第3話 柔道の欠点

 放課後に青葉は、クラスメイトの少年に話しかけた。

 やせ形のオーバル型メガネをかけた少年。

 小ぶりで丸みのある形状のメガネをかけているためか、落ち着いた優しい印象がある。取り立ててカッコよくない目立たない男の子ではあったが、素朴で温かく、日差しを受けて香る土の匂いが伝わってくる。

 そんな、少年だ。

 名前を、佐京光希さきょうこうきと言った。

「田麦君が変?」

 光希は、少し驚いた顔をした。

 クラスメイトではあるが、友達と言える程、親しい訳ではないので反応は鈍い。

 それでも、同じクラスメイトということで、少しだけ興味を持ってくれたようだ。

「そうなんだよ。何て言って良いのか……。オッサン化しているんだ」

 青葉に言われて、光希は考える。

 オッサン化とは、どういう意味だろうか。

 一徹は、確かに最近変わったと思う。

 少し前までは、明るく、冗談を言うことが好きだったはずだ。

 それが今では、無口になり、笑わなくなった。

 そして、どこか暗い影が差しているように見える。

「言われてみれば、何か変だよね……」

 光希は考える。

 上を見る。

 下を見る。

 腕組みをする。

 目を閉じる。

 じっくりと考える。

 優に1分は考える時間はあって、光希は口を開く。

「あれ? 田麦君ってさ、中1の時、どんな顔してたっけ?」

 光希は、一徹の顔を思い浮かべようとした。

 中学生の柔道66kg級で日本一になったので、新聞記事で顔を見たことはあったのだが、記憶がない。

 いや、今の記憶と一致しないというべきか。

 記憶の引き出しを開けるため、思考を集中させた。

 それでもなお、思い浮かばなかったのだ。

 クラスメイトの顔が。

 一徹が、どんな顔だったか。

 全然、思い出せなかった。

「どんなって。そりゃ、椅子に腕組みして石仏みたいにデンって……」

 青葉は今のイメージで口にし、言葉が続かなくなる。そういえば、一徹の中1の頃の顔が分からないことに。

「図書室に行ってみない。クラスの集合写真のアルバムがあるはずだよ」

 光希の提案に、青葉は同意する。

 一徹のオッサン化の真相を知るために。

 二人は、学校にある図書室に向かった。

 放課後ということもあり、静まり返っている。

 青葉は、図書委員の女子生徒に声をかける。

 一徹の写真を見せてもらうことにしたのだ。

 すると、彼女は快く応じてくれた。

 アルバムを取り出し、見せてくれる。

 青葉と光希は、自分達の中1時代の集合写真を見て、一徹が居ないことに気が付き、驚愕する。

「一徹が居ない!?」

 クラス替えは行われていた。

 光希は、青葉と一徹とは別クラスだったが、青葉と一徹は同じクラスなので、青葉のクラスに一徹居る筈だ。

 だが、居ない。

 青葉は疑う。そんな訳はない。入学時に全員揃った状態で撮ったものなので、別枠に写真がある訳でもなかった。

「どういうことだよ」

 青葉は訳が分からず混乱する。

 でも、中1の時の集合写真には、やはり彼は居なかった。

 光希は提案する。

「待って。集合写真は出席番号順に並んで座っているから、番号を数えてみれば良いんだ。田麦君の出席番号は?」

「10番」

 青葉は答えると、青葉が居た中1の集合写真にある男子生徒を数えて、指が止まった。俯瞰ふかん的に見ていたので分からなかったが、そこに一徹は居た。

 体格の良い、背の高い少年だ。人懐っこい笑顔を浮かべている。現在の様に筋骨隆々としてもいなければ、線も太くない、中年臭を感じさせない少年だ。

「彼が、田麦君だよ」

 光希は断言した。

 青葉は、愕然とした。信じられない。

 あれほど、毎日一緒に登校していたはずなのに。

 一徹がオッサン化してしまったことを、全く知らなかった。

 だが、なぜだ。

 どうして、こうなったのだ。

 その疑問は解けないまま、中1時代の写真を食い入るように見る。

 光希は中2なってからの集合写真を出す。

 僅か一年後の集合写真だが、みんな少しずつ変わってきているが、劇的に変わっている人物が居る。

 それは一徹だ。

 身長が伸びて筋肉質になっており、顔つきも精強な面構えになっている。

 同じ人とは思えない。

 その変貌ぶりに、青葉は思わず息を飲む。

「別人じゃないか!」

 と、恐ろしいものでも見たかのように、青葉は呟いた。

 光希は言う。

「田麦君の変化は、何かを切掛に急激に進行していったんじゃなくて、ゆっくりと時間をかけて進行していったんだろうね。

 僕らの場合、毎日顔を合わせるから、劇的に顔が変わったように見えても分からなかったんだね。田麦君の変化をごく当たり前に、普通に受け入れていたってこと。

 例えるなら、子猫を引き取って育てていたら、いつの間にか成猫になっていた……。という感じみたいにね」

 青葉は、そんなアホな。

 と思ったが、つい最近になって違和感を覚えた自分も人のことを言えた立場ではないと思った。

 光希は例える。

「劇画タッチの格闘漫画であることなんだけど、主人公を含めた登場人物は設定上中学生か高校生なんだけど、顔や体格はどう見たって40代、どう若くみたって30代後半にしか見えない。

 でも、そのまま話は進んで行き、完結まで読んでしまう。

 現実世界からすれば、完全に違和感があるのに、ツッコミを入れずに、その世界の常識を受け入れる。これはある意味洗脳なのかも知れない」

 青葉は大真面目に言う光希に、まさかという疑いを持つが、確かにそういうものだと思った。

 同級生が成長していく姿、変化を青葉達クラスメイトだけでなく、学校全体として違和感なく受け入れていた。

 一徹の変化は外見だけでなく、内面にも及んでくる。一徹の場合、心が大人へと成長していく過程で、オッサン化が始まったということらしい。

 青葉は納得するしかなかった。

 事実は、事実だと。

「ところで西尾君は、この件に関して、どうして僕に相談してきたの?」

 光希は、少し不思議そうな顔をしている。

 青葉は、一徹がオッサン化してしまったことについて、昔なじみの友人ではない光希に相談したからだ。

 しかし、このことに関しては、あまり人に言いふらすようなことでもない。

 だから青葉は、言葉を濁す。

 すると、光希は察した。

「田麦君の変化について、何か思い当たるフシがあるんだね」

 光希は核心を突く。

 青葉は黙ったままでいる。それが答えだった。

「そうなんだ。これは、一徹の名誉にも関わらることだから、誰にも言わないでくれるか?」

「安心して。僕は口が堅い。約束する」

 光希は真面目な表情で言う。

 青葉は光希とは友達ではなかったが、光希の誠実さは知っているので安心した。

「一徹が、柔道の全国大会で優勝した件は知っているよな」

 青葉の言葉に光希は無言で頷く。

 柔道部である一徹は、中学1年の時、全国大会で優勝して一躍有名になった。

 学校でも盛大に盛り上がり、地方のローカル放送、新聞とメディアの取材もあったので忘れようが無い。将来はオリンピック候補ではと期待されている程だった。

「その後に起こったんだが、実は一徹の奴、街中で不良とケンカしたんだ。喧嘩を売られたらしいんだが……」

 そこで言葉が詰まる。

 光希は何があったのか想像がつくだけに、口にするのが憚られるのだ。

 青葉は続けた。

 それは、あまりにも酷いものだった。

 相手は6人の不良で、高校生ながらにタバコを吸うなどしていて、とてもタチが悪い連中だった。

一徹は立ち向かったのだが、多勢に無勢、ボコボコにされてしまった。病院に運ばれ入院したが、全治2週間の怪我を負った。

 一度は寝たきりになってしまったのだという。傷害事件による外傷の後遺症が原因だと医者からは言われたそうだ。

無論、傷害事件として警察は動き、一味は全員捕まっている。

 光希は青葉の話を聞いて、同情を禁じ得なかった。

 だが、一徹は治療の甲斐もあって回復し、リハビリに耐えて日常生活を取り戻したのだ。

「田麦君の身に、そんなことがあったなんて知らなかった……」

 光希は驚きを隠せない。友達では無いにせよ、クラスメイトにそんな凄惨な過去があったことに。

 青葉は話を続ける。

 一徹は、以前のような元気を取り戻しつつあった。

 だが、以前のように笑うことはなかった。いつも何か考え事をしているような難しい顔をしていた。

「それから一徹は、打撃技に興味を持った。というより、実践し始めたんだ。柔道には打撃技が無いからな」

 光希は、なるほどと思った。

 柔道は投技、固技、絞技、腕に対しての関節技となっている。

 だが、全くない訳ではない。

 当身技はあるが『型』にあるのみで、危険として試合では完全に除外された。武道としての実戦性を排することで、スポーツとしての柔道は安全性を獲得し、広く普及していく事となった。

 だが実戦を考えれば、打撃技は必要だ。

 投技、固技、絞技、関節技などの組技は、相手との距離をゼロにしなければ使うことはできない。対して打撃技は相手との距離をおいた状態で使用できる。

 戦闘における距離は非常に重要性がある事柄だ。武器というものは、間合いが長い程、有効的だ。間合いが長いということは、安全圏から相手を攻撃できるということになる。

 素手に対し剣を持つ者が有利。

 剣に対し槍を持つ者が有利。

 槍に対して弓を持つ者が有利。

 という具合になる。

 一般にスポーツとして確立した格闘技は弱くなると言われている。

 柔道の投技は相手が丈夫な柔道着を着てくれているということを想定して作られており、技の大半が相手の道着を掴んでから初めて威力を発揮できる。

 また固技も、相手を傷つけずに一定時間固定する技の有効性は著しく低いと言える。本来、古武術における固技は、相手を地に転がし有利な態勢から打突や短刀を用いて止めとして使用する。20秒、30秒抑え込んで一本するのは、それだけの時間があれば止めをさせる意であって、戦闘不能にできる訳では無い。

 自己制限が多い柔道は格闘技として有利とは言い難い。

 しかし、明治時代、柔道家・前田光世(1878~1941年)は柔道の強さを示すために、16ヶ国を渡り海外の猛者たちと戦い2000勝を誇ったという事例があるが、これは柔道というよりも前田光世自身の強さといえる。

 青葉の話しを聞いていて、相談された理由が段々と分かって来る。

「打撃の実践って、どういうこと?」

 光希は尋ねる。

「巻藁突き」

 青葉は答えた。

「巻藁って、空手の稽古法にある巻藁?」

「そう。一徹は、体育館裏に巻藁を作って突く練習をしているんだ。一徹が変わってしまったのを思い出すと、その巻藁突きを行ったあたりからって思うんだ。光希って武術ウーシュー(中国武術)をしているんだろ。何か分かるんじゃないかなって思ったんだ」

 青葉の言葉に、光希は考える。武術ウーシューはしてはいるが、決して人を教える程、功がなっている訳ではない。

 だが、力になりたいという気持ちはあった。

 光希は一徹に会ってみることにした。

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