「2017年 辰巳真司 48歳」act-2 <転校生>

群馬県利根郡に、かろうじて地図に名を刻むことを許されたようなNという小さな村がある。梅雨の季節が近づいていたある朝、その田舎の中学校に、東京から一人の少女がやって来た。

担任の男性教師に連れられ教室に入って来たその少女は、黒板に細い線で名前を書き小さく頭を下げた。

「平井由美です」

高校受験直前のこの時期、そして彼女の身を包んだ都会的なグレーのブレザー服と、先端の跳ねたセミロングの黒髪は、イガグリ坊主とおかっぱ頭の集団にとって、違和感以外の何物でもなかった。教室の一番後ろの窓際に座る辰巳の隣、担任に促され彼女はその空席に腰を下ろした。


一限が終わり休み時間。遠巻きの男子をかきわけ、クラス中の女子がブレザー服を囲み質問攻めにした。

席を立つ機会を失った辰巳は、その塊の隅に所在無く身を縮めている。

東京のどこから来たのか、サンシャインに行ったことがあるか‥不自然なくらい高揚した顔たちが、矢継ぎ早に言葉を投げかける。しかし、聞き耳をたてている辰巳には、無邪気な一団に対する平井由美の受け答えはどこかぶっきらぼうで、降り注ぐ好意を積極的に歓迎してはいないように感じられた。


そして両者に生まれつつある境界線は、誰かの「マッチとトシちゃん、どっち派?」という問いかけに、彼女が返した言葉で決定的となる。

「どっちも好きじゃない」

賑わいが一瞬止まった。

「じゃ、歌手で誰が好きなん?」

しばしの間の後に、声が聞こえた。

「オザキ」

その言葉が生んだざわめきを縫うように、幼馴染の高橋雅子が辰巳に声をかけてきた。

「真ちゃん詳しいよね。誰、オザキって?」

一団が一斉に辰巳を振り返り、その隙間から平井由美の顔がのぞいていた。

予期せぬ展開と彼女の視線にたじろいだ時「辰巳でも知らないのかぁ」という誰かの声とともに、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。 足早に自分の席に向かう彼女達を見送りながら、辰巳はワクワクするような鼓動の高鳴りを必死に抑えていた。


—いいじゃん、こいつ‥平井由美—


二限目の教科書を、鞄から出すセーラー服達の丸い背中に向かって、辰巳は心の中で叫んでいた。

—お前らにわかってたまるか—

半年前に突如現れたヒーロー、尾崎豊。東京で始まりつつある音楽の最先端は、田舎の村にはあまりに遠かった。


次の休み時間、平井由美の席に近寄る者はいなかった。彼女が口にした“オザキ“という言葉は、その存在が十分に異分子であることを、決定付けてしまったようだ。

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