1-3 謎パパ、爆誕!
「ここだよ」
「サバラン商会」と書かれた木の看板を、ガキが指差した。三階建て。ところどころシロアリの虫食い穴の開いている木造で、立派……とはとても言えない。良く言えば伝統を感じる渋い焦げ茶の宿屋だが、まあ普通に表現すればボロ屋だな。
「よし」
エントランスの跳ね扉を開けようとした俺の手を、ガキが掴んだ。
「ダメダメ。そこはお客さんの入り口だから」
「すみません」
ママが頭を下げる。
「いつも、裏口でもらうんです」
そりゃそうか。ごみ臭い奴がノミシラミを撒き散らしながら入ってきたら、客逃げるわ。
「こっちです」
通りをぐるっと回って裏口に。裏通りとはいえ、ここはさっきのスラムと違って、はるかにきれいだ。
コンコン――。
ママがノックすると扉が開き、ハゲたヒゲおやじが顔を覗かせた。五十代くらいか。脂の乗り切った、精力的なおっさんだ。
「こんにちは、サバランさん」
「なんだティラミス、腹減ったのか。……だが悪いな、今日は宿泊予約が一件も入ってない。野菜くずも肉の切れ端も無くてな」
「いえ、この人が……」
腕を掴むと、ママが俺を押し出した。
「サバランさんに用事があるって」
「おう、ブッシュじゃねえか」
上から下まで俺を見て、驚いたように目を見開く。
「なんで下着なんだお前。どえらく汚れて臭いし。装備はどうした」
「俺、ブッシュって名前なんすか」
「はあ? 何を言っとる」
大口開けて笑われた。
「またドジ踏んだのか。ランスロット卿にケツでも蹴られて、装備全部売って弁償したんだろ」
「いえ、そのことですが……」
俺の話は、長く続いた。
●
「するってえと、パーティーを追放されたってのか」
「ええ。正直俺、これからどうしたらいいか、皆目わからなくて」
二重の意味でな。転生と追放と。
「で、ノエルって娘に、サバランさんに相談しろって言われて」
「ノエルなあ……」
俺をじっと見つめた。
「あいつも例のしがらみが無ければ、お前と行動を共にしただろうにな」
「しがらみって、なんですか」
「なにって……そりゃお前、両親が残した借金だわ。忘れたのか」
「いえその……」
「どうした」
疑い深げに見つめられた。
「その……正直に言います。俺、記憶を失ったようで」
「マジかよ!」
「ええ……。多分、転んで頭を打ったので。その時、金をどこかに落として、今は無一文です」
気絶しているうちに、いつの間にか追い剥ぎにあって身ぐるみ剥がれたようだと、俺は付け加えた。
とにかく、今はそういう話にしておくわ。転生どうのとか言えば、狂ったと思われるだろうしな。キャッチバーの話もいかん。遊んで自業自得とか呆れられるリスクがある。
「お願いします」
裏口の外で、俺はがばっと土下座した。この際、頭下げるくらい屁でもない。そんなんで俺のプライドはへし折れないからな。何年も底辺のドブを這い回ってきた社畜力なめんな。
「この世界で生活の目処が立つまで、住み込みで雇って下さい。皿洗いでもなんでもします」
「冒険に憧れて冒険者になったって言ってたのに、
「ええ」
「ここは冒険者宿。お前を知ってる奴だって来る。厨房で芋剥いてるところを、そいつらに笑われてもいいんだな」
「構いません」
そもそも、元のブッシュはともかく、中身の俺は、この世界の人間、誰も知らないしな。どうでもいいわ。それより今晩の飯とベッドだわ。
「まあ……お前とはいろいろ因縁もあるし、雇ってやってもいいが……。地下の空き倉庫で良ければ、寝室に使え。シケってて、ねずみも出るが」
「ありがとうございます」
頭を上げた瞬間、ふたりが見えた。ティラミスとマカロンが。俺が助かってマカロンは単純に喜んでいるようだが、ティラミスは、嬉しいような悲しいような、複雑な表情をしている。十五かそこらの小娘が、物心ついたばかりのガキを抱えて。
「その……サバランさん。もうひとつ頼みが」
「まだなんかあるのか」
「ええ。ティラミスとマカロンも、一緒に雇って下さい」
「ブッシュさん!」
驚いたように、ティラミスが口を押さえた。
「私なんかにそんな……もったいない」
「いいんだ。お礼をしたいんだ」
「おいおい、マジかよお前」
サバランは腕を組んだ。
「俺もかわいそうだとは思うが、この宿は見てのとおり貧乏だ。ちゃんと働けない奴を食わせる余裕などない。これまでもこれからも、客の残した飯や捨てる食材なんかはやるさ」
「そこをなんとか」
「それに……」
困ったように、顔を歪めた。
「言っちゃなんだが、不潔だし。ここは
「俺が管理します。きちんと風呂にも入らせるし、ノミやシラミは退治します。それにふたりには働かせます」
俺は立ち上がった。今こそ、前世で底辺を這い回った地獄の社畜スキルを発揮するときだわ。
「考えてもみて下さい。ここは冒険者の宿屋。冒険者ってのは連日荒野で生きる死ぬの戦いに明け暮れてるし、飯は悲惨だ。たまに街に戻れば、柔らかなベッドだけでなく、飯だって楽しみになる」
ここぞとばかり、口から八丁で吹きまくる。なに、ダメ元だ。前世で何度もこうやって相手を煙に巻き、納期ぎりぎり、コストぎりぎりの煉獄を潜り抜けてきたからな、俺。
「だからどうした、ブッシュ」
「そのとき、看板娘がいたらどうです。ほら」
「きゃっ」
ティラミスを、ぐっと前に突き出した。
「今は汚れ切ってガリガリですが、かわいいですよ。しかも性格もいい」
なんせ、見ず知らずの俺に親切にしてくれたくらいだからな。下着姿でスラムのゴミ汁にまみれて倒れてた野郎なんて、普通は近寄りもしないよな。
「清潔にして太らせたらどうです。いい看板娘になると思いませんか。飯なんか俺と同じで、野菜くずと魚のアラ、余りスープでいい。言ってみれば残飯処理係。残飯捨てる手間もなくなる。おまけに給金もなし。寝るのは俺と同じ、地下の空き倉庫。……こんないい条件、ないっしょ」
「まあ……それは……うーん」
考え込んでるな。もうひと押しだ。俺様の社畜営業スキル、レベルマックスを発動させるぜ。
「たしかに今、ひとり結婚して辞めちゃったしなあ……」
「それにマカロン、こいつは後の勇者ですぜ。今のうちに恩を売っておいたら、何百倍にもなって返ってくる」
「はあ? なに言ってるんだ、お前」
ゲラゲラ笑ってるな。
「こんな汚いガキが勇者になんか育つものか。勇者ってのはな、ガキの頃から剣術魔術拳法と、英才教育を受けまくるもんだぞ。誰が教えるんだ」
「俺が教えます」
「落ちこぼれのお前がか」
「まずは健康になるところからですよ。その後はまた考える。それに今だって、力仕事が無理なだけ。芋の皮剥きや魚のウロコ取りは、俺より上手ですよ」
知らんけど。まあ教えりゃできるだろ、このくらい。
「まあ……たしかに、俺もちょっと気にはなってた。今は春だからまだいいが、夏の暑さを乗り越えられるだろうかとな。体力も落ちるし、食べ物はすぐ腐る」
「俺がふたりの面倒を全部見ます。サバランさんはなんの手間もなし。ダメだと思ったら、俺共々追い出せばいい。どうです。商売人なら、こんないい条件逃していいんですか」
「ふっ」
思わず笑ったようだ。
「まあいいわ。その条件を飲もう。……でもブッシュ、記憶喪失だかなんだか知らんが、お前随分キャラ変わったな。まるで商売人並の営業トークじゃねえか。……俺は正直、今のお前も好きだぜ」
よしっ! 俺様の社畜経験が火を噴いたな。頭下げるくらいなんでもないさ。タダだからな。それで仕事が回るなら、何百回だって土下座してやる。
「ほら、ふたりからもお礼を言え」
「ありがとう。サバランのおっちゃん」
「あ、ありがとうございます。その……夢のようです。私なんかが、屋根のあるところに寝られるなんて……」
「よろしくお願いしまーすっ」
サバランの気が変わらないうちにと、俺は大声を張り上げた。
●
「ふう……」
それからいろいろあって、こうして俺は地下の空き倉庫に陣取っている。野菜倉庫だったらしく、ところどころ腐った野菜がまだ落ちていて、部屋は漬物のような臭いが漂っている。
窓が無いから臭いがなかなか抜けない。なんとか掃除して、寝床代わりの藁束を敷き、廃棄予定のボロシーツを広げたところだ。三人雑魚寝とはなるが、まあ許してくれ。いずれ口八丁でサバランを口説き落とし、ティラミスとマカロンだけでも、もっとマシな部屋に移してもらうからさ。
「それにしても煙いな」
もう夜だ。オイルランプで部屋を照らしているが、照明用のオイルではなく、食堂で使う肉の、いらない脂を熔かしたもの。だから質が悪く、暗い上に煙が凄い。ここに三年住んだら、多分肺と喉をやられるな。
まあこれもそのうちなんとかしよう。とりあえず生き抜くことだ。それにそもそもここ、窓がないから昼間でもランプ必須だしさ。
「あの……」
扉が開いて、ティラミスとマカロンが風呂から戻ってきた。うまいことに、今日は宿泊者ゼロ。なので一番安い部屋の風呂を、使わせてくれた。なにせ従業員は清潔にさせないと、宿の評判にも関わるからな。そこはサバランも馬鹿じゃない。
「お風呂、終わりました」
「おう、ふたりとも見違えるようだ」
ガチだ。あんなにボサボサだった髪もきれいに撫で付けられ、薄汚れていた肌はもうすべすべ。服は全部捨てて、サバランが古着をくれた。もう家を出た娘の子供の頃のお古って話で、ティラミスはともかくマカロンまでスカート姿なのは申し訳ないが、いずれ俺が男の服を買ってやるわ。
「その……」
ティラミスは頬に手を当てた。
「私、ヘンじゃないですか。こんなきれいな服を着たの、初めてで」
「かわいいよ」
お世辞じゃない。多分この娘、ものすごい美少女だわ。今は痩せてるからそれが表に出てないだけで。こいつは磨き甲斐があるぜ。
「それにマカロンも、きれいになった」
「本当!? やったあ!」
まあこっちはあんまりかわいいかわいい言うとな。スカート姿だし、かわいそうだからさ。
「その……」
下を向いたまま上目遣いに、ティラミスが俺を見た。
「ブッシュさんに……お願いが」
「おう。なんでも言ってみろ。一文無しだから、なんか買ってとかは無理だぞ」
「その……」
両手を握り締めてもじもじしてるな。
「どうした」
「あの……」
「ママと話したんだよ、お風呂で」
焦れたのか、マカロンが口を挟んできた。
「なにを話したんだ、マカロン」
「お兄ちゃん、パパになって」
「は?」
「お願い、パパになってよ」
パパ? 底辺社畜で過去一度も彼女ができたことすらなく、もちろんあれやこれや未経験の俺が、一から十まで全部すっ飛ばして、いきなり「パパ」だと!?
俺に「パパ活」しろってのか? いや怪しい意味のほうじゃなく、「パパとして活動する」という、ガチの意味のほうで……。
「パパーっ!」
マカロンが抱き着いてきた。
●次話はノエル視点のアナザーサイドストーリー。
ノエル:ランスロット卿パーティーのヒーラー。第一話でブッシュを助けてくれた娘。
ブッシュを追放し、四人パーティーとなったランスロット卿一行は、いつものようにダンジョンに向かう。だが、なぜか雑魚戦にとてつもなく手間取り始め、パーティー仲が異様にぎくしゃくし始める……。
次話「ランスロット卿パーティーの暗雲」、明日公開!
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