一つ目の願い

コザクラ

一つ目の願い

 出張帰りに大雪とは俺もついていない。進む足も冬に取られて重い。

 その時、俺の目に家の明かりが飛び込んできた。

 ありがたい。雪が止むまで少しお邪魔させてもらおう。






一つ目の願い






 その家には「いらっしゃいませ」の看板が。俺は胸を撫でおろした。

 どうやら宿のようだ。捨てる神あれば拾う神ありだ。


「ごめんください」


 俺は玄関から主人を呼んだ。すると奥から「はあい」聞こえた。

 女性の声だ。


「お客さんですね」


 ガラリ、と玄関が開く。するとその女性の顔が明かりに照らされた。


「うっ――」


 俺は腰を抜かした。

 狐にでも化かされたか。それとも物の怪か。

 その女性には目が1つしかなかった。


「も、物の怪!」


 俺は情けない声を上げて宿を出たが、雪は宿に入っていた時よりも激しくなっていた。


「この雪じゃあ帰り道も見つからんですよ。泊まっていきなさい」


 女性は愛想良くを俺を引き留める。

 仕方ないか、と思った。この雪の中を歩くなら命は張らねばならない。


「すんません。じゃあ、お言葉に甘えて……」


「はいよお」


 俺は恐る恐るその女将さんの顔をもう1度見た。

 やはり目は1つだ。物の怪なら取って食われるかもしれないが、人に優しい物の怪の話も聞く。

 別にこちらの危険が決まったわけではないのだ。なら雪のほうがよっぽど危ない。


 俺は外套を脱ぎ、お邪魔することになった。











 とにかく冷えていたので、先に風呂に入ることにした。

 風呂は既に沸いていたようなので、早速ありがたくお湯に浸かる。

 いい湯加減に、俺は「ああ」と濁った声で脱力した。

 すると風呂を焚かせていた女性がぽつりぽつりと話し始める。


「お客さんも久しぶりで、女将としては本当に嬉しい限りです」


 やはり女将さんか。そして世話話。

 答えないのも悪いと思い、返してみる。


「昔は繁盛してたんですか?」


「はい。江戸の頃は有名な旅館でしてね。でも時は移ろいます。明治になってしばらく経つと、みんな急にいなくなったんですよ」


「都市集中化ですか」


「それもあるでしょうけど、みんな私のことを気味悪がったんですよ」


「……なぜ?」


「物の怪や怪異が『科学によって説明出来る現象』と見られるようになったからでしょう。江戸の頃まではみんな私みたいなのを福の神と言ってありがたみを感じていたようですが、近代化の波が『福の神』を単なる奇形の者に陥れたようで」


 俺は何も言えなかったが、なんとか一言「すみません。余計な詮索でした」と呟いた。


「いえ。お話出来るだけでも私は……」


 そんな具合に話を終えた。

 着替えた俺は部屋で休んでいると、少ししてから料理が届く。女将さんは机に料理を運んで笑う。


「ちょっと張り切りました」


 料理はかなり豪勢だった。この辺りは漁村でないにも関わらず魚介類が盛りだくさんだ。野菜も多い。


「……かなり豪勢ですね」


「はい。今日は旅館最後のお客さんですので」


「えっ。旅館最後って。今日で店じまいってことですか?」


 俺はすぐに「しまった」と思った。ついさっきこの辺りの人はどんどんいなくなっているという話だっただろうに。

 しかし女将さんは嫌な顔もせずに答える。


「はい。今日は私の寿命なので」


 俺はまたも驚いた。


「寿命?」


「わかるんです。30になると死ぬんだと。私たちの一族は短命です」


 すると女将さんはうなだれて言った。


「食べながらでいいです。私の一族についてお話させてください」


 込み入った事情のようだ。


「わかりました。その代わり女将さんもぜひ食べてください」


「ありがとうございます」


 女将さんの話が始まった。











 私の一族は昔から一つ目がよく生まれる家系でした。こういう家系は普通「憑きもの筋」なんて言われて蔑まれます。

 でも私の一族はそうではなかったようです。なぜかってそれは私を見ればわかる通り、一つ目でも長生きするからですね。しかも狐憑き――今で言うところの精神疾患なんかもほとんどなく健康そのもの。20前後は生きていたようです。

 ありえないのですよこんなこと。普通の家では、一つ目は生まれてからすぐに亡くなりますので。

 そういうこともあって、その家から生まれた一つ目は長寿や生命力の神様として祀られたりしたものです。この旅館もその名声にあやかって建てられたものです。

 しかしそんな時代にも終わりが来ます。それが明治。つまり現代ですね。


 かつての時代、世界の説明は神の意志や神話の語りに任されていました。

 しかし文明開化と共にもたらされた「科学」という考え方がそれを蹴散らしました。

 すると、それまで神の意志の表れ、もしくは前世からの因果として見られたものから霊験のあれこれが取り除かれます。怪異や物の怪は、自然現象や医学的所見の表れとして。

 例えば河童が尻子玉を抜くという話がありますが、あれは水死体の中で溜まったガスが、緩んだ肛門から吹き出て開きっぱなしになったのが原因とか。

 ああ、最近では甲府盆地の腹ぶくれは寄生虫のせいだなんて言われてますね。


 こんな具合に、この時代の世界の説明は根拠ありきです。今は明治40ちょっとですから、そういった考え方を持った人がたくさんいてもおかしくないですし、実際そうでした。

 おかげで今、私の家系は福の神が生まれる家ではなく、奇形児ばかりが生まれる一族に。合わせて旅館も化け物屋敷扱い。私も29ですので、生まれた時からそんな「奇形」です。

 そんなわけで少し前に一家は離散。厄介を押し付けるかのごとく、ここの切り盛りも私1人に任されました。

 人も来ないのであとはただ廃れるのみ。平安の世から続く福の神伝説も今夜、私の死と共に終わりを告げます。











「以上です」


 話が終わった。すると女将さんは改めた顔つきで俺を見た。


「お客さん。私からお願いが2つあります」


「なんでしょう」


「私は、この世に生きていた証をどこかに残したいと思います。ですのでどうか、ご家族にでもこのお話をしてあげてください。これが1つ目の願い」


「は、はい」


「2つ目の願いは、私を忘れないでください。こんななんでもない夜に出会った『物の怪』がいたこと、忘れないでください」


 物の怪。

 しまった。俺はすぐに頭を下げた。


「ご、ごめんなさい。俺、あなたに出会った時にあんな酷いことを言ってしまった……」


 女将さんは笑って言った。


「いいえ。そんなことありません。むしろ嬉しかったです」


「嬉しかった?」


「あなたのおかげで、私は初めて物の怪になれたから」


 女将さんの目から涙が零れ落ちた。俺もどういうわけか涙を隠せず、女将さんに寄る。

 しかし、抱きかかえたその体にもう熱はなかった。

 名の知れぬ一つ目の女将さんは、眠ったように亡くなっていた。






 外を見ると、雪は止んでいた。

 降雪現象は大気中の水蒸気が凍るから、と説明出来る。

 しかし今日だけは――今日だけは神か仏の思し召しにしたい。きっと淤加美神おかみのかみが降らせたものなのだ。






【挨拶&作者からのお願い】

 ここまで読んでくださりありがとうございました。かなり短いものでしたが、皆様の心を動かせましたらば作者としては幸いです!


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