ある魔女の終わり

枝葉末節

ある魔女の終わり

 魔女が居た。わたしの主だ。

「協力者が必要なの。あなたなら、手伝ってくれるわよね」

 編んだ銀糸のような髪が揺れる。薄く塗られた口紅が笑みを模った。けれど青い眼は緩みもせず、まっすぐにわたしを睨む。断るなんて選択肢は選ばせない、と静かに圧力をかけているようだった。

「どうして、わたしを……」

「お気に入りの下着が失くなってね。だからあなたにしようと思った。……意味、分かっているでしょう?」

 呼吸が詰まる。見えない手が喉を潰したのかと錯覚した。

 わたしがしたのは、ただ焦がれ慕う人の服を一つばかり盗んだだけ。仮に発覚しても、常であれば軽度の罰か重くても解雇で終わるだろう。でも、今回はそう軽い話ではない。

 だって、わたしも相手も、女であるから。

「ボロボロになるまで罰せられたい? 晒し者として石を投げつけられたい? それとも、私ごと異端者として燃やされたい? 全部イヤでしょう? それなら手伝って」

 もはや有無を言わさない口調だった。断ればどうなるか並べ立てられて、唯一の抜け道を提示される。従う以外の応えを出せるワケもなかった。静かに頷き、短く呼吸をする。

「良かった。そうしたら、あなたには駆除の手伝いをして欲しいの」

「駆除って……魔術と関係あるのですか?」

「動物を使い魔にする術があってね。これでネコとかネズミなんかを自分が好きなように動かせる」

 言いつつ彼女は指を振った。部屋の隅でうずくまっていたネコがびくっと反応し、足元までやってくる。だがそこまでで、特に甘える仕草を見せたり、すり寄ったりもしない。結局なんらアクションを起こさぬまま、急に興味を失ったみたいに離れて部屋の角に戻っていった。

「こんな具合にね。今のはただ近づけって命令しただけだけれど、もっと複雑な命令も出せる。どう? 面白そうでしょ」

「面白いのなら、ご自身で済ませてしまえば良いのでは……」

 やれやれと言わんばかりに首を振られる。主様からすれば既知であったとしても、わたしからすれば全て未知だ。今『隷属の魔術』について教えられ、異端の一歩目を踏み出しただけ。それでも最早、戻れない領域に足をつけてしまったのだが。

「魔術は一つの系統に専念すればするほど、もっと強力な効果を発揮できるのよ。私は色々できるけど、だからこそたどり着けない領分がある。でも、あなたはまだ魔術において処女みたいなもの。隷属の魔術にだけ特化すれば、より強く、より多い使い魔を従えられる」

 なおも続く異端の知識語り。普段話さなかったが、結構多弁な御方なのかもしれない。

「早速使い方を教えるわね。これが隷属の術について記載された本。管理はあなたがして。あ、もし仮に見つかったとしても、私は庇わないから。自己責任でよろしくね」

 機嫌良さそうに手早く本を一冊渡してきた。大して厚みはなかったが、見た目以上の重さを感じる。身体が受け取るのを拒否したがっているようだった。

「それじゃあ早速実践だけど――」

 そんなわたしを置いて、先程の猫をまた呼び寄せる。それからは基礎的な扱い方を教わり、幾つか実際に試してその日を終えた。初日は猫の意思を操る術。ネズミ狩りに便利だと言う。その通りに猫へ指示を出すと、翌日にはネズミの死骸があちこちに転がっていた。片付けをする子には悪いが、確かに面白いと思ってしまう。生物をあるがままに操るのは、ある種の全能感を味あわせた。


 ――それからも、仕事とは別の時間で主様と関わっていくようになった。最初の脅し以後、彼女は一度も怖がらせるような話をしてこない。それどころか快活と話しかけてくれるようになり、更に異端へと傾倒するようになっていく。女性同士の恋愛と、魔術という禁忌の両面で。

「そういえば、どうして私を好きになったの?」

 ふとした拍子で質問される。問いに対する答えを、わたしは明確に持っていない。整った外見、だろうか。それとも時折見せる使用人への優しさだろうか。あるいはわたしが持つなんらかの性癖に引っかかったかもしれない。

「もうどうして好きになったのか覚えていません。今はもっと大切な人になってしまいましたから」

 だから正直に言った。今はもう、あなたに首ったけなのだ、と。

「……照れるじゃん」

 銀髪を垂らして顔を隠される。その髪をかき分けて、あなたの肌に触れられたなら……あなたの唇に添えられたなら……。

 思わず手を伸ばしそうになる。だが、突然玄関の扉を激しく叩く音で邪魔された。

 使用人の誰かが駆け寄る足音。わたしも主様の部屋から出て、様子を伺いに行く。

 十字架をでかでかと描くローブ、聖職者と言うにはごつい武装。更にペストマスクを付けた装い――おそらくは異端審問官の男たちだ。

 彼らは出迎えの侍女にがなりつける。怒鳴っていていくらか聞き取れなかったが、どうにもこの屋敷を中心としてネズミの変死体が複数出ていること。更に疫病の被害がごく少数であることを理由に詰め寄ってきたらしい。

 侍女は「主人はどこに居る!」と迫られ、わたしたちが居た部屋を指さしてくる。余計なことをしてくれたな、なんて悪態をついている暇はない。困惑した様子の主様を置いて、直ぐ様部屋を出る。自室に戻り、隷属の魔術について書かれた魔術書を開いた。まだ試していない術がある。それを使えば、どうとでもなるハズだ。

 該当のページを開けたまま戻った。審問官に囲まれ、今まさに手枷をはめられようとしている主様の姿。

 なんて勝手をしているんだ。触れて良いのはわたしだけ。縛って良いのもわたしだけだ。そう激昂したまま、呪文を唱えた。

「なんだ貴様……はっ、ぁ……?」

 男たちに隷属の魔術を使う。一番最後に書かれた禁忌の術は、人間の意思を操る術だった。わたしが行使したのもそれで、全員を無理やり自殺させる。

 短剣を握り、首をかき切っていく彼らの横を通り過ぎて、主様の元へ。唖然としていたが、わたしがなにをしたか理解した途端、大きく口を開ける。

「なんてことをしてるの! あなたも私も終わりよ!」

「そうですね。それじゃあ、もう終わりにしましょう」

「は? なにを言って……?」

 主様も、もうわたしの手駒だ。隷属の魔術を専攻したわたしに、主様は勝ち得ない。

 ふらふらと立ち上がり、赤く濡れた床を踏みつけて寄ってくる。転ばないように手を取って、そのまま部屋を出た。


 ――わたしたちが屋敷から離れる姿を見た者は、全員殺した。侍女も執事も庭師も。

 これでわたしたちの顔に詳しい人間もほとんど居ない。主様はともかく、わたしの顔なんて覚えている人間は全て死んだだろう。金になりそうな貴金属類だけ持ち出して、家も焼き払う。


 そうして、わたしたちは旅をした。行く宛もない逃避行。金に困れば動物を使って貴重品を盗ませる。カラスがお気に入りになった。

 主様は少し術の効果を弱めて側に置いている。人形のようにわたしの思うまま動くが、いくらか表情を変えたり、声を出すようになった。

 夜になれば、かつて焦がれた人と肌を重ねる。彼女の本意は分からない。けれど今、操りもせず発する声は紛れもない嬌声だった。

 だからきっと彼女も喜んでいる。この終わり方に。

 

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ある魔女の終わり 枝葉末節 @Edahasiyou

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