あの清々しい青空の下で君に恋をしたんだ

安全すぎる安全靴

第1話 それはまだ暑い日のことだった

 煩いくらいのセミが鳴いている。じわりと汗が服に染み込む。それでも父さんへのいつもの報告は欠かさず、心がなぜだか落ち着く匂いと細く出る灰色の雲の前で手を合わせる。

 今日も空は快晴です。母さんはいつも通り町の集まりで護身術を教わりに行きました。僕も今日も今日とて工場へ働きに出かけます。兄さんたちは元気にやっているみたいでこの前手紙が届きました。お国のために頑張っている兄さんたちを誇りに思う反面、少しだけ…ほんの少しだけ心配です。

 そんな報告をして立ちあがる。毎日こんなことをしていれば足が痺れるなんて感覚はどこかに消えてしまう。腕を上に伸ばせばがらりと玄関から音がして下駄のからんからんという音が止まり、ギィと言う木の軋む音がこちら側に近付いてくる。母さんが帰ってきたみたいだ。

「今日も父さんに連絡してたの?毎日飽きないねぇ」

「今ここにいる家族母さんと父さんだけでしょ?だから寂しいっていうか、一人ぼっちはかわいそうっていうか」

「誰に似て寂しがりになったんだか」

「ここに住んでる人、かな」

 二人で顔を見合わせ笑えば母さんは朝ごはんの準備に台所へ向かった。時より窓から入る風が心地よく、きれいな音で風鈴が鳴る。兄さんたちが頑張っているなか僕はこんな風に過ごしていいのだろうか。女の人達と混じって工場に行ってはたらく。大事なことだっていうことはわかるけれど、いつしか心のもやもやは誤魔化すことが難しくなった。

「僕ばっかりこんな感じでいいのかなぁ」

「Ωだから、やることは女性達と同じ。宗士そうし勝士まさしはαで、父さんをすごく慕ってたから軍に行くこと、止めなかったけど良子りょうしは違う。母さん、お前まで奪われたくはない」

「母さん…」

 呟きが聞こえたのか母さんが朝ごはんをちゃぶ台に乗せながらそう言う。女は守られるべき存在で、男は守るべき存在。Ωは守られるべき存在で、αは守るべき存在。そんなのはわかっているけれど男なのにΩだからと言って守られるのはなんだか複雑な気持ちだった。

 この世界には男女のほかにα、β、Ω、3つの性がある。αは生まれながらの天才で、運動も勉強もとんでもなくハイスペックだ。βは大多数の一般人。Ωは何に対しても劣等生で、男でも子供を産むことができる。3か月に一度の発情期はΩ以外、男女関係なく誘うフェロモンを出す。忌み嫌われている存在だけれどαを産む確率が高いのはΩであるため、そういう面でこれらかのことを考えてΩは軍に入ることができなかった。

「今この国が大変なことは分かってる。志郎しろうさんと一緒に過ごして来たんだからどんなに見栄張ったとしても」

「ちょ、聞こえたら不味いって」

「聞こえないよ。お隣さんの泣き声だって聞こえなかったでしょ?」

 手早く食事を並べ手を合わせる動作を見て慌てて自分も向かい側に座り、箸をとる。

 こんなこと聞かれたらただじゃおかれないっていうのに両家の出身で、駆け落ちして、海軍に所属して、戦果を挙げて戦死した父さん全てを愛した、いや今も愛している母さんは肝が据わっている。軍に所属したら父さんみたいになるかも知れないのに兄さんたちの熱い意志を聞いて止めることなく背中を押した強い、強い、自慢の母さんは怖いもの知らずみたいだ。

 そんな母さんは僕と同じ男のΩだった。子供を産んでいて家庭を守らなくちゃいけなかった母さんは軍に入る権利も召集の対象でも無く、ただ世の女性と同じような扱いをされていた。だから僕も女性達と同じくくりになっている。

「あのね、良子。お前には幸せになってほしいんだよ。守られていてほしい。俺達の立場は居心地が悪いことは分かってるけど良子には好きな人と幸せに生きてほしいんだ。これがΩの道だって強制するつもりはない。でも、俺の願いなんだ。お前までこの国に奪われたくないんだよ」

 真っ直ぐな目だった。少しだけ瞳が揺らいだ気がするけれど。

「…うん、わかってる」

「さ、冷めるから早く食べなさい」

 そうして促され、温かいご飯を食べて今日もいつもと同じように工場へと小さなバックを持って向かった。

 夏ももう終わり、秋だというのに今日は珍しく暑かった。そりゃあ夏に置いて行かれたセミたちも元気なわけだ。いつもの道をいつも通り向かえば目を真っ赤にした友達と途中で合流した。

「え、どうしたのせいちゃん」

「お見合い…いい人だったのに辞退されたの…だって、だって、ずっごいイケメンだったんだよぉおおおぉおおぉぉ!!」

 清ちゃんは一緒の工場で働く人で僕の親友ともいえる子だ。毎日一緒に工場に歩いてくだらない話なんかに花を咲かせることがいつもの日常だった。泣きはらしているから何事かと思ったのにいつもどおりくだらない話だったようだ。

「玉の輿狙いすぎて呆れられたんでしょ」

「そこ含めて好きだって言われたもん。何回かお見合いして雰囲気はよかったもん」

「もん、ってきも」

「辛らつだな良ちゃん!!理由がさ、私は軍に所属するつもりです。貴方を嫁にしたいのは山々なのですがいつ死ぬかわかりません。愛する貴方を置いて死ぬかもしれない。貴方を置いていくことだけが嫌なのです。一人で生きさせるくらいなら他の人と、それこそ戦争が終わったあとに貴方を私よりも幸せにしてくれる人と結婚してほしいです。っていわれたの。そんなこと言われたらさ、いわれたら…そうですか、っていうしかないじゃん。それでも結婚したいって言ったら彼の思いを無下にするってことでしょ。それだけは嫌だったから、だから、だかっ…ら」

 昨日散々泣いた跡は確実で、目に見えてわかっているのに彼女はぼろぼろと大きな雫を零して、それでも鳴き声を殺して泣き始めた。どうすればいいかわからなかった。いつも明るくて弱音なんて吐くはずないだろと思っていた彼女が目の前で泣き始めてとにかく泣き止ませたい一心でぎゅっと抱きしめた。

 僕みたいに細い身体が震えて、辛いと身体全体で表していた。まだそんな人に出会ったことがない僕に何ができるのかわからない。ただどうにか落ち着いてほしくてただ静かに頭を撫でた。

「こんなくに、きらいだよ…」

 小さく震えた声で言ったその言葉を聞かないことにして抱きしめる力を少しだけ強めた。

 暫くして泣き止んだ彼女と一緒に工場へ向かっていつもの通り仕事をして夕方にはいつも通りにみんなと帰宅した。彼女と別れて家がある角に差し掛かったころ、母さんと何やら大き目の横掛けバッグを持った青年くらいの背丈の人が向かい合っていた。青年は母さんに向かって帽子の鍔を持って軽くお辞儀をすればこちらに向かって歩き出し、すれ違いざまに会釈をしてくれた。

 何だったんだろう。疑問を視線に乗せて背中を見送り、前に向き直ればぺたり、と全身の力が抜けたかのように母さんが地面に崩れ落ちた。

「母さんっ!!」

 母さんの元に駆け寄れば僕に気が付いたのか魂が抜けたような顔をこちらに向け、膝立ちになり、屈んだ僕の背中を掴んだ。ぐしゃり。嫌な音が聞こえて母さんが信じられない力で服を引っ張っていた。

「ただ…幸せになってほしいのに…どうして…今、今、今…!!!!」

 ああ、わかってしまった。ぐしゃりといったその音はこの夕日よりも真っ赤な色をしているんだろう。

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