第四章

第55.5話 フルレングス

 夜の大浴場。ライナーも去り、ひとりきりとなったけんは石造りの浴槽に背中を預け、ゆったりと湯に浸かっていた。


(言うほど熱くはないな。むしろちょうどいい――)


「おっほぉ~、誰もいないじゃん。貸し切りだよ、貸し切り」

「本当だー、広いねー」


 楽しげな声が壁の向こう、女湯から聞こえてくる。


(騒がしい客だなぁ……ま、いいや。気にせずくつろごう)


「これで全風呂制覇~! ところでさっきの話、充分脈ありじゃね?」

「そ、そっかな? そりゃ私だって見た目とか気を遣ってるし、一応は異性として見てもらえてるはず……とは思う、けど……」

「またまたご謙遜を~。アイツ明らかに奥手だから、自分から行かないと一生進展しないよ?」


(一体何の話してるんだろ)


「で、でも初対面があんなだし、やっぱり……気にしてるかもって……」

「あー、いきなり粗末なモノ見せつけられたんだっけ?」

「粗末じゃないもん! 謝って!」

「ん? どういう意味?」

「あ! ちがっ……か、体つきとかの話!」


(ん? ケンカでもしてるのか?)


「体つきぃ? あんなヒョロっとしてんのに?」

「そ、それは……村の男の人たちより線も細いし、何だったら私のほうが大きいし、力とか全然強いんだけど、やっぱり……いろいろ違うんだ。触れてみたら硬くて筋張ってて、喉仏も出てて……男の人の体ってこういう感じなんだなって……血管とか浮いてるし、鎖骨の窪みとか、あと匂いとかも……」


(声が反響して聞こえづらいな……)


「怖ぁ~……訊いてもないのにめっちゃ一人で語ってるし」

「んなっ!? さ、さっきから変な方向に誘導してるのはそっちでしょ!?」

「うっわ、ついに人のせいにし始めたよ。マジ引くわー……痛っ! わかった、わかったから、もー……ブクブク……」


(まだ喋ってるのか。いい加減静かに――あ、近づいて来た)


「ちょっとぉー、お行儀悪いよ?」

「んな堅いコト言いっこなしだってぇ……こっちのほうは柔らかいクセしてさー」

「んぅっ! お腹つままないでよ! もぉ~、さっきから人のことバカにしてぇ! いくら自分がスタイルいいからってさ……」

「してないしてない。むしろミオ姉が羨ましいよ~、背高くてカッコイイし」


(――えっ!? みお姉ぇ……ってことは、こっちのウザい女子はカミーユか!)


「えー、私ヤなんだけど。身長とお尻ばっか成長してさ……こっちは……」

「それはそれで需要あるっしょ。あと……あばたもえくぼ、っていうし?」

「全然なぐさめになってないからぁ! 大体コレぇ! 貧富の差ありすぎですし! カミーユぅ……ちょっとソレ、こっちに分けてもらえるかな~?」

「いーやいや、あたしだってどっちかってぇと持たざるも……のぁーっ!」

「いいから寄越しやがれ~! 富の再配分~!」

「やめれっ、やめてくだされ~! 分け与えるほどの備蓄はございませんで~!」


(壁一枚を隔てて、うら若き乙女たちが一糸纏わぬ姿で組んずほぐれつの階級闘争を繰り広げているという事実に触発され、我が社でも過当な賃上げ要求がたちどころに勢いを増しております)


「……ん?」

「どしたの? ミオ姉」

「誰か……ううん、気のせいみたい」

「えー、もしかしてノゾキ? ……案外ケンジとかだったりして~」

「献慈はそんなことしないよ!」


(うん! 俺、そんなことしないよ! この状況であんま説得力ないけど!)


「冗談だってばー。でも何やかんやアイツ…………で……ながら……」


(急に声が聞こえなくなった……耳打ちしてる……?)


「それは……べつに、構わないけど……」

「いいのかよっ!? それはその……お互い様、みたいな?」

「その手には乗らな~い」

「くそー、手ごわい……てかミオ姉、髪綺麗だよね~。椿油だっけ?」

「うん。お母さんから教えてもら……あ、この床の所すべすべ~」

「ホントだ。すべすべしてる~」


(脈絡ない会話! ありがち!)


「あっ!」

「ふぇっ!? 今度は何!?」

「私……けっこうお腹、出てる……」

「えー、今さらぁ? さっきだって――」

「違うのぉ! 思ってたよりお肉ついてたんだもぉん!」

「違わねーじゃん! 寝る前にどら焼き十枚とか食ってりゃ太りもするわ!」


(今……何気に衝撃的なニュースを耳にしたような……)


「あ、あの日はたまたま、お腹すいてただけで……」

「たまたまねぇ……じゃあ昨日の夜は? まーたコッソリ何か食ってたでしょー?」

「き……昨日は、豆大福ろっ……五個だけ」


(めっちゃ言い直した! てか、それでも多い!)


「ほぉらぁ~! 実家離れたからって羽目外しやがってこのォ、夜ごと太る女めがァ! 反省しろぉィ!」

「……はぁい……」

「わかったらサッサと上がって今日は早めに寝るッ! 返事ィ!」

「……わかり……ました……」


 あからさまに気落ちした澪の声に続いて、お湯から上がる音、そして何かを平手で叩いたようなペチン、という景気の良い音が献慈の耳へ届く。

 最後に、遠ざかっていく二人分の足音。


(はぁ……やっと帰ったか。じゃあ、俺もそろそろ――)


 お湯から上がろうと献慈が身じろぎした時だった。

 壁越しに投げかけられた声。


「で、いつから聞いてた?」

(えっ――)


 湯に浸かっているにもかかわらず、背筋を寒いものが走る。


「ふっふっふ……リコルヌの五感をナメてもらっちゃ困るねぇ。そこにいるんだろう? ケンジさんよぉ!」

「なっ……なぜそれを……」

「あー、やっぱいたか」

「(しまったあぁぁァ――ッ!!)カ……カミーユ……なのかな?」

「ふん、白々しい。どうせ全部盗み聞きしてたんだろ?」


 完全に疑われている。なればこそ、献慈は認めるわけにはいかない。


「ち、違うよ! 聞こえたのは途中からで……」

「嘘つけェー! ウチらが出て行くまで息をひそめてやがったろ、このド変態!」

「ホントだって! 二人とも楽しそうだから邪魔しないように……ってか、どうしてカミーユがここに!? 出てった足音は二人分だったはず……」

「それはなぁ~……横を見てみろ」

「えっ、横――?」


 そこにはこれ以上ない答えが待ち構えていた。


「Yu ommepal-sha pogueytek-ra.」


 無垢なる微笑。ついでに一糸纏わぬ無垢な裸体。


「あー……シルフィードさんでしたか。これはどうも」

「Shiiti, Kenji-kel.」


 人間は予想外の事態を目の前にすると存外冷静でいられるという。

 ただし、献慈が冷静なのはあくまで上半身のみである。


「あのー……今ですねー、非常に申し上げにくいのですが、自分の、アレがそのー、いろいろと、何というか、ヤバいといいますか、突起物が、フルレングス状態――」

「何言ってるかわかんねーよっ! シルフィード、とりあえずソイツ追い詰めて」

「Few.」

「あぁっ! い、いけません! およしになってくださいな!」


 献慈は前方をかばい後ずさりするも、精霊の迫り来るスピードは水の抵抗を物ともしない。

 その間もシルフィードの芸術的肢体は眼前に晒され続けているわけで。


「やめろとか言いつつガッツリ見てんじゃねーぞっ! オイッ!」

「……えっ! 見えてる?」

「当たり前だコノヤロー! 全感覚、とっくに同調シンクロ済みだァ!」

「Ena'e chas'ry metew-tekal-pe...」


 献慈はあっという間に浴槽の端まで追い詰められていた。


「さて――もう一度尋ねる。どっから聞いてた?」

「ですから澪姉の名前が出て、お二人でキャッキャなさっていた辺りから……」

「何だとォ!? き、キサマ……よもやあたしらの……想像……し……を……」

「……? 何でございましょうか?」

「……だあァーッ!! 言えるかァーッ!!」

「うわっ――」


 急な大声に思わず献慈が身をのけぞらせた瞬間、


「――どぅあっつゥイ!!」


 頭上から降りかかる大量の熱湯。そこにあったのが温泉投入口だと気づいた時にはもう遅かった。

 献慈は熱さと驚きのあまり勢いよく立ち上がっていた――二重の意味で。


「あっ」

「Dee, ponystze.」


 シルフィードの目線と、献慈の腰の高さとが一致していたのは、何という運命の悪戯であろうか。


「ヴオオォオオォォ――――ッッ!!」


 仕切り壁の向こうで凶悪なシャウトがこだまする。トゥーラモンドにデスメタルが伝来した歴史的瞬間であった。




  *




 明けて翌朝。食堂に集った四人はいつものように朝食を囲んでいた。

 そう、いつものように――一人を除いて。


「…………」


 小皿に盛られたキノコの炒め物を、カミーユはじっと見下ろしていた。


「あれっ? カミーユ、それ食べないの?」


 一見心配する素振りの澪だが、物欲しそうな気配が隠しきれていない。


「カミーユはキノコが苦手なのですよ。過去に嫌な体験が……というのは、おふたりともご存知でしたね」


 ライナーが言っているのは例の茸型の魔物ファンガスのことに違いない。

 だが献慈の脳裏に浮かぶのは、記憶に新しい己の失態である。


「あの……昨夜はごめん。俺がトラウマ上乗せしたみたいになって……」

「上乗せ? むしろ上書きされたわ……」

(それほどかぁー……)


 にべもない返事にうなだれる。

 澪は訝しげに小首を傾げつつテーブルに身を乗り出す。


「よくわかんないけど、残すんだったら私が代わりに……」

「いや――食うッ!!」


 ここに来て開き直ったか、カミーユは怒涛の勢いでキノコ炒めを平らげてしまった。


「おお、ついに苦手を克服したのですね。素晴らしい」


 事情を知らぬライナーが称賛の声を送る。結果こそ喜ばしいが、献慈としては複雑だ。


「カミーユ……何というか、その……」

「あー、もういいって。アレはまぁ……答え合わせっつーことで」

(答え合わせって何だ……?)


 若干の疑問は残しつつ、自体が丸く収まったことに献慈は安堵するのだった。




  *  *  *




お話のつづき


【本編】第56話 空を飛べたら

https://kakuyomu.jp/works/16817139558812462217/episodes/16817330649073369296

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