大人になったからには知識も必要?

 夜、寝る直前、向日葵と椿はいつもどおり布団に並んで横になった。

 放射冷却のせいで朝は強烈に冷えるので、エアコンをつけっぱなしで寝る。エアコンの唸る音が繊細な椿の神経に触らないといい。


「成人式かあ」


 掛け布団の端を握り締めて、向日葵はひとりで呟いた。


「楽しかったなあ。わたし、中学の時の友達も好きだからさ。振袖でみんなで写真撮りまくって、昼はみんなで仕出しの豪華なお弁当食べてさあ。夜は飲み会でめっちゃ飲んで。でもって、沼津市の成人式っていつも日曜日にやるの。次の月曜日が祝日なの。だからその次の日は今度高校の友達と合流してさ、また昼間から飲んだわけよ」

「むちゃくちゃやな」


 椿がくすくすと笑う。


「椿くんは成人式で同窓会した?」

「してへん。僕中学受験して私立行ったし校区に友達いいひんねん。中学高校の友達も、友達か? と言われるとなんとも言えへんのやけど」

「友達だろ、同窓会とかあったら行けよな、わたしが京都三島往復の新幹線の切符買ってあげるからな」

「それにうちの習わしでちょっとした料亭でお食事することになっててん」


 始まった。

 向日葵はわくわくした。椿の家の話は異文化なのでおもしろいのだ。日本には今なおこういうしきたりのある家があるのだ、と思うと、とても興奮する。格の違いを逆に楽しみたい。


「そういえば、そんなことも言ってたね。京料理、お高くておいしいやつでしょ?」

「まあ、下品なこと言うたらそうやねんけど」

「誰と一緒に行った? お父さんとお母さんと三人で?」

「そうやな。あと舞妓さん二人と芸妓さん二人の四人が来た」


 叫びたくなるのをこらえた。どうしてそんなおもしろいことをもっと早く言ってくれなかったのか。


「お唄をやってもろた。僕は早生まれやからまだ十九でお酒飲めへんし、なんや知らん女の人がいはるーとおもてしもてあんまり楽しめへんかったのやけど、お父さんは気分よくなってたな」

「それってお座敷遊びってやつじゃないの? 舞妓さん可愛かった?」

「舞妓さんは子供やからあんまり気が進まなかったんやけど……まあ向こうは子供や言うてもプロやからなかなか気張ってくれはったと思うんやけど、芸妓さんに、舞妓の何とかちゃんよりお客様のほうが京言葉がお上手どすねと言われて、気まずー、っていう」

「むっちゃウケる」

「その芸妓さんがな」


 そこで椿が言葉を切った。


「……まあ、いろいろあったな」


 向日葵は上半身を起こした。


「そこ! わたしはそのいろいろを聞きたいの!」


 闇の中でも椿が向日葵に背を向けたのがわかる。


「ええやん、なんでも。昔の話やで」

「昔の話だからいいんじゃん。現在進行形だったら困ることもあるかもしれないけど、四年前でしょ」

「まあ……、そうやな」


 小声でぽつりぽつりと言う。


「いつかはひいさんに聞いてもろて供養したい過去やしな。今がその時なのかもしれん」

「そうだそうだ」


 たかぶる胸を抑えながら、もう一度布団に横になった。


 一拍間を置いてから、椿が語り出した。


「食事が終わった後、夜、芸妓さんと二人きりになってな」

「うんうん」

「知らん間に布団が用意されてて、芸妓さんに、お父様に力になってほしいと言っていただいたので、と言われて……」

「……んん?」


 雲行きが怪しくなってきた。


「え、布団? なに?」

「つまり……、その、筆下ろしやな。男やから本番に備えて夜の知識を勉強せなあかんということやったらしいんやわ」


 斜め上の展開に絶句してしまった。


「もう大人やろってそういうことやったんか、だから芸舞妓さんを呼んだんか、ってえらいショックやったで」

「……」

「引いた?」

「いや……、まあ、いろんなおうちがあるなあ、と……」

「引いたやろ。あーやめよこの話」


 当時もうすでに向日葵と交際中だったはずである。しかもその一ヵ月後の椿の誕生日に初めて二人で夜を過ごしている。あの一ヵ月前にそんな事件があったとは、夢にも思わなかった。


「ちょっと、最後まで聞かせて」


 椿の布団の中に手を突っ込み、椿の腕をつかんだ。


「それで、どうしたの? したの?」

「まさか。するわけないやろ。ひいさん以外の生物の粘膜なんておぞましいわ」


 すごい物言いだが、確かに彼はそういう人間だ。ちょっと安心した。彼は涼しい顔でさらっと嘘を言うタイプなので時々ひやっとする。本人は嘘というつもりはなく適当に話を合わせているだけということらしいのだが、京都人のこの本音を隠そうとする性質はかなり怖い。


「芸妓さんに頭を下げて頼んだんやで、僕には心に決めた女性がいるさかいあなたとはなにもできません、て」

「それで芸妓さん何て?」

「誠実でよろしおすな、と笑ってくれはった。彼女さん幸せなお人やね、お父様にはうちからうまく言うとくさかいあまり思い詰めんといてくださいね、って言わはって、とりあえずその日は何もせず二人で布団に横になって過ごした」

「い、いい人だー!」

「夜の営業はともかく、接客業としてはプロやからな。祇園の誇りやな、ってめっちゃ思ったのを思い出したわ」

「で、お父さんとはどうなったの?」

「どうもせん。ええ塩梅やったみたいやな、と言われたけど、根掘り葉掘り聞かれることはなく。最初はうまくごまかせたんかなーとおもてたけど、あれはバレとったと思うね。まあ、特に怒られはしいひんかった」

「すごい……椿くんの実家わたしら庶民にはわからないこといっぱい起きる……」


 椿が向日葵の手を握った。


「ごめん」

「何が?」

「意気地なしで。ほんまはその時お父さんに僕には向日葵さんという恋人がいますてはっきり言わなあかんかったと違うか?」


 向日葵は椿の手を握り返した。冷たい手だ。もう少し筋肉があってもいいと思うのだが、手の筋肉はどうやって鍛えればいいのだろう。


「ほんで婚約破棄してひいさんを正妻として本宅に住まわせたらもうちょっと違った未来があったかもしれん」

「ほほほ。わたしゃあのお義母さんと同居は嫌だよ」

「ほんまやな。そやし僕はお義父さんとお義母さんとおばあちゃんが好きやから沼津に引っ越してきてよかったんやわ。それにあんな寒くて暑いとこもうよう住まん」


 二人で、ぎゅ、と手を握り合う。


「よかった、椿くんがここにいてくれて」

「うん」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

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