すぐ本気になる

 ある日の放課後の校内。本館の執行委員室にて。


「紹介する。今日から執行委員になってもらう銭丸くんだよ」


 委員会入りを決意してから、幾ばくとなく、銭丸玄徳、初の活動日を迎えた。葵先輩に促され、俺は執行委員の面々に挨拶をした。

「銭丸玄徳です。よろしくお願いします」

 執行委員の連中は皆人当たりの良さそうなものばかりで、俺も馴染むのに苦労することはなさそうだ。葵先輩が選抜した人員なら、そうなるのも当然か。


「今は春の球技大会の準備を運動常任委員会と連携してやっているから、銭丸くんにもそれを手伝ってもらうね」

 先輩にそう言われ、俺は同じ学年の男子生徒と組むことになった。

 名前を豊橋という。


 豊橋との顔合わせ。軽く自己紹介をして、どんなことをするのかと、気をもんでいたところ、彼曰く

「執行委員なんてたいそうな名前をもらっているけど、やるのは当日の肉体労働だよ」

 と。

「そうなのか」


「まあグラウンドをどう使うかとか、競技を何にするかのアンケート集計とか事前にやる仕事はあるけどそれはもう終わってるしね。今年はゴールデンウィークの中日にやるから、連休前にテント設営とかやるくらいかな」

「ほーん。……後夜祭みたいのはないんだよな」

「公にはね。でもクラスマッチライブを有志バンドがやるから、そこの監視はいるみたい」

「ええそんな仕事までやるのかよ」


 俺は、大儀そうな仕事を仰せつかってしまったと、少しく煩わしさを覚えたが、すぐにそれは打ち消された。

「そっちは風紀委員の仕事だから。おまかせだよ」


「え、じゃあ今日は何するんだ?」

 豊橋は俺の質問に首を傾げて考え込むような仕草を見せた。

 そうしてしばらく考えたあげく

「特にないかな」

 と結論づけた。

「あ、ふーん」

 

 じゃあ俺はこのあとどうすればいいと、さしあたっての身の振り方を彼に問う前に

「じゃ、僕、部活あるから」

 豊橋は颯爽と部屋を出て、部活に向かってしまった。


 さて、困ったな。俺はどうすればいいのか。彼のように「じゃ、部活あるから」と大きな独り言を言って、部室に向かったとしても、あの文芸部の部室で適当な本を開いて、時々内海や伊吹とたわいない話をするだけなので、周りの人間があくせく働いているのを横目に、急いで向かう理由はない。というか勇気がない。


 着任するなり、何をすればいいのかわからなくて、置き物と化している。他のメンバーは葵先輩を中心にわちゃわちゃと忙しそうにしている。先輩はあえて俺を暇な役につけたのだろうか?


 しかしこうしていると、昔の記憶が蘇ってくる。

 みんなで遊んでいる時、チーム分けで俺が余った時、大体空気になる必要があったからな。みんなが俺の扱いをどうするのか困って、苦痛そうな顔を浮かべるのを見るのが嫌で、忍者のようにいつの間にか消えるスキルを身に付けた。俺のために彼らが争うのを見るのが、とても耐えられなかったのだ。俺という人間はとても心優しいからな。

 俺ほどではないが、彼らはまだ優しかったと思う。

 酷いやつは「お前なんでいるの?」って平気で聞いてくるからな。あのときは心が震えたぜ。


 ……。

 今こそ発揮すべきか。姿を消す忍術を。


 そんな感じで俺が居心地悪そうにソワソワしていたら、葵先輩が気づいて

「ごめん、ちょっとだけ待ってて」

 と手を合わせながら申し訳なさそうな顔をして、ペコリと小さくお辞儀してきた。その所作ひとつ取っても、男のひとりやふたり容易く悩殺するくらいの破壊力がありそうだから、本当に周りの男子はうっかり惚れないよう気をつけてね、と心の中で忠告してあげる、とても優しい俺。優しい俺は、先輩に頼まれなくても、ずっと待つわ。いつまでも、何年でも。


 葵先輩と、他の執行委員たちの話もあらかた片付き、各々自分の持ち場に向かって散り、教室に残ったのは俺と葵先輩の二人だけとなった。

 やっと二人きりになれたね、なんてアホなセリフが俺の頭にひょいと浮かんだのとほぼ同時に

「やっと二人きりになれたね」

 と葵先輩に言われた。以心伝心すぎて逆に怖い。それもつややかな瞳で、いたずらっぽい笑みを浮かべながら言うから、俺の心の臓がやたらと元気を出し始めてしまう。落ち着け心の臓。人間が一生に打てる鼓動の数は決まってる、と少女漫画に書いてあったからな。今は温存しておこう。

 俺は静かに深呼吸をした。


 危うく惚れるところだったが、まだ耐えている。なんか耳やらほっぺやらが熱い気がするが、これはきっと温暖化のせい。そういえば夏の足音が聞こえてきてる気がしなくもない。ほら觀てごらん。夏が廊下の奥に立つてゐた。最近の日本は春と秋がないからな。冬が終われば夏が来る。ほら4月の終わりだけど暑いよね? これは夏。圧倒的夏。明日から夏服だなこれは。


 というわけで梅雨入りすらすっ飛ばして、愛知の夏入りを津々浦々の皆様に宣言したところで、僕の太陽こと葵先輩が

「ちゃんと仕事内容は確認できた?」 

 と俺に当てた仕事が、ちゃんとこなせそうか確認してきた。

 

 背筋をシャキンと伸ばし、俺は答えた。

「なんか当日までやることなさそうですね」

 先輩はうんうんと首をコクコクさせて

「そっかそっか。まあ、当日は頑張ってくれ給えよ。君には期待してるよ」

 とこれまた愛らしくも色気たっぷりな微笑みを以て、返してくる。

 

「それでこのあとは何をすれば?」

 俺は他にやることがないなら、そろそろ部室に向かおうかと考えながら、尋ねた。ただ本を読んで過ごすだけとは言っても、俺が何も言わず休んだら、いくらあの毒舌少女でも心配する……ことはないかもしれないが、小言くらいは言ってくるかもしれない。

 


「ちょっと出かけたいところがあるんだけど、ついてきてもらってもいい?」

「え、あ、はい」

 まさかまだ用事があるとは思わず、間抜けな声で返事をした。


  *


 なんでも学校の外に行って直帰するらしいので、荷物を全部持っていく必要があるとのこと。

 荷物だけ部室においておいたので、取りに向かった。

 部室には当然のことながら、粛々と読書に励む内海がいた。伊吹の方は本職の部活をしてるのだろう。

 

「遅かったわね」

 彼女は顔も上げずに言った。何を以て、俺が俺であると判断したのかは知らぬ。


「うん。でもまだ学校の外に用事あるっぽいし、今日はそのまま帰るわ」

「あら、そうなの。誰と?」

「葵先輩だけど」

「……ふーん」

 内海は探るような視線でこちらを見てくる。


「なんだよそのなにか言いたげな目は?」

「別に。大したことではないわ。ただ……」

「ただ、何だよ?」

「日向さんを見て鼻を伸ばす前に、あなたはまず伸ばさなければいけないところがあるでしょうに、と思っただけよ」

 何が大したことないだ。大した嫌味じゃねえか。

 むきになって返しても、幼稚なので、俺は大人の余裕を持って、答えてやった。

「おいおい。先輩に嫉妬しているのか? かわいいやつめ」 

 俺がそういったところ、内海は心底嫌そうな顔を見せた。

「嫉妬なんてするわけないじゃない」

「そんなに自分を卑下するな。大切なのは大きさじゃない。形とバランスだ」


 …………。 

 その時その部屋から音が消えた。時間にしてにしておよそ3秒ほど。

 しかしその3秒が嫌に長く感じられた。永遠に終わらない地獄を見ているかのようだった。



「今何か言ったかしら?」

 

 内海は優しかった。俺の発言をなかったことにしてくれようというのだ。

 流石の俺も、その温情を無下にするほど命知らずではなかった。

「何も言ってないです」

「そう」

 

 正しく九死に一生を得た俺は胸をなでおろし、外に向かった。


   *


 校門で先輩と合流した。


 どうやら彼女はショッピングモールに行きたいらしく、

「何か買うものでもあるんですか?」

 と尋ねたら

「映画みたいな」

 とのたまう。


「……映画ですか?」

 思わず俺は聞き返す。


「うん」

 先輩は頷いた。


「え、あ、え、今日見たいってことですか?」

「そうだけど。……きらい? 映画」

「いや、そんなことはないですが」

「じゃあいいじゃん」


 先輩は俺のことをじっと見てくる。俺はたじろいだ。何か委員会の用事で、彼女にお供をするのだとばかり思っていたので、まさか映画を見に行くつもりだったとは想像していなかった。映画を見たいというセリフも、何気なく言った一言で、まさか俺と一緒に見るということとは思わなかったし。


「あのう、一応聞くんですけど、それって委員会と関係ないですよね?」


「おいおい。君は執行部をなんだと思っているんだい。映画を見る委員会活動がどこにある?」

 先輩は俺の肩を叩いて、そして少し笑いながらそう言った。


「でもなんで映画なんて」

 戸惑いながら彼女に尋ねれば

「ただの口実」

 先輩は短くそう返す。


「口実?」

 でもやっぱり訳が分からなくて、聞き返す。


「君と一緒にいるための」

「え、それって」

 俺は心臓をギュッと掴まれたような感覚を覚えた。大丈夫。ただの狭心症か不整脈。うん大丈夫じゃない。

 そうでないなら、ある予感がそうさせたのだろう。

 先輩は俺に理解者になることを求めている。それはつまり先輩は俺のことを──


「契約したでしょ。君のこと理解してあげるって。そのためにはなるべく一緒にいなきゃ。でもいきなり長くは話せないでしょ。ていうか私もそんな君と話す話題とかないし。だから映画」

 ……。

「あ、っすね」

 だよねー。危うく勘違いするところだった。頭に浮かんだ、……いや喉元を出かかった、気色の悪いセリフをゴクリと飲み込む。まるで胃酸を飲み込んだ時みたいだ。さてはこの女、悪魔か? 僕の純情を弄ぶ。

 

「つべこべ言ってないで、早く行くよ」

 すんでのところで高校生活を棒に振りうる黒歴史を生成した恐怖に打ち震えた。額に浮く脂汗を拭い、脇の下にネットリした汗が滲むのを感じつつ、彼女の後を追った。

 

 思わせぶりな態度と言葉に、すぐ本気になる。まったく道化じみている。彼女みたいな人が、俺に興味を持つと考えるのさえ、おこがましい。興味を持ったのだとしても、ただからかわれているだけ。本当は分かっているはずなのに。


 内海が見ればきっとこういうだろう。

「お前は童貞か」


 そうだよ。童貞だよ。文句あるか。

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