「1998年 垣内和彦 30歳」act-2 <ずっと君が好きだった>
垣内和彦と由美は同じ大学だった。一浪して入った地元埼玉の国立大学に、垣内は大宮から、由美は今日訪ねたこの家のある川口市から通っていた。
付き合うきっかけは、卒業して一年後に行われた同窓会だ。三次会と称してなだれ込んだ居酒屋。そこで由美と隣り合わせの席になった。会話をするのは初めてだ。二人は同期であったが、学部が違うので彼女は垣内に面識はないはずだ。
だが、垣内は由美を知っていた。
最初に彼女を見かけたのは三年生の時、五月の連休明けの頃だ。
友人達と学食に向かっていた垣内は、前方から歩いて来る見知らぬ顔に、思わず足を止めた。まっすぐに視線を据えた瞳が大人びているが、分厚い本を両手でしっかり胸に抱えている様が妙に愛らしい。彼女と擦れ違った瞬間、薫風に紛れ何かが垣内の身体を吹き抜けた。それが由美だった。
以来、気がつくとキャンパスに彼女の姿を探していた。学校近くの「ウッドペック」という小さな喫茶店。そこでバイトをする由美を見つけた時は、胸が高鳴った。ほんのひと時だが、彼女と同じ時間を共有できる。垣内は足繁く店に通った。しかし、彼女に声をかけたことは一度もない。当時、同じ学部に付き合っている女性がいたことも理由のひとつだが、実はその凛とした佳麗さに怯んでいた。軽口を寄せ付けない謹直さを由美は纏っていた。
遠目に焼き付けた華奢な身体と笑顔、そして苦い珈琲に封じ込めた密かな想い‥。
「平井さん、ウッドペックでウエイトレスしてたでしょ?」
皆に囃し立てられた幹事が一気飲みを始めた喧騒に紛れ、垣内は思い切って由美にそう聞いてみた。肩が触れるほど近くにいる彼女が小首を傾げる。微かな香水の匂いが、垣内の鼻腔をくすぐった。
由美に会えるかもしれない。垣内が同窓会に出席した理由はそれだけだ。隣同士の席になったのは偶然ではない。最初からその機会を狙っていた。一度でいい、由美と話がしてみたい‥。
ささやかな感情は、すぐに歯止めがきかなくなった。酔いの勢いに任せ、抱き続けた思いの丈をぶつけると、由美は笑いながら意外な言葉を返した。
「なんだ、もっと早く言ってくれたら良かったのに」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます