異世界編:お母さんにおまかせ!

 入山いりやまけんは危機に陥っていた。


(う……嘘だろ……!?)


 身に着けたものは腰の手ぬぐい一枚だけ。手には拾ったキュウリが一本。


「ソノきゅうり、オレタチノダ! 勝手ニ盗ルンジャネー!」

「イヤ、元々オレタチ、村カラ盗ンダ物ダロ」


 見知らぬ河原で、多数のカッパたちに襲われようとしていたのだ。


(さっさとどこかに逃げ――)

「――〈あれつらね〉!!」


 突如として吹き乱れた衝撃波が、カッパたち全員を川の中へ跳ね飛ばしてしまった。


(――えぇええっ!?)

「間に合ったか」


 声の主を振り返る。

 颯爽と現れたのは、木刀を担いだ袴姿の美熟女であった。後ろには、献慈が先ほど出会った若い女性もついて来ている。


みお、お前が顔面騎乗かました少年というのはコイツか?」

「お母さぁん! 言い方ぁ!」

「言い方も何も事実……――待て、よそ見をするな!」


 水飛沫を上げて、川面から蛇とも魚ともつかない巨大な魔物が飛び出して来る。

 娘の澪が丸腰であるのに気づいた瞬間、


(俺が……守らないと……!)


 驚きと恐怖にすくみ上がるはずの献慈の身体が、どういうわけか彼女を守ろうと動いていた。

 同時に躍り出る母親の――


「〈かぶと風切かぜきり〉!」


 木刀の一振りで巨獣が跡形もなく消し飛ぶ。


撒き餌カッパに誘われて来たか……迂闊。しかし少年よ、なかなか見どころがあるな。今から私の家へ来い。いいから来い」


 献慈は問答無用で連れて行かれた。




  *




 農村の片隅にある、平屋建ての家だった。


「ニホンとかいう土地は私も知らんな。後で夫の遺した本を漁ってみよう」


 献慈を助けてくれた二人のうち、母親のほうはおお曽根そねのりという名の未亡人らしい。


「旦那さん……ですか?」

「ああ。神社の宮司だったんだが、神事で街に出かけた帰り、私の元彼に殺されてな。無論、見つけ出して八つ裂きにしてやったが」

「…………」


 急激すぎる展開に献慈は脳が追いつかなかった。


「とりあえず家に泊まって行け。後のことは追い追い考えるとしよう。……おーい、澪。メシはまだかー?」

「今ご飯炊けたー」

「……べつに私が怠けてるとか、娘をこき使ってるとかではないからな。客人に『素材の味しかしない』とか『アゴが鍛えられそう』とかいう食事を出すわけにはいかんだろう?」


 ばつが悪そうに横を向く美法を見て、剣の腕と料理の腕は比例しないのだと献慈は理解した。




  *




 その夜。

 案内された檜風呂の贅沢さに驚く暇もなく。


「ちょっと、お母さん! 何してるの!?」

「おい、デカい声を出すな! 私はただ客人の背中を流してあげようとだな……」


 廊下からの声が、献慈のいる風呂場にまで筒抜けであった。


「ウソ。絶対ヤラシイこと考えてる」

「お、お前と一緒にするな! ちゃっかり手ぬぐい回収しよってからに」

「あれはっ! も、元々私のだし!?」


(手ぬぐい……? って……)


「大体お前ばっかりズルいぞ! 私だってたまには若々しく躍動するアレが見たいのに!」

「わ、私はわざと見たわけじゃないからぁ!」


(俺もわざと見せたわけじゃないです……)


「っていうか、献慈くんにこだわる必要ないでしょ!? お母さんモテるんだし」

「わかってないなぁ、澪。私から言い寄ると男も女も怖がって一線引かれるんだよぉ……まともに相手してくれるのカガぐらいだぞ? まぁ、アイツとヤると上の取り合いになって疲れるんだがな」


(『上』? 『ヤる』?)


「私に言われても困るし! そんなに若い子がいいんだったら、おあつらえ向きの人がいるでしょ? お母さんにご執心な……」

「いやー、アイツはむしろ私の再婚姿を見せつけて歯ぎしりさせるのが絵になると思うんだよ」

「あー、わかる」


(どなたか存じ上げませんが……不憫)


「だろ? ああいう露骨なのより、大人しそうなタイプを私無しじゃ生きていけないカラダに染め上げていくのが乙だと思わんか?」

「それもわかる。けど本人の意思は尊重すべき」

「チッ……変なとこ真面目な奴だな。誰に似たんだか……」


(『わかる』……のか……)


 遠ざかる足音を聞きながら、献慈は軽々しく下心は出すまいと心に誓った。




  *




 美人母娘と一つ屋根の下、ドキドキ共同生活――ただし警戒心MAX――は早くも一週間を過ぎていた。

 いつものように三人での朝食を済ませた午前中、大曽根家に来客があった。


「ごめんください。先生はおられますか?」


 若い男の声に美法が反応し、玄関へと向かう。


かしわか。何しに来た?」

「これは先生、ご機嫌麗しく……もちろんお姿も変わらず麗しく、そして凛々しく、美しく……」

「お前なぁ……そういうのいいから、用件をまず言え」


 親しげに話す二人を、献慈は澪とともに後ろから窺う。


「先生?」

「お母さんのお弟子さん。神社の警備とかしてるの」


 柏木と呼ばれた青年はこちらを一瞥し、すぐに「先生」の方へ向き直る。


「これは失礼しました。例の剣についてご意見を伺いたく」

「あー、あれか――」


 美法は顔だけ後ろを振り返り、事情を知らぬ献慈へと言い聞かせるように返事をした。


「旦那をブッ殺した奴の剣をな、神社で預かってもらってるんだ。そうか……仇討ちから一年も経つんだな」

「清めの時も済みましたので、近くナコイの資料館辺りに譲り渡してはいかがかと、祭司長が」

「ナコイにか……うん。ちょうどいい」


 美法はのしのしと献慈に近づき、大きく肩に腕を回した。


「ぅえ……っ!?」

「献慈、ついでにお前も連れて行くぞ。港町あそこなら故郷の手がかりも手に入るかもしれん」


 美法の厚意は有り難かったが、それよりも献慈が気になったのは、こちらを強く睨みつける柏木の視線だった。


「貴様か……先生をたぶらかし、この家に抜け抜けと居座る寄生虫め……!」

(な、何なんだ!? この人……怖っ)

「おいおい、献慈はそんな甲斐性無しではないぞ? なかなか〝いいモノ〟持ってるしなぁ、澪?」

「えぇっ!? わ、私!?」


 狼狽える澪を尻目に、柏木の表情が険しさを増していく。


「少なくとも――私に本心を打ち明けられない〝誰かさん〟よりは見込みがあると踏んでいるがなぁ?」


 美法はこれ見よがしに献慈の体を指でなぞった後、柏木にとどめの一言を告げる。


「三ヵ月だ。私が三ヵ月も鍛えればコイツはお前から一本取れる戦士に育つだろう。もしできなければ……そうだな、二人のうち勝った方と私が付き合ってやるというのはどうだ?」

「その勝負引き受けました!!」


 取引は即刻成立した。その場の約二名を置き去りにして。


「あの、俺の意思は……」

「待ってよ、お母さん! そんな勝手な……」

「何だ? それじゃお前が献慈を鍛えるか? ……うん、それがいい。指導者としても天才である私が直接手を下したのでは勝負にならんからなぁ」

「う……それは……」


 口ごもる娘を見て、母がほくそ笑む。実にこの一連のやり取り、初めから美法の独壇場であった。


「決まりだな。勝負の日まで澪が献慈を鍛え上げろ。柏木が勝ったら私と柏木が、献慈の勝ちなら澪が献慈と付き合う、ということで文句はあるまい?」

「あのー……澪姉の意思とか、さっきの剣の話とかは……」


 この時の献慈はまだ知る由もなかった――勝者となった男女が運命の剣を手に旅立つ、波乱含みな冒険譚の行方を。

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