「1986年 岡崎恭介 45歳」act-8 <愛より愛しく>

「今、麻酔で眠ってますから」

そう言うと、若い看護婦は部屋から出て行った。無機質な空間の堅そうなベッドにユウは寝かされている。岡崎は音をたてないようにパイプ椅子をベッドの横に置くと、静かに腰掛けた。

少しやつれたような寝顔のユウの頬に、涙の痕らしき一本の筋があった。


—お父さんは、小さい頃死んじゃったー


ふいに、あの日のユウの声が聞こえたような気がした。岡崎は立ち上がり部屋の隅に行くと、ユウに背を向け、ハンカチを口に押し当てた。

おそらく自分と別れてから、再婚もせず働き、あの小さなアパートでユウを育ててきた妻。そして、父親は死んだと聞かされ、それを信じて今日まで生きてきたユウ‥たった一本のロウソクが立てられたケーキを目の前に、音痴なハッピーバースディを歌う自分を、不思議そうな顔で見ていた赤ん坊が、成長し傷つき、そして今、目の前にいる。

岡崎はふらつきながらベッドに戻ると、布団の上からそっとユウの身体を抱きしめた。愛しいという気持ちが愛の一部なのか、愛を超えるものなのかはわからない。しかし岡崎は、自分の全身から、こんなにも暖かく優しい感情が湧き出ることを、生まれて初めて知った。

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