SSS(スーパーショートストーリー)

糸巻庄司

【テーマ】ケチャップ、地獄

「変な話だけどさ、ケチャップと地獄って、ちょっと似てない?」


「は?」


 雑多にざわめく往来を見ながら、斎藤が突然言った。

 訳が分からず、思わず首を傾げる。

 斎藤は昔からこうだった。思い付いたことを何でも口にする正直者、というかデリカシーの無い男で、そのせいで俺以外に友達のいない孤独なやつ。

 まあ、友達がいないのは俺も同じなんだけど。それはそれとして、神妙な顔をして黙り始めた斎藤を見つめ、彼の二の句を待つことにした。


「どっちも、赤いだろ?」


 絞り出したような声でヤツが言ったのは、そんなくだらない理由だった。


「だからって地獄とケチャップてお前……普通、ケチャップと血とか、赤い絵の具とか……そういう話じゃねぇの? ……いや、それにしたって意味わからんけどさ」


 地獄が赤いってのは、俺にはいまいちよく分からなかった。

 大体なんで、そんなことを思いついたのだろうか。


「つーか、どうしたんだよ。いきなり」


 問いかけると、しばらくの間斎藤は何も答えなかった。

 最終下校時刻を告げるチャイムが鳴った。ホタルノヒカリ、という曲らしい。

 そうなると、人のざわめきが一挙に静まり返っていく。何度も響くアナウンスに耳を澄ませても、その言葉の意味は判別できない。

 そんな奇妙な音に紛れるように、早口。


「最近、夢を見るんだよ」


「夢ぇ?」


「うん。俺の目の前には真っ白い天国への門があるんだ」


「……」


 正直なところ、夢の話はあまり好きではなかった。だって、それはたいていオチなんてものもない退屈な話だから。けれど、斎藤の顔があまりにも真剣だったから、俺も真面目に耳をそばだてる。


「んで、夢の中の俺はどうしてか天国に行きたくてたまらないみたいなんだ。だから、あれこれ試してみるんだ。門を叩いてみたり、叫んでみたりして、天使……っていうのかな。門の向こうにうっすら見える巨大な人影に呼びかけるんだ。俺はここにいる。俺はここから出たいんだ。俺は、俺は──ってさ」


「……」


「でも、天使は何も答えてくれない。代わりに、向こう側から門を叩くんだ。勢いよく、何度も。そうして、ゆっくりと門にヒビが入って、天国が開けていく。……でも、」

 

 そこで言葉を区切った斎藤は、実に恐ろしそうに続けた。


「でもな。そこには、天国なんてねぇんだ。そこに在るのは、地獄なんだ。初めは統括地獄。全身を切り刻まれて、かき回されて、俺の身体は液体みたいにドロドロに溶ける。それで、傷口に塩を塗り込まれて……」


「斎藤?」


 もはや、俺に向けて話しているという感じではない。

 ガタガタと全身を震わせながら、彼は独り言のように続ける。

 心底怯えているかのように、真っ白い顔を何度も揺らした。


「そのまま黒縄地獄に連れていかれるんだ。……そこでは、ただでさえドロドロに溶けきった身体なのに、高温の鉄板の上で焼かれ続けるんだ。辛いんだ。怖いんだ。でもっ、でもな! それでも地獄は続くんだよぉ‼ 全身を薄く引き伸ばされたりっ、さっきと同じくらい熱い山の上に転がされたりっ……俺っ、俺はぁっ──」


「お、おい! 斎藤⁉ 落ち着けって──」


「それで最後。最後に俺の目の前に、地獄の門が現れて、それがゆっくりと開かれていくんだ。門の隙間からは──真っ赤な地獄そのものが零れ落ちてくるんだ。だからな……赤が、離れねぇんだよ。……赤。赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤」


 話はそれで終わりらしい。

 完全にヒステリーを起こした斎藤は、それっきり「赤」という言葉を繰り返すだけになった。彼との会話はそれっきりで、俺達は別れた。

 結局のところ、彼が俺に何を伝えようとしていたのかは分からない。というよりも、そもそも分かろうとさえしなかった。そう言えるだろう。




 あれからどれだけの時間が経っただろう。

 俺は、短すぎる人生の幕を下ろした。




 目が覚めると、俺の目の前には巨大な門があった。

 眩しいほどの純白に包まれた大きな門。

 一目でわかった。

 きっと、この扉の向こうには、俺の世界がある。

 そこをきっと、天国と呼ぶのだろう。

 目を凝らすと、うっすらと、光があふれる門の向こう側に、人影が見えた。

 あれは、天使というやつだろうか。

 俺は、叫んでみる。


「なぁ──」


 返事はない。

 何も言わない天使は、門を叩き、砕いた。

 轟音が辺り一面に響き渡って、斎藤から聞いた話を思い出す。

 門が砕けて、そしたら──。


「じご──」


 そこからは、目まぐるしくも永遠だった。

 全身を引き裂かれ、引き回され、ドロドロに溶けきった俺の身体は鉄板で熱されて、これ以上ないくらいの苦痛に喘いだ。

 救いなんて、どこにもないと思った。

 けれども、何よりも怖かったのは、全ての責め苦に耐え抜いた先のこと。

 斎藤という男の気を違えたほどの赤。

 それが、何よりも恐ろしかった。


「おわ、り?」


 どれだけの時間が経っただろう。

 俺にはもう、分からない。

 もはや、俺の身体は原型をとどめておらず、どこまでも薄く引き伸ばされたまま、熱い大地を包み込むように転がされている。

 ふと、どこからか斎藤の声がした。気がした。


「──地獄と、ケチャップって、よく似てるよな」


 いつの間にか、目の前には地獄の門。

 これまでの責め苦はあくまでも、地獄に入るための前段階だとでも言うように、ただ、真っ白いその門はゆっくりと開かれていく。

 門の奥から、赤い何かが零れだす。

 これは、地獄の悪意そのものだ。

 斎藤の言う通りだった。

 彼は今、どこに居るのだろう。もう、分からなかった。


「あぁ、はは……ははは──」


 俺はもう、笑うしかなかった。

 どうして、こんな目に遭うのだろうか。

 門から零れ落ちた赤い雫が全身に広がった。

 零れた涙は、酸っぱいような、しょっぱいような味がした。


 いつか見た天使が姿を現す。


「たっ──」


 助けてと、そう言うよりも先に、思い至る。

 そもそもの話、あの天使が天国への門を打ち砕いたのだ。

 なればこそ、あの天使こそが、俺を地獄に堕とした悪魔に外ならない。

 

 許さない。許さない。許さない。

 なんどもそう叫ぶ。

 けれど、声は決して届かない。


 やがて天使は銀の匙を持ち上げる。

 まっすぐに、俺の身体に突き刺して、とどめを刺す。

 薄く引き伸ばされた身体は、その下の大地ごと持ち上げられて、それで、終わり。


 俺の意識は、もう、完全に消えそうだった。

 だけど、本当は少しだけ、安心していた。


 ──あぁ、これでようやく、終わりだ。


 全てか消える寸前、俺は初めて天使の声を聞いた。


「お母さん‼ ──オムライス、おいしいね‼」

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