2 Sunny Day 2
シンキョウトの中でも様々な企業のオフィスが集まるビル群の一角に、
ふたりが暮らしているシェアハウスから徒歩十分の場所にある最寄り駅から地下鉄シンキョウト線に乗り、五駅目で下りてさらに徒歩十三分。
夏の盛りであるいまは、通勤のために屋外を歩いているだけで汗が全身から滝のように流れ落ちる。
朝からけたたましい蝉の鳴き声を聞いているだけで、汗の量は倍増する。
「そういえば、
電車内の動画広告で流れていた五山の送り火が気になったのか、通勤の人の流れから外れて無人コンビニでミネラルウォーターを買いながら優雅がぽつりと呟いた。
「オレたちも現地では見たことないね」
「オレたちは
「地元民ってのは、案外そういうもんじゃないのかな」
「来月の五山の送り火、一哉誘って観に行かないか?」
「まぁ、いいけど。仕事のスケジュール次第だね」
複数の企業が入居しているオフィスビルのエントランスを抜けると、優雅と風雅はちょうど扉が開いたエレベーターに乗った。タッチパネルで行き先の階を指定する番号を押す前にウェアラブルデバイスをパネルにかざすと、扉が閉まると同時にタッチパネルの表示が変わる。一般の来訪者は指定できない階の番号を押すと、エレベーターは地下へと向かった。
「おーすっ」
「おはようございます」
地下階でエレベーターを降りて廊下を進んだ先にある人材派遣会社HRの事務所の扉にウェアラブルデバイスをかざして開け、優雅と風雅は挨拶をする。
「おはよー」
受付用のカウンターは空席だったが、パーティションの奥から声が響く。
「あれ?
事務所内にはテーブルと丸椅子、バランスボールが二つ、それに五十インチのディスプレイとゲーミングチェアがある。
「今日は夏期講習があるから、夕方にこっちに顔を出すってさ」
事務所の中でパソコンに向かっていた
腰まで届くくらいに伸ばした髪をオレンジ色に染めてうなじでひとつに結んでいる723は、痩せぎすだが180センチある。いつも中性的な服装をしているので外見からは性別が判断しづらいが、男性だ。
「夏期講習?」
「学生は夏休みだからって勉強は休めないんだよ」
「あ、いまって夏休みなのか!」
優雅が素っ頓狂な声を上げると、風雅が顔をしかめる。
「今日が何月何日かわかってる?」
「七月か八月! 夏だしな!」
優雅が雑な返事をする。
「
723が苦笑する。
328とは優雅の、428は風雅のコードネームだ。
ここではお互いをコードネームで呼び合う決まりになっている。
「アニキは?」
「
「ふーん」
「アニキはボクと違って八幡の信頼が厚いから、さ」
「八幡のパシリにされているように見えるけど? そもそも、AIが人を信頼したりする?」
優雅が指摘すると、723は笑みを浮かべたまま「さぁ?」と首を傾げた。
『八幡』は人工知能だ。
「
723はパソコンに視線を戻して答える。
人材派遣会社HRの裏の顔は、『10008』という犯罪組織だ。
優雅と風雅は、この10008のメンバーとして犯罪行為に手を染めている。
10008は数年前からSNS上でその存在を知られていたが、一時期活動を停止していたためいまや都市伝説のように語られることが多い。
現在、この10008を率いているのは877というコードネームで呼ばれる学生だ。実は10008は一度解散している。その10008を復活させたのが877とアニキだ。
優雅と風雅が『アニキ』と呼んでいる男は
いわば10008は現在第二期メンバーで活動しているのだが、アニキは第一期メンバーとして10008に所属していた人材であり、それだけに10008の主軸であるAI八幡から頻繁に指令を出されて多忙を極めているという立場にある。
AIの辞書には『公平』という単語はないのだ。
「877が来たらミーティングをするけど、八幡が新しい依頼人を選出したんだ」
723はパソコンから顔を上げずにふたりに告げた。
「へぇ。どんな依頼?」
優雅はさっさと自分の定位置であるゲーミングチェアに向かっていったので、風雅が尋ねる。ゲーマーである優雅は、仕事がなければ常に事務所でゲームに興じているのだ。
「多分、殺人」
10008はかつて様々な犯罪行為に手を染めていた。
ただ、幅広く活動しすぎたことが
過去に10008が仕入れた火器や違法薬物は在庫分だけ希望者に販売したが、いまは武器や薬物の売買はしていない。877が「仕入れるのが面倒」と言ったからだ。
10008には人殺しの依頼が多く舞い込む。
正確には、SNSで『10008に○○を殺して欲しい』だの『10008様、××に天誅を下してください』だのと、神頼みのようなものだ。
SNSでは10008は京都の怨霊かあやかしのように語られることが多く、気軽に10008へ人の死を望むメッセージを投稿する者がいる。
10008ではSNS上に投稿された膨大なメッセージをAI八幡で解析し、依頼人となり得るアカウントを探し出し、接触するのだ。
膨大な数のメッセージがある中で、どのアカウントが本気で人を殺して欲しいと願っているのか特定するのは人力では困難だが、AIであれば容易い。
ただ、そのアカウントのメッセージの依頼を引き受けるかどうかを決めるのは、877だ。あくまでも八幡は依頼人候補者を選出するだけだ。
「じゃ、オレたちの仕事かな」
「多分ね」
殺人を担当するのは328と428だ。
殺人を犯すと決めるのは877だ。
人を殺すことに罪の意識はない。
社会では、殺人は悪いことだと定義されていることを優雅と風雅は知っている。
しかし、罪悪感は微塵もない。
「あ、328。大家さんから連絡がきた」
ウェアラブルデバイスがメッセージを受信して数秒間振動したことに気づいた風雅が優雅に声をかける。
「業者に連絡したけど、修理できるのは明後日だってさ」
「えー? マジィ?」
ゲームを起動しながら、優雅が不満げに声を上げる。
「オレ、エアコン直るまでここに寝泊まりしようかな。さすがにエアコンない部屋でゲームは無理」
「そうすれば? オレは一哉の部屋に泊めてもらうけどね」
ゲーム三昧の日々を送る優雅は、帰宅しても部屋でゲームをしていることがほとんどだ。
「え? なに? もしかしてふたりの部屋、エアコン壊れた? うわぁ、それはきっついなぁ」
723が哀れむように顔を歪める。
「そうなんだよ! 今朝は死ぬほど暑くてさぁ」
「328が朝まで起きなかったのがいけないんだよ」
まるでさきほどの殺人の話などなかったように、三人は日常の会話を始めた。
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