Afterglow

戦ノ白夜

The Lovers

《Few years later――》


 日は昇る。たとえどんな日であろうと、世界には、等しく日が昇る。

 カーテンを通り抜けた旭光は、折り重なって眠る恋人たちの額を撫でる。

「……朝ですよ、ダスク」

 凝り固まった白い身体で身じろぎしながら、彼──ファントムは、自身を押し潰している黒い愛人をそっと揺さぶった。と同時に、首を傾ければ、絡み合ったままの指が見え、ふ、と甘やかな笑みを漏らす。

 もつれ合う白と黒。いい朝ですね、と独りごちて、再び揺り起こす。

「ダスク。起きてください……もう朝ですよ」

 ファントムの胸の上を占領する黒い頭──裂けた口、そこから上を覆う包帯。色と、目らしきものの有無を除けば、彼ら二人は瓜二つだ。

 微かに口を開け、牙と涎の跡を光らせる寝顔。その頬に、する、と指を這わせれば、びくりと身体を震わせるダスク。

 ガッ、とやにわに力を込め、シーツ諸共ファントムの片手を握り締める。

「……うるせぇ。もう少し寝かせろ」

「まだ寝足りないんですか?」

 黒い包帯の合間から覗く一つ目が、ギロ、と睨め上げる。

「黙れ。イイだろ別に」

 そう言って、またもファントムの胸の合間に顔を埋めてしまう。

「そうですか。ではせめて私の上から退いてくれませんか……貴方もなかなか重いんですから」

「アァ? オマエはオレの枕だろ。どかねぇよ」

「……仕方ないですね。もう少しだけですよ」

「文句はその無駄な胸筋に言え」

 いつものやり取りだった。決して痩せてはいないが引き締まった身体つきで、ファントムほど肉付きのよくないダスクは、時折、嫌がらせのように相棒の胸を枕代わりに、というより、身体を敷布団代わりにして眠るのだ。私だって脂肪の塊じゃないんですからそれなりに固いですし、間違っても寝心地はよくないでしょうに、とファントムが言っても、頑として聞かない。まあ、そういう意地っ張りなところが可愛いんですけどね、と、敷布団役は微笑むが。

 廃工場の中、誂えた粗末な寝台に、剥き出しの鉄骨トラスを見上げて横たわる。腹に仄かな熱を抱えながら。

 どく、と不穏に脈打つ心臓を、ファントムはもう暫くの間、恋人の安眠のために無視することにした。


「ダスク、起きてください。今度こそ」

 既に、高窓からも光が射している。ダスクは呻きながら身を起こし、ようやく下敷きにしていた男を解放した。明らかにまだ眠いと言いたげな顔で彼が座り込んだ隙に、ファントムはその身に似合わぬしなやかさでするりと布団から抜け出る。

「おはようございます。はい、着てください、今日の服です。……早く退いてください、シーツ洗いますから」

「オマエも全裸だろが……」

 服を一式、手渡されながら急かされて、ダスクは渋々といった体で立ち上がった。彼がのろのろとシャツのボタンを留める間に、ファントムは既にきっちりと身支度を終えている。

「ああ、昨日の服が埃まみれじゃないですか。貴方が投げ捨てるから」

「ハァ? オマエが急かすからだろ。オレのせいにすんな」

 床に散らばった衣服を拾い上げ、剥ぎ取ったシーツにくるんで抱え、ファントムは洗い場に向かう。

「では、また後で」

「ハッ。早く行け……オレは寝直すからな、クソッタレ」

「そうですか。起こしてしまってごめんなさいね、でも洗わないといけませんから……おやすみなさい、ダスク」

 オマエが汚したんだろ、と嘲笑して肩を怒らせるダスクの背に優しい一瞥をくれて、ファントムは足早に歩き去った。


「あの子のおかげで結構時間を食ってしまいましたね……ふふ、可愛いダスク」

 洗濯物から埃を払い落とし、汲んだ水に浸して、布地を揉む。どく、どく、と強まっていく拍動を聞きながら。

 溜めた水に映る顔が、ぐにゃり、と歪む。滴った雫が、更に水面を掻き回す。仕組まれた起爆装置が着々と時を刻む。

「……今日の、お天気は……どうでしょうね」

 濯ぎ、絞って、バサリと広げる。日の当たる場所に渡した竿に掛け、逡巡の後に窓を開けて風を通す。

 晴れていた。午後から天気が崩れる可能性はないでもないが、そうなったらまた洗い直せばいいことですし、と自身を説得したらしい。

 はぁ、と吐息を漏らすも束の間、洗濯物の皺を伸ばす指がビンと引き攣り、彼はヒュッと息を吸い込んで喉元を押さえた。

「……いよいよ、ですか」

 フラッシュする笑み。カクリとよろめく身体は、さながら糸の切れた操り人形。

 乱れた革靴の音を響かせながら彼は去る。洗い場には、端の揃っていない二つ折りのシーツが揺れていた。


 一方、ダスクは新しいシーツを掛け直して、再び寝台に身を預けていた。

 結局、ワイシャツと下穿きのみという何とも中途半端な格好で寝転んでいる。シャツのボタンも半分くらいしか留めておらず、折角ファントムが出したズボンとジャケット、ベルトとネクタイは、ハンガーにかけられたままクローゼットへ逆戻りした。

 静かだった。何の物音もしない。彼の眠りを妨げる者はいない。

「……暇だなァ」

 慢性的な退屈は倦怠感を身体の奥底にわだかまらせ、眠気を呼ぶ。彼にはいつも、これといってすることがなかった。

 とある街はずれの廃工場、そこがダスクとファントムの住処だ。以前から幽霊が出ると噂され、人間は決してそこへ寄らない。人のようで人でない二人には、好都合なことだった。

 人間そっくりの身体をスーツに包み、いかにも人間のように生活している二人は、天上の園から逃げ出した異形。命あるものの制約には縛られず、本来は、眠ることも食べることも必要としない。

 しかしダスクは、彼ら自身の高い再生能力と痛覚の欠如をいいことにファントムの腕や脚を切り落として喰らい、時には人間を狩って餌食となす。彼の日課は、殺しと解体に使う包丁の切れ味を保つべく、丹念に刃を研ぐこと程度である。

 対するファントムは、掃除や洗濯、片付け等、ほとんど全ての雑用を引き受け、更には花を育てたり茶を嗜んだりと、堕落した殺人鬼の相棒よりは遥かにまともな生活を送っていた。日々、甲斐甲斐しくダスクの世話を焼きながら──そして煙たがられ、邪険にされ、恩を仇で返すような仕打ちを受けながら、常に三日月形の微笑を絶やさないのがファントムという男である。

 ダスクとて、元はそう怠惰ではない。彼の堕落は、ひとえにファントムの、節介の域に入った献身のせいである。初めは「オレだって自分のことくらい自分でできんだよ、いちいち関わってくんなクソが」と憤っていたダスクであり、近頃は遂に根負けし、ファントムのやりたいようにさせている、というだけのことなのだ。

 そのおかげで彼は大変、暇である。

 たまには白い相棒と娯楽に興じることもある。しかしもともと、四六時中ぴったり寄り添われて窒息しかけている彼である。仕方なさそうに誘いに応じることはあっても、自分から近付こうとすることは皆無に等しかった。

 であるから、ファントムが忙しくしている間は、何をするということもなく暇を持て余しているのだ。

「寝るか……」

 そうして彼は、大の字になって二人用のベッドを独占しながら、掛布団をうざったそうに撥ね除けて、意識を沈めた。

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