優雅にティーカップを傾ける。

 それから彼女は机の上でおもむろに両手を組むと、



「改めまして。私がのリンダ・リンドバーグだ」



 そう悪びれることなく告げるのだ。

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