A

文月 螢

1

 


「お前は自分がなんのために生まれてきたと思う?」


 なんでもない昼休みだった。Aはいつも通り登校途中にコンビニで買ってきたであろう二百ミリリットルの小さな牛乳パックを持ったまま、僕にそう話を振った。何かの冗談かと思って僕は、「え?」と笑ってやったんだけど、Aはどうやら真剣に言っているみたいだ。


 それから一週間もしないうちに、Aが宗教に嵌まっていることを知った。

 宗教って言っても、仏教とかそういう教科書に載ってるようなもんじゃない。たまに校門の近くで妙なチラシ配ってるおばさんが居ると思うんだけど、たぶんああいう感じのやつ。宗教の名前は、……そんなの、もう忘れた。


 Aは変わった、って。クラスメイトも教師も言ってた。明るくなったとか、積極的になったとか、とにかく「良く」なったって。まるでそれまでのAが悪かったって言ってるみたいじゃないかと僕は思ったけど、本人はそんなことを全く気にしていない様子だった。ついこないだまでは、小さなことで何日も気に病むような性格だったのに。


 神様、という言葉が、Aの口から頻繁に出てくるようになった。

 何か些細な失敗、たとえば課題を持ってくるのを忘れたとか、そういうことがあると「神様は見てくれているから大丈夫」って独り言を呟く。他愛のない教師への愚痴を僕が話したときには「神様に怒られるぞ」と言われたこともあった。そして、休み時間になると目を閉じて両手の指を組んでいた。たぶん、何かを祈ってたんだ。


 正直言って僕は、宗教を胡散臭いものだと思ってた。何かを信じるとか、死んだあとは何処へいくのかだとか。そんなものを考えることに何の意味があるのだろう。そもそも神様なんていう実体のない存在を信じることは、結局自分自身を信じようとしているだけではないのか。自分の譲れない価値観や主張を、神様と呼んでいるのではないか。


 高校二年の冬だったと思う。僕はAと喧嘩をした。

 最初のきっかけは何だったのか忘れてしまった。たぶんそれくらいに些細なことだ。それに、喧嘩と言うのは間違っているほど一方的なものだった。Aと話をしていた僕は、彼がやたらと口にする「神様」という言葉が気に障って仕方がなくなった。我慢しているつもりはなかったけれど、毎日Aと喋るたびに僕の中で少しずつ苛立ちが募っていたのかもしれない。


 最終的に僕は声を上げてAの肩を突き飛ばした。

 Aはというと、怒りもやり返しもせずに僕を見たまま、

「自分が傷つけていいのは自分だけだよ」

と言って微笑んだ。僕がAと話をしたのはその日が最後になった。


 数日無視を決め込むとAは僕に近寄らなくなって、三年ではクラスが別れてそれっきり。Aは「良く」なってから友達も増えたみたいだったし、僕がいなくても学校生活での居場所はたくさんあったと思う。


 

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