第2部・特別プロローグ

四つ星の宿り、契りの結び

 木枯らし吹く旧都グ・フォザラの新市街。

 宿酒場〝鯖豚さばとん〟は今日も仕事上がりの烈士たちで賑わっていた。


「あいよ。さばとん定食、一丁」


 和装のウェイトレスが手慣れた調子で配膳を済ませる。


「おっ、これこれ……くぅ~、冷えた体に豚汁が染み渡るぜ~」

「ほんま、近頃は寒うなりましたな」


 むさ苦しい男どもの集う酒場の一角に、一際異彩を放つテーブルがあった。


 対座する二人のうち短髪のほう、額の片側に鬼角を頂いた女傑が、大太刀を携え壁側に陣取っていた。

 切れ長の目、艶やかな睫毛から赤褐色の瞳が物憂げに覗く。


「もうすぐ冬か。あの騒ぎから一月も経つんだな」


 凛とした声を吹き鳴らす唇が、次いでゆっくりと茶を啜る。

 その姿を真っ直ぐに映し出す深緑ののうが二つ、レンズの向こう側で熱っぽくギラついていた。


「旧都に飛来したちょうを一刀両断するうる様のご勇姿、昨日のことのように思い出せます。さすがはイムガイの〝超新星〟と謳われるお方」


 ぼそぼそと喋るこちらの女性は獣人で、窮屈にまとめられた癖毛の間からヒツジの角がくるりと伸びている。

 浅黒い肌に黒を基調としたいでたちは、真向かいに座る剣士のそれらとは対照的だ。


「カヤは大袈裟だな。だけど、期待に相応しい働きは心掛けないとね。頼りにしてるよ」


 谷津田やつだ財閥の令嬢にして二刀剣士の潤葉。

 在野の陰陽師、ぶね香夜世かやせ

 両者とも烈士となって一年あまりながら活躍はめざましく、すでに旧都で名を知らぬ者はいない。


「勿体なきお言葉です。潤葉様が並の〝新星〟に勝る存在であることを示せるよう、これからも力添えいたします」

「こういうのは勝ち負けじゃないと思うんだけどな……」


 潤葉は苦笑いを浮かべつつ、視線を頭上に巡らせる。


「新星で思い出したけど、騒ぎの中心地を制圧した烈士は、僕らよりも駆け出しなんだってね」

「ええ。海を渡り侵入した凶悪な『眷属』を追い詰め、その場で討ち果たしたとか。たしか……おお曽根そねみおという名だったかと」

「大曽根……聞いたことがあるな。この大太刀の素材を運んでくれた新人烈士がそんな名前だったはず」


 愛刀を撫でる潤葉の指先を目で追いながら、香夜世は冷ややかに毒づいた。


「所詮は東国の田舎烈士です。潤葉様の足元にも及びません」

「僕を持ち上げたいのはわかるけど、そういう言い方は感心しないな」


 眉根を寄せる潤葉の一言で、香夜世ははっと姿勢を改める。


「……言葉が過ぎました。反省します」

「フッ……カヤのそんな素直なところがとっても可愛いよ」

「潤葉様! か、からかわないでください……」




 仲睦まじき二人へ、遠間からじっと視線を注いでいた。


「仲良きことは尊きことかな……」


 思わずつぶやいてしまう。忍び装束から覗いたキツネ耳が、尻尾が、己の意思とは無関係にヒクヒクと動く。

 同じテーブルにつく鬼面巨漢の僧が、真っ白な顎ヒゲを扱きながら男の奇行をたしなめる。


「気づいておるか? 瑠仁るじろう……お主、相当に気色が悪いぞ?」

「そんなのとっくに承知でござる! 香夜世かやせ殿にも面と向かって言われ申した!」


 声を荒げる若者に、老僧は憐れみの目を投げかけた。


「古傷を抉ってしもうたか。しかし……お主もその振る舞いさえ何とかなればのう。パッと見は男前の部類なのに勿体ない」

「振る舞いなら心得てござる。ほかならぬ我が恩人の恋路なれば、こうして陰ながら応援する所存ッ!」

「どう転んでも気色悪いのう……」


 ため息づく老僧がふと顔の向きを変える。直前まで瑠仁郎が見つめていた方向だ。

 テーブルへとやって来たのはほかでもない、うると香夜世である。


「こちらにおいででしたか、幽慶ゆうけい和尚」

「あいや、語らいの邪魔をするまいと思うてのう」


 老僧・幽慶は相方の狐忍者を横目に返答する。その瑠仁郎はといえば、正面から浴びせられる氷の眼光に釘付けになっていた。


「……あなたの声が聞こえましたので」

「香夜世殿……」

「と言っても、あなたに用はないのですが」

「辛辣ッ!」


 旧知の二人によるやり取りとは無関係に、潤葉と幽慶の間で本題が取り交わされる。


「以前より申し上げている件、考えておいていただけましたか?」

「拙僧どもと正式な仲間になりたいと?」


 これまでもたびたび協力して作戦に臨んだ仲だ。何も唐突な話ではない。

 「ええ」とうなずく潤葉を前に、依然として幽慶の面持ちは硬いままだ。


「お主は輝かしき将来を約束された超新星じゃろうに。拙僧のようないわく付きとはあまり親しゅうするものではないと思うが」


 今を去ること数十年前、とある寺の住職だった幽慶は、公の金を横領した罪に問われた。

 かねてより信頼の厚かった周囲の嘆願により僧籍の剥奪は免れたが、寺は廃され、雲水の身となることを余儀なくされた。


「このところ、不穏な気配が各地で勢いを増しています」


 潤葉は、幽慶の忠告には答えず、言葉を継いだ。


「次の春を迎える頃には、邪教も本格的に動き出すに違いありません。その前に盤石の態勢を整えておきたいのです」

「邪教……〝冥遍めいへん〟か」

「かつて和尚を陥れたのも、冥遍夢の手の者なのでしょう? すでに調べはついています」


 潤葉の目の端が瑠仁郎を捉えているのを、幽慶は見逃してはいない。


「……どのみち因果からは逃れられんということか」

「形ばかりの名誉よりも、僕は信義を重んじたい。和尚、貴方の生き方から教わったことです」


 潤葉の眼差し、佇まい、そこにはいささかの惑いも窺えなかった。

 ややあって重い腰を上げた幽慶の口元には、晴れ晴れしく笑みが浮かんでいる。


「やれ、若人にこうもやり込められるとは。拙僧も焼きが回ったとみえるわい」

「ご無礼をお許しください。『輝かしき将来』があるとして、僕はただ座して待つつもりはないと言いたかったのです」

「なるほどのう……巡り巡って烈士に身を置くことになったのは、お主らとの出会いのためじゃったか。仏の御心は誠に計り知れぬ」


 幽慶は数珠を手に合掌し、連れの方を振り返る。


「瑠仁郎、お主も異存はないな?」

「無論でござる……が、香夜世殿はいかする? 自分で言うのも何でござるが拙者、気色悪うござるぞ?」


 瑠仁郎は下手に出るも、香夜世は半ば呆れたように首を横に振った。


「ただ居る分には害はありませんので。何より、潤葉様が貴方の諜報能力を高く買っておいでですから」

「カヤはべつにルジのこと嫌ってはないと思うけどな。そうでなきゃ路頭に迷う君を同じ稼業に誘ったりはしなかったはずだ」


 次いで潤葉がフォローを入れる。香夜世は眉をひそめはしたものの、はっきりと否定することもしなかった。

 瑠仁郎は二人に向かって平身低頭し、感謝と恭順の意を表する。


「香夜世殿に潤葉殿……折に触れては道を示してくださるご両人には拙者、感謝の言葉もござりませぬッ!! かくなる上はこのゆん瑠仁郎、粉骨砕身の覚悟をもって誠心誠意お仕えする所存……ッ!!」

「カヤといい、君といい、どうしてこうも大袈裟なんだい……?」


 困惑顔の潤葉に、すかさず幽慶が励ましの言葉をかけた。


「そなたの人徳のなせる業よ。受け入れるよりほかあるまいて」




  *




「和尚が住職を務めておられた寺は、あちらにござる」


 郊外近くの高台から見下ろすは、黄金色のススキ野原。古歌にも詠まれし眉須びすかやの眺めだ。

 湖畔に佇む古寺風の建物を、老僧の目が懐かしげに見つめている。


「十年ほど前に増改築されて宿屋になっているらしいですね」

「行ってみなくてもよいのですか?」


 若武者が振り返った托鉢笠の下で、真白なひげが揺れた。


「今は結構。時が来れば自ずと足が赴く――そんな気がしておるでのう」


 飛び立つ渡り鳥を、山向こうへと見送る八つの瞳は、思い思いの行く先を映し出している。

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