第四章 娼館地下の謎

4-1 娼館VIPルーム

「よし、大丈夫だ」


 角から鏡を出したガトーは、階段の上を確認した。


「一階まで上るぞ」

「おう」


 足音を殺したまま、足早に移動する。


「潜入したとき、一階と地下は制圧しておいた。ブッシュ達が地下に幽閉されていると聞き出したから、二階三階は放置してある」

「助かる」

「なんで全館制圧しなかったのさ、ガトー」


 虫籠の中で、プティンは柵を掴んでいる。虫籠は、ティラミスが運んでいた。


「二階三階はこの娼館のメインフロアだ。秘事部屋が並んでいるし、トラブル解決のための用心棒も多い。俺ひとりで相手するのは厳しいからな」


 階段最上部に達すると注意深く、ガトーは左右の廊下を窺った。


「それに悪党はともかく、ただ女買いに来ただけのエロ親父まで殺すのもなあ……。女が騒いだら、どうするかってのもあるしな」

「まあたいがいは嬌声と思われるっしょ。場所が場所だ」


 クイニーはあっさりしたもんだ。


「それに……変な話、女に苦痛を与えて楽しむカスまでいる。悲鳴なんか誰も気にしないぜ」

「いずれにしろ、女の子まで殺すわけにもいかないわよね、たしかに」


 ノエルが頷いた。


「できればこの苦界から解放してあげたいけれど」

「解き放つだけだと意味がない。当面の生活資金を渡さないとならないし、なんのスキルもない彼女らが働ける仕事だって必要だ」

「そうよね、ブッシュ。……なにかいい手はないかしら」


 ノエルは、ほっと息を吐いた。


「後で考えよう。おい、クイニー」

「へい、ブッシュの兄貴」

「オーエン公とアラン嫡子はどの部屋でお楽しみ中なんだ。女を気絶させないとならないし、場合によっては事前に周辺だけでも制圧する必要が出る」

「それなら安心してくれよ、ブッシュの兄貴。連中は一階最奥。秘密のVIPルームだ。一階はクイニーの兄貴が制圧済みって話だし、多少騒がれても問題ねえ」

「なるほど」

「ただ、注意は必要だ。あそこだけは、裏口から直接入れるんだとよ」

「なら踏み込んだらその通路を塞ぐ必要があるな」

「私に任せて、ブッシュ。出口は押さえるから」

「よし。ノエルに任せた。……ティラミス」

「はい、ブッシュさん」

「連中が逆ギレすると危険だ。お前はマカロンと共に、入り口を守れ。連中を外に出させるな」

「はい」

「まっかせてーパパ」


 腰の剣に、マカロンが手を置いた。


「あたし、ぜえーったい逃さないから」

「おう、頼もしいな。さすがはブッシュファミリーだ」


 ガトーが笑った。


「あのデーモンロード戦を思い出すぜ」

「なんすか兄貴。それ」

「てめえが逃げてからのことだ、カス」


 ガトーに頭を殴られて、クイニーは黙った。余計なひとことを口にして、しまったという表情だ。


「ここがVIPルームか……」


 一階の長い廊下、そのどんつきに小汚い扉があった。


「とてもそうは思えんな」


 どう見ても、掃除用具入れとか布団部屋とか、そんな雰囲気だ。


「偽装ってことっすよ、ブッシュの兄貴。なにしろ相手は為政者親子。娼館出入りだけで、どえらいスキャンダルだ」

「なるほど……どうだ、ガトー」

「しっ」


 扉に耳を着けたまま、ガトーは俺を手で制した。


「みんな、静かに」


 囁く。


「……」


 しばらく気配を探っていたが、ガトーは扉のノブに手を伸ばした。


「……」


 静かに回す。そっと開くと、中に駆け込んだ。俺達も続く。


「……あら」


 ノエルが首を傾げた。


「もぬけの殻じゃない」


 前室も、どでかい寝台のある寝室も、人気は無かった。オーエン父子どころか、相手をしている女さえ居ない。


「一戦終わって、もう帰ったんじゃないか」

「いや」


 俺の問いに、クイニーは首を振った。


「そんなはずはねえ。だって見ろよ兄貴、シーツもブランケットもきれいなままで乱れてない。女と楽しんだ形跡はないし、寝台も冷たい」


 ブランケットの下に手を入れている。


「どういうことだ……」

「お前の情報が間違ってたんじゃないか。父子は今日来ていなかったとか」

「あり得ねえ。ちゃんと確認した。それに到着したって、宿の連中も浮足立ってた。演技とは思えない。百歩譲って嘘だとしても、出入り業者の俺にそもそも演技を見せつける意味がない」

「ねえブッシュ、これ見て」


 寝室の奥、ノエルは予定通り、裏口と思われる扉の前で退路を押さえていた。


「ここは裏口に通じていると思う。その証拠に、汚れ落としのフロアマットが敷いてあるし」

「うん」

「なら、これは何かな。ほら、ここ」


 指差したのは、寝台の脇の壁。壁には筋模様が全体に入れられている。


「この部屋だけ、壁を縦横に走るように筋模様があるでしょ。おかしいと思ってじっくり調べたらほら、ここ……」


 ひとつの筋を辿った。床から垂直に、それから水平に、また床に向かって。


「ここの筋、よく見ると切れ目がある」

「隠し扉だな。こいつを偽装するために、部屋全体に筋模様を入れたんだ」


 無表情に、ガトーが呟いた。


「しゃがみこめば抜けられるくらいの、小さな奴っすね。筋はうまくごまかしてある。たいした仕掛けだ」


 クイニーも舌を巻いている。


「クイニー、開けられるか」

「へへっ。お任せあれ。俺の専門だ」


 膝立ちになると、クイニーは扉に耳を着けた。そのまま軽く、あちこちをこんこん叩いている。


「……ここだな」


 金属板を、懐から取り出した。定規くらいのサイズで、片側のみ、奇妙な波加工がされている。鋸刃のこば状に見えなくもないが、ピッチが様々。なにかを切るためというより、なにかを引っ掛ける目的の加工に思える。


 溝に差し込むと、下から上に、ゆっくりと動かす。ある地点で止めると一度板を抜き、ピッチを確認してからまた差し込む。先程より深く差したところで、素早く前後に動かした。



――カチッ――



 微かに音がした。


「開きやした、兄貴」


 ゆっくりと扉を開いた。中を覗き込むと、暗い通路。背が低いのは扉だけで、中は普通の天井高だ。


「俺が先頭を取る」


 身を屈めると、ガトーが扉を潜った。


「無いとは思うが、罠があると面倒だからな」


 ガトーはトップクラスのスカウト。スニークミッションは得意技だ。


 ガトーに続き、無言のまま進む。ほんのライター程度の灯りを、ガトーは手に持っていた。小さいし、かろうじて足元が照らされる程度の灯り。気づかれにくい。さすがはスカウト装備だ。


「……」


 おかしい。


 俺の頭を、疑問が駆け巡っていた。


 オーエンとアランは、なんでこんな部屋に入ったんだ。娼館に出入りしながらも、寝台には女など皆無。この先に秘密のお楽しみ部屋があり、そこで女とよろしくやっているのかもしれない。だがいくら秘密のお楽しみとはいえ、そこまでするだろうか。裏口直結の偽装VIP部屋で、隠蔽工作は充分だろう。


 それ以上に隠す必要があるとしたら、それはなんだ……。


 おかしな点は、どんどん増えていった。いくら隠し通路とはいえ、客の通る廊下にランプすら無いのが奇妙だ。しかも廊下は長かった。もう娼館を突き抜けているはず。どうやら、隣家――つまり船道具卸の母屋まで秘密の通路が繋がっているようだった。


 二軒の間の庭には、低木が葉を茂らせていた。あれで通路を隠していたに違いない。


 床が微かに軋むのも、気になった。最初は床がボロいせいだと思ったが、もしかしたら侵入者を音で感知するため、わざと緩い造りにしてあるのかもしれない。


「……」


 突然、ガトーが立ち止まった。手信号で、俺を呼び寄せる。


「見ろ、ブッシュ……」


 囁くように呟く。


 指差す先、廊下は行き止まりになっている。脇の壁にぽっかり穴が開いており、そこから別通路が伸びていた。


 廊下ではない。洞窟だ。荒い岩肌の洞窟が、斜め下に続いていた。真っ暗な、闇の地下に向かって。



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