深き山にて
kou
第1話 登山
木々が茂る登山道。
道端に花が咲いている。高山植物の一つだろうか、平地では見ない形に癒やされるものがあった。
そこを、一人の女性が登っていた。
およそ登山に似つかわしくない、風貌の女性だった。
肌は白く透き通り、まるで陶器のようであり、その瞳は深く澄み渡り、まるで宝石のように輝いていた。
髪は長く艶やかで、風に揺れ光を放っていた。
気品があり、どこか近寄り難い雰囲気があったのは、都市部に住むシティーガールだからだろうか。
それとも、彼女の生まれ持った気質なのだろうか。
細い手足と華奢な身体つきで、およそ汗水を垂らして山登りをするタイプには見えなかった。
最新のファッションに身を包み、綺羅びやかなアクセサリーを身につけて、颯爽と街を闊歩する方がよっぽどお似合いだろう。
彼女が登山慣れしていないのは着ているベースレイヤー、トレッキングパンツ、登山用ザックに到るまで全て新品とまで新しくはないが、年季の入っていない物ばかりだ。さすがに昨日今日始めたばかりの素人という訳ではなさそうだが、それでも経験者と言うほど熟練している訳でもなさそうだった。
名前を片木美生と言った。
美生は時折休憩を挟みながら、ゆっくりと着実に一歩ずつ歩みを進めていった。
しかし、それは、決して楽をしているわけではなかった。
美生は息が上がりそうになる度にペースを落とし、呼吸を整えてからまた少しだけ速度を上げて歩き出すといった具合であった。
標高はすでに1200mにまで達しており、酸素も薄くなっていた。
標高0mの酸素濃度を100%とするなら、標高1200mは87%にまで下がる。
それだけ空気中の成分が少なくなっているということであり、気温の低下も相まって体感温度はかなり低くなっていた。
だが、美生はそれを苦にしている様子はなかった。
むしろこの空気を心地良さそうにしている。
スマホのGPSと地図とを照らし合わせる。
ルートは山頂に向かっておらず、尾根に向かって進んでいた。
だが、それで良かった。
進むその先に山小屋が見えた時、美生の表情に安堵の色が浮かぶ。
自然と笑みがこぼれていた。
思い描いていた通りの光景が広がっていたからだ。
時刻はすでに夕方を迎えようとしており、西日に照らされた雲海は橙色に染まり始めていた。
美生はその光景に見惚れてしまっていた。
こんなにも美しい景色を見たことがなかったのだ。
今まで自分が生きてきた世界とは、あまりにもかけ離れた美しさだったからだ。
だが、美生はこの景色が見たかった訳では無い。
決して、高い山に登りたかった訳ではないのだ。
美生は足取りを早めた。
早く小屋に行きたくて仕方がなかったのだ。
この美しい光景を見てみたい気持ちもあったが、それよりももっと別のことがしたかったのだ。
足を進めていくと小屋は木々に埋もれて見えなくなったが、構わずにそのまま進んだ。
音が聞こえてくる。
叩き割る音。
薪割りの音。
すると突然視界が広がり、山小屋が現れた。
丸太造のログハウスのような外見をしており、煙突からは煙が立ち上っている。
小屋の前にはテーブルが置かれていて、その近くで斧を振るう一人の青年の姿があった。
やや筋肉質ではあるが、特別鍛えているという訳ではないらしい。
髪型はやや長めの前髪を七三分けにして後ろに流し、額には玉の様な汗を浮かべている。
肌の色は浅黒く焼けており、逞しく精力的な印象を受ける顔立ちをしていた。
服装は白いTシャツに、ジーンズを履いている。
腰履きではなく裾上げされているようで、足首が見える程度の長さしかなかった。
美生は男性の姿を認めると、笑顔になって男性の名を叫んだ。
「祐之!」
男性・崎谷祐之は斧を振り下ろしていたが、声を感じて振り返ると目を見開いて驚いたような顔をしていた。
「美生……」
祐之は呆然と呟くように言う。
祐之の足元には割れた薪が散らばっており、それが先程まで祐之が何をやっていていたのかを示していた。
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