からの箱
@6031
第1話
永山郁夫は、家の縁側に座って庭を、ただぼっけっと眺めていた。頭に浮かぶのは、死んだ家族のことばかりで、どうしてあの時あんな事を言ったんだろう、もっと言うことを聞いてやればよかった、なぜあんなつれないことをしたんだろう、と反省ばかりです。
一人暮らしになってから、二週間になるが、家の中のことが何一つ手につかない、何か探し物を始めると、一日中そのことばかりやっていて、他のことがおろそかになって、食事の事も忘れて、家の中じゅうを探し回っている。何かをしてないと過去のことが、頭の中でフラッシュバックのように蘇ってくる。
七十九歳で妻がガンで亡くなって、十日間くらいは、葬式とか妻の身の回り品とかの片付けとかで、忙しい日々を送っていたが、全てが終わって見ると、仏壇の前の妻の遺骨を前にして、自分はこれから何をしていこうか、とりあえず、何がしたいのか、全く見当もつかない。
今までの人生を振り返っても、出てくるのは反省と後悔ばかり、妻の遺骨の前で両手を合わせて、これまでありがとう、ごくろうさん、なにもしてやれなくてごめん、何か欲しいものはないのか、何とか言ってくれ、と何回も繰り返している。
郁夫は、大阪の出身ですが、友人の薦めで農業をやってみようと思って、受けた農業研修が宗教 団体の研修だったのです。
郁夫は、もともと大阪では小さな町工場で働いていたが、工場がつぶれて、失業していた時に、近くのハローワークに通っていた頃、中学時代の友人の赤森という人に町で偶然出会って、農業をやらないか、と誘われて、山梨の小さな村に見学のつもりでやって来たのですが、農業研修をやってるということで、研修を受けてみると、宗教の研修会だった、ということです。
研修では、教団の幹部らしき人が、人の真の生き方、真の人間とは、と言う話の中で自然と調和の中でいかに暮らしていくのか、人の運命は神によって定められていて、その神の教えに従っていれば自然に幸福になれるのだ。というようなことを、分かりやすく、平易な言葉で、諭してくれるのです。
郁夫は、何も考えず、ただただ農業をやってみようと気楽に、ここにやって来たのですが、ここでの自然は豊で、都会でのストレスなど全くなさそうなので、やってみるのも悪くないか、農業をやって幸福になれるかもしれない、と思いこの教団に入ります。
教団での生活は、思ったより厳しいもので、集団生活の決まりがあり、それに反する行為をすれ ば、教団の中で、審議にかけられ、再教育の研修だとか、最悪は追放ということになります。
郁夫が村に来たのが三十歳頃で、四十歳近くで、同じ宗教をやっている園田成美という三十五歳 の女性と見合い結婚をして、こんな幸せなことはない、と確信します。
郁夫も結婚して二十数年経つと、だんだん体力も衰え、厳しい戒律のもとで農業をやる、ということが、自分の限界を超えている、と感じ始めます。収穫とか苗植えとか8時間以上働くこともざらにあります。そんなある日、郁夫が、道具を片づけていると、そこに友人の赤森がやって来て、声を掛けます。
「永山さん、最近元気ないなあ、なんか心配ごとでもあるのかい、あれば、言ってくれよ、なんでも相談に乗るよ、確か君のところの両親の具合、どうなんだ」
赤森は、今は教団の幹部の1人になっていて、自分の信頼の置ける仲間を増やしたい、と思っています。郁夫にとっては、かけがえのない存在となっています。
「ありがとう、最近、両親共、だいぶ弱ってるらしい、兄から連絡があって、時々、大阪に見に行ってくれないか、と言ってきて、妻の成美さんと、相談していたところなんだ」
郁夫は、仕事のことで弱音は吐けないと思っていて、もし弱音をはくと、教団の教えが分かってないとか、本当の自分に気が付いていない、などと今までにもさんざん言われてきた、ということがあって絶対に口に出して言えないのです。たとえ相手が親しい友人であっても、親しければ親しい程、ばかにされたくない、と思うのです。
「じゃあ一度両親の所へ行ってみたら、二泊三日くらいなら大丈夫だと思うよ、赤森の了解を得 た、と提案書に書いて出してくれたら、なんとかするよ、お前なら大丈夫だと思うよ」
「ありがとう、助かるよ。」郁夫は嬉しそうにそう答えて別れていきます。
ここでは、どんなことでも提案書に書いて、了解を得ないと、何もできないのです。
郁夫は、その日の夜に成美に、今日の出来事を伝えます。
「どうやら、二人で大阪の実家に行けそうだ、二泊三日くらいなら赤森がなんとかするって」
郁夫は、家では、いかにも疲れていて、しんどそうな声で言います。
「あら、そうなの、嬉しいわ、いつにしようかしらね、早い方がいいわね、今週の金曜日から三日間 くらいでいいかしら、暑くならないうちに、早く提案書をだしましょうよ」
成美は、いかにも喜びながら、はずんだ声で一気に喋ります。
「お前の仕事はそれでいけるのか、俺はなんとかなりそうだけど」
「ええ、大丈夫よ、それよりお土産なにがいいかしら、おかあさんの好きなお菓子か、いちご大福がいいかしらね、なにか他にいいのあったかしら、牡丹餅とか、あなた何がいいかしらね」
「大福とか、そんなのなんでもいいから、お前にまかせるわ」
「じゃあ行くこと電話してみるね、都合が悪かったら、また提案やりなおさなくっちゃいけないもんね、そんなのいやでしょ、とにかく行く準備、明日中にやっちゃいましょうよ」
郁夫は、妻がせっせと旅行の準備を、やっているのを眺めながら、こんな生活にどうやって見切りをつけるか、ぼんやりと考えていた。とにかく両親の様子を見ながら、親の介護を理由に教団を抜けるか、よそで働きたいとか、教団がいやになってとか、農業がいやになってとか言ったら、赤森とかの幹部が説得にやってくるに決まってる。あなたは、どうしてそのように思うのですか、本当にやりたいことってなんでしょうか、というような言葉で説得しにくるに違いない。
そんな面倒くさいことなど、考えたくもない、ただ単に自分のやりたいことを自由にやる。人にいちいち、とやかく言われたくない。どこへでも自由に行きたいし、好きなようにしたい、思うようになります。
妻の買ってきた、いちご大福を持って、実家の家に行きます。母の公子が玄関に出て来てくれて,
元気そうに、にこにこ笑いながら2人を迎え入れてくれます。
「久しぶりやね、成美さんと一年ぶりかな、確か留美ちゃんの結婚式の時以来とちゃうか」
留美というのは、兄の晴彦の娘で、両親の最愛の孫で、その幸せそうな姿を見れて、本当に喜んでいたのが、今でも思い浮かばれます。
「ええ、確かそうよね、ご無沙汰しております、なんせこの人がよう休暇をとらんもんで、仕事仕事とか言って、ほんとうに、なにがそんなに大事なのか分かったもんじゃない」
「おやじもおふくろも元気かな、兄貴が心配してたけど、元気そうやな。」郁夫は、両親の元気そうな顔を見て、少しがっかりします。
「公子が病院でC型肝炎だ、言われてね、薬で治るそうだが、時々体調を崩すんだ」
郁夫は、おやじの勇造の言葉に反応して、それはたいへんだ養生しないと、言います。
「おやじはどうなんだ、去年熱中症で入院したんだよね」
「今年はまだ暑くなってないからね、ちゃんと対策しとくよ。」なんとなく面倒くさそうにいいます。
「おい、今日はおおいに飲もうぜ、成美さんもいけるんだろ。」勇造の言葉に公子が反応して、
「自分が飲みたいから言ってるんでしょ、成美さん飲めないんでしょ、無理しなくていいんですよ適当で、今晩すき焼きをしましょ、一緒に準備お願いね」
「おまえ、教団はいつ辞めるんだ、なんだったら、この家に戻って来てもいいんだぞ」
夕飯で、焼酎をコップでグイっと飲むと、勇造は郁夫に切り出します。勇造は、郁夫が教団に騙 されていて、いいように使われている、ように思っていて、郁夫を取り戻したい、と思っています。
「もうそろそろ親の面倒を見ないとなあ、とは思っているんだが、成美はどうなんだ」
郁夫は何かあると、成美に助けを求めるように、話を成美に向けます。
成美も、そのことはよく知っていて、郁夫の助けるというよりは、自分が主導権を取って、しゃべり始めます。
「教団の中は、みんな仲が良くて、楽しいんだが、仕事とか生活面での自由があまりなくて、今 回の帰省もやっと来れた、という感じで、そのことに不満を持ってる人はかなりいます」
「あら、そうだったの」公子が口を挿みます。
「仕事の面も、郁夫さんは、畑をやりながら、経理事務もみていて、なかなか休みが取れなくて、いつも、しんどい、しんどい、って愚痴ばかりなのよ。ひどいでしょ」
成美がそう言うと、郁夫の方を向いて、そうでしょ、と相槌を求めます。
「うんそうだけど、成美はどうなんだ。」
「そうね、もしここに来て、それなりの生活ができるんだったら、いいかもね」
成美もあまり身体が丈夫ではないので、仕事や生活面でいろいろ駆り出されるのに、多少いやけが差していたので、これはいい機会かもしれない、という気がしています。
「急にはね、ここに来れないけど、時期をみて、そうなるようにはしたい。そうだろ成美」
「ええ、実際にはお金だと思うの、今われわれには貯金がほとんどなくて、教団を出るとき、1人三百万円ずつ貰えるんだけど、それじゃあとても足りないでしょ、年金貰えるまで働かないと、生活できないでしょ。」成美は、教団を離れることに反対ではないことは、郁夫には感じています。
郁夫が大阪から教団に帰って、しばらくして、畑でなすびの収穫をしていると、赤森が深刻な顔をして、郁夫に声をかけます。幹部の日根野さんの事で話がある、と言うんです。
幹部の人用の会議室に一緒に入って行くと、赤森が扉に鍵をかけると、二人がテーブルを挿んで 座ると、赤森が沈んだゆっくりした声で、教団が分裂するかもしれない、といいます。
「日根野さん経理担当の責任者だった時、あなた経理をやらされていたでしょ、なにかおかしなことなかったですか、例えば変な出費とか」
「経理といっても、回された伝票を、言われた通りに処理していただけで、どれがどのように怪しいかなんて、全然わかりませんが」
「ここだけの話だが、不正蓄財をして、新しい教団を造る資金にしようとしているらしい、という噂が、流れていて、その設立のメンバーを集めているらしいのだが、そんな話しらないか」
「今までにも、よく似た話がいろいろ出てたから、またすぐにそんな話、無くなるんじゃないのか」
「今回は、そんなんじゃなさそうだ、なんか動きがあれば教えてくれ」
郁夫は、さっそく成美に赤森の話を伝えます。
「いよいよかもね、日根野さんとか他の3人の幹部で、新しい教団を造るって聞いたことあるわ。だって、めぼしい教団員に声を掛けているって話、聞いたことない、あなたには、声を掛けてこないんだ、まあ、そのほが助かるんだけどね、ややこしい事はにがてだもんね、2人とも」
成美は、だいぶ前から、教団の分裂の事は気が付いていたみたいで、幹部同士の中で対立があることに気が付いていました。日根野に、外出時の衣装とか装飾品がなくて、なんとかして欲しい、と言ったら、ここはそういったことには全く無頓着で、暮らしにくいよね、働くだけ働かせて、って教団批判めいたことを言ってたなあ、と思い返しています。
「教団が分裂したらどうする、成美、おまえまさか日根野に付いて行きたい、なんて思ってないだろなあ。結構、ついて行く人もいるんじゃないかなあ。おれはとにかく、面倒はいやだからな」
「私も、あなたがいやだっていう事をするわけないじゃないの、いっそのこと、これを期に教団を脱退してもいいんじゃないの、うちの両親も兄弟も、むしろ喜んでくれるんじゃないかな、別にどうでもいいんだけど、みんな自分のことで精一杯だから、あまりあてにはならないけど」
成美が教団に入る、という話をしたときに、両親や兄弟から、勝手にしろ、おれ達とは無関係だからな、何があろうとも連絡しなくてもいいからな、と言われていて、そのことを思い出して、涙ぐんで、しまいます。
「そうか、分裂したら、それを期に脱退する、っていうのもいいかもね」
「なにがいいのか分からないけど、なんとなく、ここでの生き方と2人の生き方が、違っていたんだ、そのことに気が付いた、と言えば、かっこいいじゃないの、どう?」
「そんなややこしい話なんか、どうでもいいけど、やりたいと思ったことをやる、それだけだ。」
「私は、あなたがそう言うだろうと思ってた、本当はそれでいいんだと思うわよ、いろいろ理屈を並べて、何にもしないよりか、いいんじゃない」成美は大阪に行った時から、脱退することを決めていて、早く現在の生活から抜け出して、新たな生活を始めたい、と思っていました。
教団の分裂は、3ヵ月もしないうちに、日根野が教祖として、新たな教団を立ち上げて、それに郁夫のいた教団から、百人ほどの信者が共感して、入信した、ということになりました。
分裂前の教団名が”ひまわり会”で、分裂した教団名が”なかよし会”ということで、みんなが笑って暮らせる会、というのが、その趣旨のようです。
郁夫は、脱退の趣意書を教団に出したことで、妻の成美と一緒に、赤森と面談します。
「驚いたね、君たちがここを離れるなんてね、どうしてそう決めたのですか?」
「前から、両親のことが放っておけなくて、介護のため脱退を決めました」
「永山さん、本当にそれだけですか、言いたいことがあれば何でも言って下さい。われわれのためにも、成美さんも同じでいいんですか」赤森は郁夫を諭すような口調で、やさしく言います。
「基本的には、永山さんの両親を看る、ということですけど、教団内での生活が窮屈で、いろいろやれることが限られていて、人によって、仕事の量とか差があって、不公平だと思ってしまって、なんだか、自分がみじめな感じがしちゃって、これじゃあやっていけない、と思いました」
「ああそうですか、それは残念ですね、よく考えられてのことだと思うので、これ以上のことは言いません、脱退した後の生活費について、支給額ではやっていけないでしょうから、もし行き詰ることがあれば、相談に来て下さい、なんなら外部信者としての活動をして頂ければ、報酬を払うこともできますから、脱退した人で、活躍してもらってる人も多いんですよ」
「今はまだ、そのことについては、考えていませんの、もし生活に困るようなことがあれば、相談に伺います」成美は、郁夫の顔をちらっと見ながら、言います。郁夫は、黙って、うなづきます。
「じゃあそういうことで、永山さん夫婦の脱退手続きを始めさせて頂きます」
前回の帰省から6ヵ月後に、郁夫が夫婦で大阪に帰って見ると、母親の公子が、同居はいやだ、と言い出します。なんでも、自分が若い頃、夫の母親にいじめられて、いやな思い出があって、同居は絶対うまくいかない、ということらしい。
「一年以内に、職を探して、どこかアパート借りて移り住むから、しばらく同居させてよ」
郁夫が、公子に言うと公子も、「郁夫と一緒に暮らすのは、うれしいよ、でもそう長くは続かないよ、まあせいぜい一年かな」と言います。
実際に、郁夫も職を探しだすのですが、年齢が60歳過ぎなので、アルバイトの職しかありません。
半年してやっと夜間の警備をやることになりましたが、両親共、体調が思わしくなく、医療介護の費用がかさんできて、両親の年金ではとても面倒見切れません。
「成美、これじゃあこの家を出ていくどころか、米買うこともできないぞ、どうする」
郁夫は、困ったから成美に相談する、というより、お前が頼りだ、なんとかしてくれ、という思いで声をかけます。
「いっそのこと、教団の赤森さんに相談するしかないじゃない、そうしましょうよ、私は両親の介護で、手一杯だから、なんにもできないけど、お父さんに内緒で、教団の仕事なんかもらって来なさいよ。赤森さんと仲いいんでしょ、頼べば、なんとかしてくれるよ、きっとね」
郁夫は、成美の言うことに、ほとんど逆らったことがありません。人の言うことに逆らうより、そのままやるほうが、面倒くさくなくていいや、というのが、その考えなのです。これは教団で培ってきた郁夫の生き方なのかもしれません。
自分が考えてやるより、人の考えをそのままやるほうが、人に喜んで貰えるし、それが間違いでも、言い訳ができるし、自分を守ることができる、ということで、そのうち自分で考えるてやることに全く自信がもてなくなった、ということです。
教団では、むしろそれが、ありがたがられて、永山は便利な男、としてむしろ重宝がられたりして、永山に頼めば、なんでもやってくれる、となったのです。永山も断るよりもやった方が面倒くさくなくていいや、自分は人の為になっているんだ、と思うようにしたのです。
成美は、逆に自分の考えを出さないと、いられない、それで人とうまくいかなくなっても、例えば野菜出荷場で畑でできた野菜を出荷するんだけど、人から教えられたことをそのままやる、というのではなく、自分で工夫して、作業を人よりも早くこなし、他の人にもそのやり方を教えたりします。
成美のそばでは仕事がやりにくいと、だんだん人が寄り付かなくなって、作業場で自分はみなと楽しくやりたいのだが、孤立してしまっているのが、いやでたまりません。
教団の教えでは、みんなと仲良くやる、とか人の話をよく聴く、とか女の人は男性の人をたてて、決して、でしゃばらない、とかあって、どれも成美には、あてはまらない気がします。
「成美、赤森さんに電話するよ、なんて言えばいい」
「そうね、両親が病気で生活費に困っている、妻が介護をやっていて、自分1人では、なんともならない、助けて欲しい、そんなところかな」郁夫は、成美の言葉を聞いて、やっと赤森に電話をかける気になります。赤森が電話に出ると、成美の言ったことをそのまま、言います。
「一度、こちらに来て、ゆっくり話ましょ、できれば成美さんも一緒に」
「ええ、行きます、一緒に、来週土曜日の10時頃、成美もいいな」成美も、ゆっくり頷きます。
「じゃあ土曜日の10時といことで、よろしく」赤森がそう言って、電話を切ります。
郁夫と成美は、兄の嫁さんに出かける前日に来てもらって、両親の介護を頼み、教団のある山梨へ出かけます。
甲府からバスを乗り継いで、やっとたどり着くと、赤森が門の前まで、出迎えてくれていて、郁夫は、恐縮した顔をして、わざわざありがとうございます、といって頭をさげます。
赤森を先頭に3人が部屋に入ると、ソファーに向かい合わせに腰かけると、赤森が、わざわざ遠い所から、ご足労願いまして、と言って、お茶の用意をします。
「さて、今回生活費のことで、ということなんですが、永山さん夫婦で教団の外部信者として、やってもらえる、ということでいいでしょうか」
「それで、夫婦でいくらくらいになります。月当たりで」成美がすかさず問いかけます。
「大阪支部の早坂さんに訊いてみたら、仕事は、信者の世話をする係で、布教活動の手伝い、とかもやってもらいたい、ということだそうです、おもに土日で6時間ずつくらい、週に2人で二万円
くらいだそうです、どうです、足しになりますかな」赤森は、やさしそうにしゃべります。
「とにかく、やることにしましょう、郁夫さんどうですか?」郁夫はあわてて、首をたてにふります。
「仕事の内容については、早坂さんに訊いてみて下さい、難しいことは言わないと思いますよ。とにかく、永山さんが受けてくれて、ほっとしました、長い友人付き合いが、これからも続けられて、成美さんも御両親の介護で大変でしょう」赤森は、成美の顔色を窺うよう、目を向けます。
「ええ、ありがとうございます。教団の方は変わりなく」成美は赤森のなんとなく冴えない顔つきを見て、話題を替えます。
「そうそう、日根野が新教団を立ち上げるとき、こちらのお金をだいぶ使ったみたいなんです。あんな立派な建物を建てるのに、相当お金がいったはずなんですが、資金の出所が分からなくて、永山さん、なにか手がかりになるようなもの、探し出せませんかね。われわれ経理に疎くて。確か当時、壺とか掛け軸とか、買ったり、売ったりしていたはず、その責任者が日根野だったはず」
「領収書とか、なんか経理資料を見せてもらったら、物品の仕入れと売上の伝票をつきあわせれば、なにかおかしな点が出てくるはず。他に当時、大修繕をやったりしたから、その時に変な出金がないかどうか」成美は、これの為に我々を呼んだんだな、と直観します。
「永山さんは確か商業高校だったね、すぐにいろいろ思いつくんじゃあないですか、今からでもちょっと調べてみてもらえます。成美さんは、どこか散歩でもします?」赤森は、ちょっとすっきりした顔で話しかけます。
成美は、すぐに夫の手伝いをします、気になさらないでください、といいます。
「もう一つ、頼み事がありまして、ちょっと教祖の比良先生を呼んでまいります、比良先生から永山さんに頼み事がある、とのことで、いいですか?」二人とも予期できない事に呆然とします。
比良は、幹部の間では先生と呼ばれていて、他の信者には、教祖様とか比良様とか、あまり呼び方に拘りはないようです。
比良が部屋に入ると、全員立ち上がって、迎え入れます。
「赤森さん、例の話はまだですか」と言いながら、赤森の横に座ります。
「永山さん夫婦に、お頼みしたいことがありまして、赤森さんに相談したところ、今日、永山さん夫婦がこちらに来る、とのことなので、じゃあその時に、ということでやってまいりました。じつは私の娘の諒子は、中学2年なんですが、教団の中の生活をいやがりましてね、大学卒業まで、教団と関わりたくない、と言いだしましてね、どうでしょう、永山さん、私の娘を預かってもらえませんかね」
「私なんかで、いいんですかね、もっと裕福で、教養のある人とか、いっぱいいるでしょう」
郁夫は、比良の考えてることが、まるで分からない、なんで自分なんかにこんな大役を任せようと思ったんだろ、こんなことはあり得ないことだ、と思っています。
「成美、どう思う、お前もそう思うだろ」成美も当然、自分と同じ思いだと思って言います。
「比良様、どうして永山なんでしょ、ご存じの通り、世間的には、うだつの上がらない方だし、たいしてりっぱだ、とも思えないけど」成美が、比良の心を読むように、しゃべった時、比良が成美に、「成美さんはどうして永山さんと一緒にいるわけですか?」と問いかけます。
「それは、好きだからです、なぜか気楽で、時には幸せな気分にしてくれるからです」
成美は、言ってから気が付きます、この人には人を幸せな気分にしてくれる、何かがあるのかも知れない、ということを。
「私の娘もじつは、小学4年の時、畑を歩いていたら、なすびの収穫しているおじさんが、なすびを自分に差し出して、”おい食ってみろや、おいしいぞ”って言われて、食べてみると、本当においしい気がして、それ以来、仲良くなった、という話をしてくれましてね。もちろんそれが、永山さんだった、ということです」
「ああ、あの時の娘さん、なんだか懐かしいな、私にとっても楽しい思い出です」
「じゃあ、娘を預かってもらえますね、その代わり食費と宿泊代で月5万円出します。2人ともそれでいいですかか?」比良がにっこり微笑むと、2人共こっくりと頷きます。
2人は、赤森に頼まれた件で、壺とか掛け軸の帳簿を調べを始めますが、10年前から保管されているはずの帳簿が全くなくなっているのです。郁夫が知ってる床下の倉庫には、年代別にっている、ダンボールの箱に保管年月日が書いてあるだけで、中には何も入っていない、ということです。
郁夫が、経理をやっていた一年前までは、確かにあったはずで、誰かが、中の帳簿をみんな移し替えて、どこかに持って行ったか、全部焼却してしまったか、分かりません。郁夫は、教団が、分裂した後すぐに脱退準備を始めたので、経理のことは関わっていなかったので、なにがどうなっているのか、分かりません。
今の経理責任者の杉山に訊いて見ると、引き継いだ時には、こうなっていた、日根野さんに訊いても、今は忙しいので、また後でゆっくりと伝えるから、と言って、いなくなってしまった、ということです。
「領収書とか、せめて毎日つけていた現金収支書とか、まさか全部なくなったわけでは。」
郁夫が、杉山に言うと、「それが領収書は、ある特定の業者の分だけがないんですよ、業者 は、物品の仕入れ業者と、建築資材および修理の会社だというのは、分かったんですがね」
赤森が、永山さん経理の購買担当されてましたよね、その会社きっとご存じおはずですが、「購買担当といっても、伝票の整理ばっかりで、品物の単価チェックとか、検収日チェックとか、ですからね、実際の業者とのやりとりは日根野さんでしたね」
「じゃあその購買伝票はどこですか。」赤森が、真剣な顔で杉山にいいます。
「ここにあるはずなんですが、それがごっそりとなくなっていて、売上伝票もごっそりと」
「どうすればいいんだ」赤森が、めずらしく強い口調で言うと、郁夫が、業者を調べて訊いてみるしかなさそうだね、と言います。
「永山さん、杉山くんと一緒に業者リストを作って、めぼしい所を一件ずつあたってもらえないか」郁夫が、業者のリストくらいなら、いいですが、それ以上は、というと、赤森は、「ええ、リストがあればそこからは、こちらでやります。売上リストは、どうしようかね」
「商品を買いそうな人に、つまり信者の人全員に、教団から買った品の購入日と品物名と金額を調査のためと言って、調査書を送って書いてもらう。」郁夫は、いつになく積極的に 発言します。
「3年前の大修理の時の資料が確かあるはずですよね。」赤森が思い出しながら言うと、
「それは、倉庫に残っていましたよ。ここに持ってきます。いいですか?」
「ええ、そうして下さい」赤森は多少明るい声で返事します。
郁夫は、工事資料の箱をテーブルの上に置くと、専門家でないと、見ても金額が妥当かわからない。と言います。
「今日は、これで帰ります。なにか分かりましたら、連絡下さい。」
「本日いろいろと、お世話になりました、大阪支部の早坂にまた会いに行きますので、よろ しくお伝え下さい。」成美は、どうやらそちらの方が気になっているようです。
「永山さん、成美さん、本日はいろいろありがとうございました、いろんな件が一度にあって大変でしょうが、よろしくお願いします、特に諒子さまのことは、さ来年の4月頃になると思いますが、日程とかを調整して、また連絡します。」
永山夫婦が、大阪に帰ってきて、さっそく大阪支部の早坂に会いにいきます。
早坂は、赤森の紹介ということで、夫婦を丁寧に迎え入れます。
「奥さんは、両親の介護をされているそうで、土日は大丈夫ですか。」
「ええ、2人一緒にデイサービスに預けますので大丈夫です、仕事ですが、具体的にはどんなことをするのですか?」
「土日に講習会をやります、講師への接待と、講習会に来る人への案内と、会の説明です、訊かれたことに、適当に答えればいいだけです。教団のことは特に言わなくていいんです。」
早坂は、この夫婦が、教団に対して、あまりいい感情を持っているわけではない、というように、赤森から聞いているので、少し警戒しているようです。
「何時から、何時までですか、それと時給はいくらですか、」成美が、訊きます。
「えっと、午前9時から、午後3時でどうですか、特に何もなければですがね。それと時給ですけど、千円ということで、いいですか?」
「ええ、いいです、いいよね郁夫さん、それとさっき特に何もなければ、と言いましたが、これは、どういうことでしょ、何かトラブルとか」
「いえいえ、本部から布教のための資料とか、信者へのアンケート用紙とか送ってきて、いついつまでに、とか言ってきますので、それの手伝いです」
早坂は、手をふりながら、そんな大したことじゃないんだけど、と追加します。
「とにかく、やってみます、そうよね、やってみないとね、郁夫さん、そうでしょ、」
「はい、やってみます」郁夫は始めて声をだします。とにかく面倒なことは、成美に任せて おいた方が、うまくいく、と思っています。
「今まで、学生アルバイトを頼んで、やってきたけど、いろいろ伝えたりすることが多くて大変 だったので、ほんと助かります。じゃあ今週の土日からよろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」成美が言って、2人で頭を下げます。
2人が実家に同居を始めて、10ヵ月後ようやく、アパートを借りて別居することにしました。
そんなある日、勇造から、公子が苦しんでいる、病院に連れて行ってくれ、と電話があり、
「郁夫さんが、夜勤明けで、朝ごはん食べてるから、それが終わったら、2人ですぐに駆けつける、のでちょっと待ってて下さい」と言うと、郁夫に、ごめんやけど早く食べて、お母さんを一緒に病院に連れてってくれる、と言います。
郁夫は、黙って、口に運んでたパンを皿に置いてすぐに立ち上がって、「いくぞ一緒に」と 言って、実家に急ぎ足で、駆けつけます。
勇造は、一年半くらい前の台風の時、庭の植木鉢を家の廊下に並べていた時、腰を痛めて身体がすっかり弱ってしまっていたのです。
成美は、病院の受付を終わると、公子の診察に付き合います。
「郁夫さん、先に帰って休んで下さい、明日の仕事にこたえますよ」
「そうだな、そうするよ、成美、おふくろ頼むよ」と言って帰っていきます。
実家に戻った成美は、公子が肝臓ガンの疑いで近いうちに検査入院の予定だ、と話ます。
勇造は、がっくりと肩を落として、手術したら治るんだろ、と呟きます。
「そうね、心配しないで、すべてあきらめないで、様子を見守りましょ、病院の先生も、手術をすれば、大丈夫だ、って言ってたし」成美はなるべく、明るい声で話します。
永山夫婦が大阪支部に、バイトで行ってみると、なんと赤森が講演会の講師として来ていて、赤森が永山夫婦に声をかけます。
「大阪での暮らしはどうですか、慣れましたか?」
「ええ、この度はすっかりお世話になりまして、おかげで、なんとかその日暮らしですが、食べ て行けるようになりました」成美がいいます。
「ところで、例の日根野の件ですが、残りの領収書とか業者をあたったんですが、全く手がかりが見当たらなくて、どのようなことが考えられます」
「ええと、ちょっと考えたんですが、日根野はダミーの会社を作って、業者から、物品の仕入れのリベートを取っていたんじゃあないかな、日根野が誰と会っていたか、を調べたら。修繕 工事についても、なにかリベートを、そのダミーの会社に振り込んでないですかね」
「日根野の親しい業者の人、リベートのやり取りのできそうな人って、誰かいませんかね、おおっと、講習会が始まる、この話はまたこの後で」赤森は、早坂の案内で、講習会の教室にに入って行きます。
永山夫婦は、教室の入口や席の後ろに立っていて、来た人の名前を書いて貰って、講習用のプリントを手渡します。
人のやるべきこととは、とか本当の自分に気づいていないのではとか、どうすれば本当の生 き方ができるのか、本当の幸せとは、なんか教団で何回も聞かされた話が続きます。
郁夫には、もう聞きたくない話ばかりです、自分は自分のやるべき、と思った事をやる、ただそれだけでいいんだ、と心に決めたのです。
成美は、こんな話で教団に騙されないでね、人それぞれなんだから、と思っています。
赤森が、講演を終わって、控え室に入ると、成美が、ご苦労様、と言って、お茶を差し出し ます。
「ありがとう、どう講習の内容はどうだった、まああなた方には、さんざん聞かされてきたから、おもしろくもないでしょうが、これでも必死で考えてきたんですよ」赤森がにやりと笑いな がら、成美を見ます。
「それは、それはご苦労様です。」成美は、すました顔で答えます。
「先ほどのリベートの話ですけど、なにか思いあたることは、ないですか?」
「こちらに出入りしている業者とか、修理会社とかに訊いてみる、しかないですね、特に日根 野に頻繁に会っていた人とか、日根野がよく使っていた、喫茶店とか、飲み屋とか、で訊いてみるとか、そんなことしか思いつきませんがね。そうそう、友人関係とか、親族関係とか、親しい何でも頼める人は、いないですかね」
「いやあ、ありがとう、さっそく帰って、調べてみるよ。月に1度はこちらに来ますので、またそのとき、結果を教えますよ。」
赤森は、みんなに挨拶しながら、出ていきます。
公子は、検査入院で、もうすでに、いろんな所にガンが転移していて、余命は3ヵ月もつかどうか、と宣告されます。
宣告通りに亡くなると、勇造は、すっかり元気をなくして、一日のほとんどをベッドに寝転がってテレビばかり観ています。成美が、声をかけても、ろくに返事もしません。
成美が、昼と夜の食事をパックに入れて、運んでくるのと、その時たまに部屋の掃除をして、帰ってきます。
「郁夫さん、おとうさんどうなのかしら、声かけても、”ああ”とか”んん”、とかしかいわないの、トイレは伝い歩きで行けるみたいだけど、ちょっと行って話してみて下さいよ」成美が、夜勤から帰ってきて食事をしている郁夫に話かけます。
「ああ、昼一緒に行ってみよう、成美、それでいいかい」郁夫はパンをかじりながら、新聞の野球欄をみながら、ああ、阪神また負けた、とがっかりした声を出します。
2人で、実家へ行き、勇造のいる部屋に入ると、ベッドに腰かけて、テレビを観ています。
「お父さん、郁夫さんですよ、なにか話があるそうよ、一緒に話しましょうね」
「おれは、もういいよ、死んでいくだけだ」勇造はベッドで横を向いてしまます。
「どう身体の調子はどう?、ちょっとは歩けるんだろ」郁夫が勇造に声を掛けますが、返事がありません。「話って、もう一度同居しようかな、と思うんだが、どう?」
「お父さん、そうしましょうよ、こっちもその方が楽ですし、安心だし、家計的にも助かるし」
成美が言うと、勇造は、「ああ、いいよ好きにしてくれ」と言って、横を向いて寝てしまいます。
「じゃあ明日から、引っ越し準備始めるから、ここに荷物運び込むからね、成美いいかい」
「ええ、じゃあ明日からね、お父さん、よろしくね」そう言って、2人で、出ていきます。
同居を始めて、2ヵ月程して、夜中に勇造が、ふらふらと散歩に出かけて、交通事故で死んで、しまいます。
夫婦で、大阪支部へ行くと、赤森がすでに来ていて、郁夫の姿を見るなり、部屋の扉を閉めて、「永山さん、荒木という人知らないか、その人が一度だけ日根野を訪ねて来ているんだ、友人として、受付に10年前の記録が残っていたんだ、そこに友人と書いてあった」
「いや、知らないですが、どうかしましたか」
「荒木商事という会社の社長ということなんだけど、ちょうど教団が分裂したときに会社が潰れているんだよ、なにかありそうだと思わないか」
「その会社と教団との取引はあったんですか?」
「いやそれが全くなくてね、定款を調べてみると、あずきとかの商品取引の会社なんですが、とにかく会社の情報が全く分からないんですよ」
「仕入業者、あるいは、販売委託会社をあたって荒木商事との取引があったかどうか調べることですかね、教団に高く仕入れさせて、そのリベートをその会社に振り込ませる、あるいは、信者が買った代金を販売委託会社に振り込ませて、そのリベートをその会社に振り込ませるとか、赤森さん誰か業者とか販売店とかと付き合いのある方いませんかね」
「さあ、調べてみますよ、ありがとう」そう言って、赤森が出ていきます。
「あなた、あんまり首つっこまない方がいいんじゃあない、いくら赤森さんがあなたの友達っていっても、闇リベートとかなったら、なんだかやばくない」
「僕が悪いことしたんじゃないし、日根野が悪いことしてたんだったら、一緒に会計やってて見抜けなかった、僕にも多少責任があるような気がして、できるだけ力になるつもり」
「もう十分協力したように思うけど、あなたはどこまでやるつもりなの、教団とはもう関係ないのよ、日根野のことなんかもういいじゃない」
「まあ多少協力してやらないと、今度、諒子さまを受け入れるんだし」
「今年の3月からよ、受け入れの準備を始めなきゃね、後2ヵ月だわ、どういう段取りか赤森さんに訊いてみないとね」
赤森が講演を終えると、控え室に帰って来ます。
「郁夫さんと、諒子さんの受け入れ、どういう段取りか話てたんですけど、家は実家の古い 築60年くらいで、ちょっと修繕しないと、と思ってるんですけど」
成美が、赤森に声をかけ、日時とか、準備するもの、心構え、なんかも訊きます。
「諒子さまの始業式が4月で、学校が始まる前に移り住む事になります、家の修繕は特にいらないと思います。準備するものは、部屋だけで十分です、家具とか机はこちらから送ります。心構えは、普通がいいです、なるべく特別扱いされたくない、教団の外の生活がしたいのだそうです」
赤森は付け足すように、「そうそう呼び方は、諒子さんでいいじゃないかなあ、また連絡し ます」
「成美、おれ明日から、家の修理するよ、言ってくれ」
「まず、一階の雨といと、家の回りの溝は絶対ね、できれば綿壁のはがれと、二階のとたん と襖と障子ね、どうやれる」
「ああわかった、とゆと溝はやる、後は、どうするか、家に帰って相談しよう」
郁夫は、家に帰るとすぐに、雨といの修繕にかかります。
「郁夫さん、すごい張り切ってやってるけど、もう遅いからそろそろ終わりにしたら、仕事に差し支えるわよ」成美は、郁夫の律儀な性格がわかっているだけに、気をつけなくっちゃ、と思います。郁夫も、成美に言われると、そうかそうするか、とすぐに止めます。
家の修繕費は教団で用意する、ということで、諒子さんの受け入れ準備はちゃくちゃくと進んでいきます。
引っ越しが3月20日に決まって、この日は火曜日で、2人そろって、家にいます。
予定通り、荷物の軽トラがやって来て、荷物を運び込みます、全部、中古品のようで、机と椅子と本棚はかなり使い古したやつみたいです。
そして、その日の夕方、荷物が収まったころ、諒子が赤森と一緒にやって来ます。
玄関の前で、それぞれが挨拶します。
諒子の母親は、諒子が3歳の頃、肺炎で亡くなっていて、大学生の兄が1人います。
「こちらが比良諒子さまです」赤森が、永山夫婦に紹介します。
「永山郁夫と妻の成美です、よろしくお願いします。」郁夫が緊張ぎみに挨拶します。
「どうぞ中へ入って下さい、狭苦しいところですけど、どうぞ、どうぞ」成美は応接間に2人を招きいれます。
「諒子さまは、大阪の私立の松陰女子高校に通われることになりました。優秀な学校と聞いております、大阪には受験に来ただけで、なにかと不慣れなので、いろいろ助けてあげて下さい」成美が、はい諒子さん何でも訊いて下さいね、といいます。
「ここは諒子さまの下宿先ということなんですけど、親代わりとして、くれぐれも最善の注意をお願いします。様子を見守る、というこでお願いします」
「たいしたことはできませんが、何かありましたらすぐに赤森さんに連絡します、それでよろしいんでしょうか?」成美が言うと、ええそれで、と赤森が返事します。
赤森が家を出ていくと、諒子は、俯きながら、「うちの親は詐欺師なんだよね、人を言葉で騙して、金を巻き上げて、私にまでいろいろ説教するの、ばかみたい」
「教団のことはどう思ってるの?」成美はやさしく尋ねます。
「いやだから、ここへ来たんじゃない、2人とも私に干渉しないでね」
「確かに、教団はきれいごと並べて、教団のいうことを聞いていたら、幸せになれる、みたいなこと言ってるけど、本当にそれで幸せになれたんだろうか」郁夫がいいます。
「なれる人もいれば、なれない人もいる、人の生き方なんて千差万別なんだから、考え方を変えるっていっても、所詮それは無理があることなのよ、きっと」成美が言います。
続けて、「われわれは、教団を出てやっと、幸せを掴んだって感じなんだ、なあ成美」郁夫 が言います。
「じゃあ、われわれ3人は同じ考えなんだ、よかった、教団の人は自分の考えは正しいと勘違いしてるんだ、偉そうに訳の分からない事ばっかり言って、自分で満足してるだけだよ、ばかじゃない、あること、ないこと、もっともらしく、科学的に証明しろってんだ」
諒子が、一気にしゃべります。
「そうよね、人を自分の思い通りコントローしようと、神様の力をかりたり、いろんな言葉を使って、人を翻弄し、惑わせたりして、本当にいやだわ」成美も思ってることを言います。
「人を惑わすようなことを平気で言ってる、自分の言葉が真実だと思ってるんだろうな、自分の言葉が人を幸福にするとでも思ってるんだ」諒子が続きます。
「心からの言葉なんてほとんど聞いたことがない、いつも決まり文句があって、それを沢山持ってる人がえらい人みたいになってる」郁夫が言うと、成美が「教祖が”人は箱を持っていてその箱になにを詰めているのかが重要なんだ”って言ってて、えらい人は、きっと言葉をいっぱい詰め込んでるんじゃない、なにがあっても、そこから言葉を持ってきて、人を言いくるめるの」
「じゃあ僕の箱はからっぽ、ということだ」郁夫が言います。
「だから、あなたは教団で出世しなかったんだ、いつも黙ってたもんね、何もなくてよかった心の底から話ができる人で、私は本当によかった、と思ってる。」成美が言います。
「私、やっとわかった、昔、畑で出会ったおじさん、とっても暖かくて、いくら話してても、ちっともいやな感じがしなかった」諒子が言うと、、「えらい昔のことを覚えてるんだ、実はあなたのことが、本当に忘れられなくて」郁夫が照れくさそうにいいます。
「そうそれそれ、2人の心が通じあったのね、よかったね」成美がしんみりといいます。
「教団には、おもしろくない人ばっかりなのは、箱の中にいろんな言葉を詰め込み過ぎて本当の心からの言葉が出なくなってるんだ」諒子がいいます。
諒子が、高校に通い始めます。しばらくは何もなく過ぎていましたが、2学期が始まってすぐに、学校から帰って来て、諒子が成美の顔を見ると、急に抱きついて、泣き出します。
しばらくして、成美がやさしく、「どうしたの、話してごらん」といいます。
「実は、学校で、いやなこと言われたの、ぜんぜん知らない女の子から”あなたひまわり会の教祖の娘でしょ”って悲しくなって、どうしたらいいのか分からない」
「友達は、そのことで、なんか言ったの」諒子は、首を横に振りながら、「何も言わないけどなんだか、回りがよそよそしくなって、話かけてくれなくなった気がする」
「あなたは、これからどうするつもり、学校行って、勉強続けるんでしょ」
「うん、続ける、でもなんだか不安なの、みんなに避けられたら、悲しくなっちゃう」
「あなたは、これまで通り、友達に話かければいいだけなのよ、たとえ無視されても」
「今度の父兄懇談会で先生になんとなく、相談してみようか?」
「それはしないで、私、友達に話かけるのをやってみる、いままで通りに」
「怖くないのよ、堂々としていればいいのよ、何でも言ってちょうだい、私たち親子以上の関係だからね」諒子は成美の言葉で励まされます。そして、自分の部屋に入っていきます。
郁夫もその話のやり取りを黙って聞いていて、心配になります。
「どこから、そんな話が漏れて来たんだろう、やっぱり教団の誰かが漏らしたんだろうか」
「きっとそうよ、教団に反感を持った人が、日根野一派に漏らしたんじゃあないかしら、赤森さんが日根野の不正を暴くって言ってたから、それの仕返しを何か考えてるかも」
「仕返しってどんな事が、考えられるだろうか」
2人の話は、かってに変な方に発展していきます。
次の日、諒子が学校から帰って来ると、2人が家で待ち構えていて、話を聞きます。
「どう、学校は、何にもなかった」成美が、心配顔で訊きます。
「うん、昨日”教祖の娘”って声かけた人わかった、隣のクラスの子で内宮美玲というの、宗教に興味があって声かけたんだって、いろいろ話がしたかったんだって、なんだかいい人みたいよ」
「よかったね、どんな話をしたの、よかったら聞かせて」成美も少し安心して訊きます。
「うん、まだ名前を聞いただけだけど、いい友達同士になれそう、安心して」
「ねえ、あなた、お父さんのことどう思ってるのか、教えて」
「あの人、すごい人格者だと思うの、でも教団の経営者としては失格ね、運営がうまくいかなくなって、日根野に物品販売で立て直しましょ、と言われて、信者向けにいろんな品物を販売したところ、安価なものを高額で販売して、利益を出していたみたいで、父の知らないところで、いろいろやってたみたいで、それが分かって、父が怒ったことで、日根野が別の教団を造った、みたいなの」
「あなたのお父さん、本当に人格者だと思うわ、少し話しただけで、感動させられるもの」
「そうよね、みんながそう言うのよく聞くわ、私が中学生の時、始めて遊園地へ連れていっ てくれて、何人かで行ったんだけど、”お嬢様、楽しそうでよかったですね”って声かけてくれたの、そしたら、”お嬢様なんていうな、このばか娘に”、だって言われたわ、腹立てて、1人 で帰ってきたわ」
「あなたの事を本気で、思っていたのね、お父さんは」
「うん、今思えばね、でも家では滅多に話なんかしないわ、教団の外で生活したいって、言った時も、あそうか、その方がお前のためにいいかもね、で終わりよ」
「高校が終わったらどうするの、教団に帰るの?」成美の問いかけに、まだ何も考えてない 、と答えます。
学校で、放課後、美玲が諒子を喫茶店に誘います。
「あなた、教団ってどう思ってんの、この間、いやだって言ってたけど」美玲が訊きます。
「私、人にとやかく説教するなんて、そんな柄じゃあないもんね」諒子が答えます。
「あなた、教団で培った教えを全部忘れて、自分の中をからっぽにしたい、って言ってたねそれは、普通の人はそれでいいと思うの、でもあなたは違うと思うのね」
「何がどう違うの」
「あなたには、おおきな可能性があると思うの、私の母は、宗教があったから、生きてこれた、て言ってるわ、本当の宗教家になったら、人を救えるし、平和活動もできるわ、あなたの 一族は、そういう立場にいるんだと思うの」
「でも、私には、宗教家としての勉強もなにもしてないし、ましてや教義とかも全く知らないし、もともと、お決まりの言葉で、人を説教するなんて、お断りだわ」
「本当の宗教家ってどんな人だと思う、人徳があって、人の不安や、悩みを解消して、信頼される人でしょ、今からそれを意識して、身に付けるのよ」
「人徳って簡単には身に付かないよね、どうすればいいと思う」
「とにかく、人の役に立つことを率先してやっていく、そして困ってる人に声をかけ、困っている事を聞いて、一緒に考えてあげる、始めは聞くだけしかできないかもしれない、あなたは明るいから、誰にでも声をかけ、話をすることができる人よ」
「どこに行けば、そんな人に巡り合えるのかな、あなたの入ってる教団?」
「そうね、うちの教団はだめ、あなたの教団の集会、とかボランティア活動に参加する、とか学校では仲間はずれの子とか、親が離婚した子とか、そんな子の話を聞くの」
「うちの教団の大阪支部の講演会、一緒に行かない、日曜日がいいかな、座談会があるの、誰でも参加できるはずよ、知り合いがいるから大丈夫」諒子が、美玲に言います。
「じゃあ今度、一緒に行きましょ、でも講師の人が仕切るんでしょ、あなたがいると、何かいわないかな」美玲が心配そうに言います。
「とにかく、やってみないと、若い人の悩みも訊きたいし、でもおもしろそうな気がする」
「こつこつ自分を磨いて、自分のやれる最大のものをみつけましょ、あなたは、お父さんの血を受け継いでいるんだから、この間、自分の心の箱をからっぽにして、教団での生活で身に ついたものを振るい落としたい、って言ってたけど、今度は自分本来の心で一杯にするの」
日曜日、諒子と美玲は大阪支部に来ます、そこで座談会に参加します。
早坂が座談会を進めます、「座談会を始めます、講師の鈴木師から一言」
「人には、悩みや後悔することが多々あります、それを自分に向けず、人に向けていては、絶対に解決しません、ここでそのような悩みとか、後悔を出すことで自分に向き合いましょう、どなたからでも」
参加者から声があがります、「夫の暴力がひどいんです、どうすればいいのかわかりません」、参加者の遠慮がちの声があがります。
「そうですね、多分、夫の獣性をあなたが引き出している、可能性がありますね、そこを自分にひきつけて考えてみたら」と、このような調子で座談会が進んでいきます。
諒子は、鈴木師の言葉に説得力あるなあ、と関心しながら聞いてます。
しばらくして、終わると美鈴が諒子に、どうだった、と訊きます。
「なんだか、関心させられて、ばっかし、私にはとても無理かな」
「一回や二回じゃあ何もわからないわよ、でも面白かったでしょ」
「でも、講師の人はいろんな言葉を巧に使って、答えるもんだと、関心した」
「うん、そうかもしれない、でもよく考えてごらん、すべて自分に責任があって、自分を変えなさい、例えば、離婚する前に自分にやることがあるんじゃない、とか」
「それでも、人は救われるのかしら」
「それで考え直して、うまくいく人もいれば、やっぱり離婚する人もいる、ただ宗教家が離婚を進めて、相手から訴えられたら、困るでしょ」美玲は少し考えてから、言います。
「最終的には、決めるのは自分でしょ、人がなにを言おうとも」
「じゃあ、全部自分でなんとかしなくっちゃ、ってことになっちゃうでしょ」
「基本的にはそうだけど、私たち親子は、困ってる話をした後、いろいろ助けてあげるって いう人が声を掛けてくれたの、金銭的にも、精神的にも、同情してくれたのね」
「じゃあ講師は、話を聞くだけでも価値がある、ってことね」
「まあ、へんな事をいうよりはね、ということかしら」
諒子が、家に帰って来ると、成美が声を掛けます、「諒子さん、大阪支部に来てたわね、一緒にいた子、お友達」、「そう内宮美玲って子、母子家庭の子なんだけど、宗教が好きみたい、向こうから声かけられて、一緒に座談会に行くことにしたの」
「終わった後で、講師の鈴木さん、お嬢さまがみえていらしたので、びっくりした、ご挨拶も できずに帰られたので、後でよろしく言っといて下さい、っておっしゃってたよ」
「急に行って、迷惑かけたかしら、声を掛けると、変に気を使われると、かえって友達に迷惑かけちゃうかな、と思って」
「そうね、教団の人は、あなたを社長令嬢みたいに思ってるのかもしれないね」
「わたし、普通のばか娘なのにね」、「まあ多少世間知らずかも知れないけど、ばかというのは、酷いわよね」
「これからも、日曜日にちょこちょこ、行くから、人の話って、面白いもん、よろしくね」
郁夫も、横で聞きながら、諒子がいなくなると、「成美、なんだか変な感じしない、諒子さんの友達なんだか、変な人のような気がしない」小声でささやくように言います。
「うん、そういわれりゃあ、そうね、赤森さんにこのこと、言っといた方がよさそうだね、郁夫 さん、電話で伝えておいて下さる」成美もひっそりとしゃべります。
「ちょっと、外の公園へ行ってくる」郁夫は、諒子に分からないように、赤森に携帯で電話します。「今日、諒子さんが大阪支部に来て、座談会に友達と一緒に現れて、これからも日曜日に来る、って言ってる、どうでしょうね、だめとも言えないし」
「そうですね、それが諒子さまの意思からでたのか、友達に合わせているだけなのか、いいことか、悪いことか難しいですね、それと、例の日根野の件、やっぱり内部に複数の人が絡んで新教団立ち上げに関わったみたいで、横領の証拠がつかめないですね」
「荒木という人は、どうだったんですか」
「あたってみたんですが、のらりくらりで、何も掴めませんでした」
「新教団で、赤森さんの親しかった人、いなかったですか、例えば、森下さんとか何か教えてくれるかもしれませんよ」
「新教団に不利になることを言いますかね」
「日根野に反感を持ってるかもしれませんよ、あの人の言っていたことと、やってることが、ぜんぜん違うとかで」
「そうだね、連絡取ってみようか」
翌日、諒子が学校に行った後、すぐに2人が話を始めます。
「成美、赤森さんに連絡したけど、諒子さんのことは、良いことかどうかよくわからない、って まあ、そうだろうな、あんまり急がずに、様子を見るしかなさそうだ」
「郁夫さん、友達の人、内宮美玲って言ったわよね、調べてみる必要ないかな」
「そうだね、何か目的があって、諒子さんに近づいたのかもしれない」郁夫が真剣な顔で言 います。
「例えば、諒子さんに取り入って、教団に入り込んで、何か悪いたくらみをするとか、だけど本人が何かたくらむにしては若すぎるし、1人では荷が重過ぎる気がする」
成美は、郁夫の言葉を受けて、推理を働かせます。
「そうだったら、どうしよう、成美、諒子さんを守るには、われわれの力では、荷が重過ぎる」
「われわれが、そんなこと言ってたら、諒子さんがかわいそうでしょ、どうしたらいいのか、どんなことに注意したらいいのか、赤森さんに相談したら」郁夫は成美の言葉に頷きます。
さっそく郁夫は、赤森に電話をします。
「諒子さんのことで電話したのですが、今いいですか」
「諒子さんの友達の内宮美玲さんですが、諒子さんに近づき過ぎのような気がして、成美 もちょっと調べたほうが、いいのでは、言ってるんですが、どうでしょう」
「その人に会ったことは、あるんですか?」
「大阪支部で、顔を見ただけです」
「今のところ何ともいえないですが、先生に相談してみます、たぶん、しっかり様子を見ておいて下さい、とおっしゃると思うんですが」赤森は少し間をおいて、続けます。
「できたら、その子の家とか、親とか、ちょっと調べた方がいいかもしれませんね、永山さん諒子さまから、なにか聞き出してもらったら、こちらで、調査を依頼できるかもしれない」
「諒子さんから聞いた話では、母子家庭の子だと言ってましたけど」
「母子家庭の子が、あの有名な私学の女子高校に通わせるのは、難しいのではないですか、これは本当に何かありそうですね」
「こちらで分かったことがあれば、すぐに連絡します」
電話が終わると、「成美、その友達のことで、なんか分かったことないか」
「ないわよ、あればとっくに言ってるわよ」成美は、かなり真剣な顔になります。
「諒子さんに聞くことは、ええと、美玲さんの家がどこか、と出身地、と何という宗教か、と親の名前、と他になんかあります?」
「それだけ分かれば、後は赤森さんが調べてくれるでしょ」
夕方、諒子が、ただいま、と言って帰ってきます。
「諒子さん、これは念のため訊くんだけど、友達に美玲さんっていましたよね、その人って どういう人なのか知りたいの、あなたが大事な人だと思うから訊くの」
「どうって、普通一般の人よ、母子家庭で貧乏だったけど、宗教に救われたの、て言ってた けど、それがなにか」
「急にあなたに接近してきたんでしょ、何か目的があったのかな、て思って」
「そうね、普通となりのクラスの人が近づいて来るなんて、ないわよね、でも優しくて親切でいろんなことをよく知ってるの、いっぱい教えてくれたわ」
「いい人だと思うけど、あなたが目的で近づいて来たことは確かね、ねえその人はどこに住んでるの?」
「知らない」、「中学はどこ?」、「知らない、今度大阪支部に一緒に行くから、直接訊いたら」
「ええそうする、今度の日曜日ね」
日曜日に、諒子と美玲がにこにこおしゃべりをしながら、座談会にやってきます。
座談会が終わった後、成美が諒子と美玲を控室に呼びます。
この日は、特別に赤森に連絡して、講演に来てもらっています。
「赤森さん、こちらが諒子さんの友人の内宮美玲さん」
赤森です、と言って赤森が頭をさげ、内宮美玲です、と言って美玲が頭をさげます。
「あなたは、宗教に関心がお有りのようで」と赤森が尋ねると、「母が、入信していまして」
「あのう何という会の宗教か御存じないですか?」赤森の質問に「何かできたばっかりとか であまりよく知らないんですが」、美玲が答えた後に、「お母さんのお名前は、なんとおっしゃるんです?」成美がいろいろ訊きます。「内宮貴子です」、「中学校はどちらの中学」、「松陰中学」、「あら、地元の中学のわりに、大阪弁が全く出てこないのねえ」、「ええ、大阪弁は品がないから嫌いなんです、諒子さん大阪弁じゃあないから、お友達になれたのかしら」
「住まいはどちらの方に」、「学校の側で、母と一緒に」、「お母さんは普段なにかされているんですか」、「ええスーパーでパートをやってます」、「それは、ご苦労さまです、それであなたを、私学の女子高校に通わせて大変ですね」、「この学校は私がぜひ通いたい学校だからと言って通わせてもらってるの、本当に申し訳なく思っています」
諒子と美玲が出ていった後、赤森が「特におかしな点はないんですが、全部本当なら、しか し母親の宗教が分からない、というのと、大阪弁が出ないというのは、ちょっと変ですね」
「やっぱり、何かあやしい気がしますね、赤森さん」郁夫が、いいます。
「内宮貴子を調べる方が早いかも知れませんね」赤森がいいます。
「松陰中学の卒業名簿を調べるのは」郁夫が言うと、「中学3年で編入しているかも知れない、本籍地とか、生まれ育った場所とか、母親の宗教とか、このまま高校3年間は見守るしか ないかもしれませんね」
「それって、諒子さんの為ですか?」成美が言います。「ええそうです、彼女が何か企んでいるとしたら、その後かも知れません」
「そうね今の状態では、全く手の出しようがないですね、憶測だけでは」
3年間が経って、諒子は高校の卒業式から3人一緒に家に帰ってきます。
「諒子さん、卒業したら、山梨の教団に帰るんだって」成美が言います。
「長い間、本当にお世話になりました、2人には、心から感謝してます。」
「こちらこそ、ありがとう、それより、教団に帰ってそれからどうするんです」
「父に教団の手伝いをしたい、って言ったら、じゃあとにかく帰って来い、って
言うから帰ることにします」
「美玲さんは?」
「うん私と一緒に宗教の仕事がしたい、というから、父に訊いてみる、て言って
おいた」
「また大阪に来ることがあれば、連絡下さいね、出発は明日の午前中だったわ
ね寂しくなるわ、郁夫さん手伝ってあげてね」
「ああもちろん、最後の御奉公だな、ところで明日は誰がくるんだ」
「赤森さんですよ、あの人が諒子さんの担当みたい、机とか椅子とか、さすがに
古くなったから、もう捨てるんじゃない」
「とにかく、全部持って帰って、教団で処分を決めるらしいわ」諒子が言います。
「教団は、えらいね、絶対無駄なことはしない主義なんだ」
「いい加減うんざり、だけどね、何でも古いの取って置いて、これどう、とか古い
時代遅れものばっかり出してきて、服でもこれ似合うからって、うんざりだわ」
「やっぱり、諒子さんは変わらないわね、来た時と、でもその方が好きだわ、
正直で、うれしくなっちゃう」
「変なほめ方」3人揃って笑い声をあげます。
結局、諒子は教団に戻り、教団の畑仕事から始めます。
諒子が教祖の娘ということでの優遇は、絶対に許しません、諒子の呼び方も、諒子さん以外は、絶対だめ、ということになり、教祖の”すべてに謙虚であれ、誠実であれ、地道であれ”
という考えが、諒子にやれなかったら、教団から追い出す、と言われます。
諒子は、美玲にそのことを連絡し、それでも教団に来る気があるのか、訊きます。
「そうね、大変そうだけど、やってみる」と返事して、1ヵ月後に教団内に移り住みます。
「内宮美玲さんですね、諒子さんのお友達の」教団の受付の女性が声をかけます。
「はい、そうです」
「では、こちらの部屋でお待ち下さい、諒子さんと赤森さんが会いたいそうです」
「美玲さん、お久しぶり、元気そうでよかった」諒子が明るい声で話します。
「諒子さんも、元気そうで、再び会えて感激」
「美玲さん、お帰りなさい、これからずっとこちらで、ということですね」赤森が言います。
「はい、そのつもりで、荷物は明日にも到着するはずです、当面の必要なものは、ケースに 詰めてきました」
「そうしたら、部屋は諒子さんの隣が空いてますから、そこで暮らしてもらいます」受付の女性が言います。
美玲が教団にやって来て、3ヵ月程したとき、諒子が杉山に声をかけます。
「美玲さん、経理とかの事務仕事もやってみたいそうよ、どうかしら?」
「美玲さんは、珠算1級だそうよ、それで自分の特技が生かせないかと思ったらしいの」
「そうですね、私の一存では決められないですが、人事担当は赤森さんなので、赤森さんと相談してみます」
1週間程して、会議室に諒子と美玲が呼ばれて、杉山と赤森が座っています。
「美玲さんは、経理をやりたいということですね、特に経理の仕事は、簿記とか覚えることが多い、専門的な仕事ですけど、大丈夫ですか」
「数字を扱うのが好きなので、やってみたいと、思ったのですが、だめですか?」美玲が赤森の顔色を窺うように尋ねます。
「ダメということではないです、杉山さんどうですか?」
「そうですね、計算能力が高いというのは、ありがたいですね、とにかくやってみますか」
「はい、やってみます、ありがとうございます」
「ただし、うちでは、事務の人も、時間をみて畑もやることになってますから、よろしく」
赤森が、じゃあ明日からということで、と言って締めくくります。
美玲が、経理の一員として働き始めます。計算能力が高くて間違いが少ないので、杉山も大助かり、と赤森に報告します。
半年間、何もなく過ぎたある日、会計の金額が合わない、という事態が発生します。
誰かが、どこかに、無断で送金したというものです。しかも金額が五百万円ということで、すぐ に調べを開始します。
杉山が、現預金の残高チェックして、その日のうちに分かります。昨日の夕方5時頃に、その不正送金がされて、その送金が荒木の関係会社に振り込まれているのです。
そして、次の日の朝には内宮美玲が教団の中から姿を消してしまっていたのです。
赤森は、事前に美玲があやしい動きをするのではないか、と注意していたので、彼女の行きそうな所を当たります。
まず、永山郁夫に、電話をして、母親の住まいをあたってもらい、すぐに携帯電話の位置情報の連絡をもらいます。あらかじめこの時にそなえ、電話会社と契約していたのです。
どうやら連絡から、なかよし会の教団内部にいるようです。どうも日根野と繋がっているの は、確かのようだ。
なかよし会の森下に連絡します。以前から赤森が日根野の横領事件の捜査で、ひまわり会の 仲間だった彼に連絡をとっていたのだ。「うちに来た内宮美玲という女性、実は諒子さまの友人なんですが、その人がどうも、うちの教団の金を、おたくの教団の日根野に不正に送金したようなんだ、その女性と話をしたい、教祖がそうおっしゃってるので手助けして欲しい」
「むやみに、はいそうですか、という訳にいかない、その女性が本当に日根野の悪事に加担 したのかどうか、はっきりしないうちは、よし私がこっそり調べてみよう、なんか手掛かりは?」
「彼女の母親の宮内貴子は、日根野の愛人だと思う、美玲は両親は母親がひまわり会に入信したのをきっかけに、いろいろお金を持ち出したことで、離婚したと思っている。そしてその見返りに今回の騒動を起こした、ということです、一時期、日根野が霊感商法とか、高額 献金の呼びかけで、一部の信者に多大な損害を与えたことが、今回の原因と思われる、ですから、決して捕まえてどうこうしようとは思ってないのです」
「ああそういえば、そうだったな、日根野も悪いことをしたもんだ」
「これだけ言えば、分かってもらえましたかな」
「よし分かった、金の行方を掴んで、美玲とか言う女性をあなたに引き合わせればいいんだ な」森下が意を決したように言います。
森下は、美玲を見つけるのにそれ程時間はかからなかった、なかよし会の来客用の客間に匿われていたからです。そこに森下が尋ねていきます。
「内宮美玲さん、おはようございます。森宮といいます。少し時間をいただいていいですか」
美玲は起きたばかりの目をこすりながら、「あのどういった御要件でしょうか」訝しそうな顔付きで返事します。
「実は、ひまわり会の赤森という人から連絡がありまして、教祖の比良があなたとお話がし たい、とのことです、決して捕まえるとか、何かしようという訳ではなさそうです、一度会ってゆっくり話をしてみたら、教祖は人格者だから絶対大丈夫ですよ」
「ひやひやしながら、ここにいても、いつかは見つかるんだもんね、ちゃんと話してみる」
「そうですね、これを機会にちゃんと話すれば、きっと分かってもらえますよ、じゃあ赤森さんに連絡します」美玲は、覚悟を決めたように、「日根野さんには言わない方がいいですよね」森下が、「日根野があなたにそのようなことをさせたんですか、信じられない」
「森下ですが、赤森さんですか」森下が美玲のいる部屋で電話をします。
「はい、赤森です、どうですか、見つかりましたか」
「はい、ここにいます、これからどうします」
「そうですね、今日の午後4時にうちの大阪支部に来てもらえます」
「ああいいですよ、私と彼女と2人で先に行ってます、ここから今出ると昼過ぎには着くと 思いますよ」
「わかりました、大阪支部の早坂にこちらから連絡しておきます」
「じゃあこれから、ここを2人で極秘に出発します、よろしく」
「御無事を祈っております、美玲さんにもよろしく」
森下と美玲はこっそりと、教団を脱出する準備をします。
美玲は帽子を深く被り、メガネを掛けて、マスクをして森下に付いていきます。
電車を乗り継いで、2人が大阪支部に着くと、早坂が待ちかねたように出迎えて来て、赤森 から事情は聞いております、こっちの控室にどうぞ、言って控室に案内します。
そこには、永山夫婦が座っていて、森下と美玲に挨拶します。
「本当にこの度は、ご苦労さまでした」早坂が口火をきります。
「美玲さん、お久しぶり、ちょっとやつれたんじゃない」成美が声をかけます。
「私、大変なことやってしまって、申し訳なくて」美玲がか細い声でいいます。
「よくここまでやって来れたわね、これでやっと安心ね、もう大丈夫よ」成美が優しくいいます。
「森下さん、日根野の方は追ってこないですかね」郁夫が声をかけます。
「どうやら、追って来てないようですね、もう気づいているはずですよ」
「これから森下さんは、どうなさるんですか?」成美が、あんずるように訊きます。
「どうしましょうかね、なかよし会の仲間に相談して、今後のことを決めたいですね」
一通り話が済んで、みんな寛ぎながら、教祖の比良と赤森の来るのを待ちます。
午後の4時近くになって、赤森が顔を出し、皆さん、お待たせしました、と声をかけます。
その後ろで、にこにこしながら、比良がゆっくり、顔を出します。
みんなが入口に並んで、2人を迎えます。
早坂が、比良と赤森を控室に案内し、全員が控室に座ります。
「この度は、ようこそお越しくださいました」早坂がいいます。
「いえ、この度のことは、全て私の不徳のいたすところで、申し訳ありません」と言って比良が頭を下げます。
「いえ、全部私が悪いのです、すいませんでした」すかさず、美玲が頭を下げます。
「元の原因は教団の無理な物品販売や寄付の勧誘にあったようですね、本当にすいませんでした、美玲さん許して下さいね」比良が美玲に向かって再度頭を下げます。
「そう言ってもらえたら、もうどう言ったらいいやら、恨みも何もかも、吹き切れました」美玲 は、思わず涙ぐみます。
「お金のことは心配いりませんよ、あなたのお母さんの所に戻ればそれでいいのです、森下さんその確認をしていただけませんか」少し間を置いて、赤森が続けます。
「お金は、日根野の友人の荒木社長の関係会社に振り込まれていますので、そこから日根野に渡るはずです、そこから内宮貴子さんに渡ればよいのですが」
「わかりました、貴子さんを探し出して、日根野に確認してみましょ」森下が答えます。
「美玲さん、今まで通り、諒子の友人として付き合ってやってもらえませんか、今回のことで諒子が最高の友達を失うことになったら、私が諒子に何て言われることやら」比良の言葉に、「いえいえ私にそんな資格なんかないですよ、最高の友達って言ってもらえるなんて恐縮です」、「じゃあいいんですね、よかった、本当によかった」比良の明るい声が響きます。
美玲が、教団に戻ると、諒子の部屋に行き、重大な話がある、と言います。
「本当は、松陰女子大に入りたかったんだ、諒子と一緒に、めざそうよ、どうかな?」すっかり元気になった美玲が、晴れ晴れとした声でいいます。
「なんだか嬉しそうね、いつもの落ち着いた美玲はどこかに行っちゃったみたい」
「そうね、どこかに行っちゃったんだわ、これからは、何も考えず、楽しくやって行くことにし たの、心の箱をからっぽにしてね」美玲の変わりように目を見張りながら、諒子も美玲と一緒なら、松陰女子大を目指そうかな、と答えます。
「そしたら、2人で永山さんの所に下宿させてもらって、親に頼らずにバイトして、やっていこよ、資金計画たててやってみようよ」美玲がいいます。
「最初のお金ぐらいは、親に出させてあげましょうよ」美玲は、諒子らしいなあと思いながらも、一緒にやるんだからまあいいかという気持ちで、じゃあそうしましょ、と答えます。
話はとんとん拍子にすすんで、2人で大阪の松陰女子大に受験して見事合格します。
「永山さん、諒子さんと美玲さんがお宅に下宿させて下さい、と言っています。よろしいでしょうか?」赤森から郁夫に電話が入ります。
「はい、それはそれは、うれしい限りですね、2人の顔が思い浮かびます」
「この間の美玲さんの事件ですけど、森下さんから連絡がありまして、なかよし会で倫理委員会 をやりまして、そこに日根野を呼んで、ひまわり会からの資金流用と、内宮貴子への私的な資金援助と内宮美玲さんからの不正な振り込みについて、追及したところ、日根野がおおむね、認めて、今後の解決策を、ひまわり会と話合いたい、と言ってきました。とりあえず一段落です、永山さんからも、いろいろ助言をいただき、ありがとうございました」
「いいえ、たいしたこもできず、恐縮です」
「日根野の処分は、未定らしいですが、教団にはおれなくなる、と思いますよ」
「下宿代は2人で払うらしいです、なるべく安くお願いします」
「わかりました、いろいろ教えて頂きありがとうございました」と言って電話を切ります。
永山家に諒子と美玲の2人が仲良くしゃべりながら、やって来ます。
「ただいま、またお邪魔します、今度は2人ですけど、よろしく」諒子の声です。
「ああ、お帰り、すっかり大人びて、よう戻ってこれたね、こんな日が来るなんて夢のようだわ」
「成美さん、4年間2人をよろしく頼みます」美玲のしっかりした声です。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「ほんと、うちの父親は、娘が出ていくというのに、”元気で”の一言よ、ずーっと美玲の方ばかり見て、手振ってんの、ほんと娘のことなんてどうでもいいんだ」諒子が冗談まじりでしゃべ ります。「諒子さんは昔からちっとも変わらないから、安心したわ、仲良くやりましょうね」
郁夫もにこにこ笑いながら、「教団のことは、すっかり棚上げだな」と言います。
「そうよ、全く白紙にして、心の箱をからっぽにして、やり直すの」諒子が言うと、美玲も、「すべて心のままにまかせて、やって行くことにしたの」と言います。
「私たち年金が入るようになったし、支部のアルバイト辞めるから、あなたたち代わりにやったら、早坂さんにそう言っとく」
「それはありがたいね、また教団と繋がりできちゃうけどまあいいか」諒子がいいます。
「そうね、当面の生活費にはなるわね、賛成よ」
「下宿代、2人で五万円でいいか、成美?」郁夫がいいます。
「私はいいけど、お2人さんは?」
「そんなに安くていいなら、願ってもないです、諒子はどう」、「いいに決まってるでしょ」
「それから、なかよし会のことなんだけど、赤森さんから聞いた話なんだけど、森下さんが、日根野のやってきたことを公にしたら、日根野が教団からすぐにいなくなった、ということらしい、なんだかもっと追及して欲しかったな」郁夫が、しんみりといいます。
「すっきりした、なんだかいやな感じだったんだもん」美玲がいいます。
「美玲、あなた日根野を知ってんの」
「ちょっとね、宗教の関係でね知っただけ」
「あんた、宗教に凝ってたもんね、日根野はうちで悪いことして、父に追い出されたのよね 本当にいやなやつ」
「そんなことより、他のアルバイト探さなくていいの」成美が話題をかえます。
「そうね、諒子、一緒にアルバイト先探さなきゃね、アルバイトニュースの本かサイトで探そうよ」美玲が言うと、諒子も急にそんなこと言わないでよ、と言いながら、サイトで探し始めます。
4年後、2人が大学を卒業して、諒子は会社のOLとして、美玲は会計事務所に就職します。
そして、郁夫は家の近くの農園の一部を借りて、畑を始めています。なんだか茄とか、胡瓜、とかの畑を見ると、やりたくなって来た、ということです。
「おおい、成美、今年こそ天下一品のおいしい茄をつくるからな」
「あんまり、水をやり過ぎないでね、去年水をやり過ぎたせいで水っぽくなったんでしょ」
「弘法も筆のあやまり、ってね、成美も草引き手伝ってくれ」
「私は、やらない、って言ったでしょ、人にたよらないの」
「ああ、やれやれ、こんなに楽しいのになあ、1人でやるか、でもこれもあと何年続けられるかな」
「できなくなったら、また、別のこと見つけてやるだけでしょ」
「そうだな、俺も最後は、おやじのように、寝たっきりになるかもね」
「ばかなこと言わずに、仕事しなさい、あなたには、それしか取柄ないんでしょ」
美玲は、諒子と別々に暮らしていて、電話します。
「もしもし私、これから毎日日記を書くことにしたの、どう諒子も書かない、一緒に書こうよ」
「私、そんなキャラじゃないけど、美玲がそうするんだったら、そうしようかな」
「それじゃあ毎週日曜日に1回、日記帳を交換しようねいい」
「うん、いいよ」
美玲は、日記帳を買って来て、一番始めのページに書き込みます。
”いつでも何度でも、心をからにしたら、やり直せる”と。
からの箱 @6031
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