坂道を転がる

村部

第1話 高校三年 秋

 恋をすると、人は綺麗になるという。彼が好き。彼が欲しい。私だけを見てほしい。鏡に映る私は、綺麗だなんて、到底いえない。この醜い思いは、恋なんかじゃない。

 じゃあ、私のこの思いは、一体何なのだろう。


1 秋

 好きになるのに理由なんていらない。感情に名前を付けるのはいつだって後からで、理由だって、後から考えて付けているに過ぎない。彼を知って、知り合って、友人といえるような関係になって。ふとした瞬間に、好きだと気付く。名前が付いて、形になって、抜け出せない。存在しない鎖に足をとられて動けない。ずぶずぶと、眠りに落ちるように囚われる。心地よい微温湯に首まで浸かって溺死するのを待っている。いつか、離れなくてはならなくなるまで、友人としてでいいから傍にいたい。

「晶」

 耳に馴染んだ足音の後、名前を呼ばれる。心臓を包み込み、ぎゅうと握り締められる錯覚。このまま彼の手に掛かって死んでしまえたら。倒錯的な空想をする。

「待たせたね」

「そうでもないよ。もういいの?」

「うん」

 読みかけの文庫本を鞄に突っ込み、並んで下駄箱に向かう。名残のような暑さが首を灼く。あとどれくらい、こうやって帰れるだろう。臆病な私は未だ彼の進路について聞くことができない。首筋から背中へ、汗が流れた。

「大分日が短くなってきたね」

「そうだね。部活やってた頃は、もっと長かった」

「そうそう。日が暮れるまでとかいっていたら、思ったよりも遅くなってて」

 影もよく見えない坂道を、二人で下る。自転車を押す私の足は少し遅くて、彼はそれに合わせてくれている。それが嬉しくてつい遅くなってしまっているのを、彼は知っているのだろうか。その理由を、彼は考えてくれるだろうか。きっと考えもしないのだろう。

 同学年で、隣のクラス。体育が合同で、選択科目も場合によっては一緒に受けられる。理系と文系の差で、三年目になっても、殆ど同じ授業はなかったけれど。それでも移動教室の序でに顔を見ることができたり、こうやって一緒に帰ったり、それだけで満足だと自分を誤魔化せていた。でも、それにも限界が近付いていることを、他でもない私は知っていた。

「今週はまた模試か。受験勉強ばっかりで嫌になるな」

「三年生だからねえ」

「仕方ないねえ。そうはいっても、D判定とか見ると、辛いものがある」

「俺もそんなのばっかだよ。晶も?」

「そりゃあね。ご存じの通りの数学ですし?」

「ははは」

 カラカラと車輪が歌う。時折ブレーキを握っては、甲高い音が鳴る。卒業したら、この自転車も処分してしまうのだろうか。粗大ごみのシールを貼れば、捨てることができる。彼への思いもこれくらい簡単に捨てられたらよかったのに。この思いがなんなのかわからなくては、分別もできない。

「晶は、第一志望決まったの?」

「ううん、まだ。いけるところにいけばいいかなって。地元でいけたらとは思うけど」

「そっか」

「陸は?」

「一応は。いけるかどうか、わからないけど」

「そう。……県内?」

「いや、県外」

「そっか」

 あまり驚かない。陸は工学系に進みたくて、けれど地元の大学は難しいといっていた。だから、きっと遠くへ行ってしまうことはわかっていた。遠くへ行ってまでやりたいことも、目指したい未来もない私は、きっとここから出ていかないことも。

 まだ決まっていない未来。けれど、半年もすれば彼ともうこうやって会うことはないのだと、明確に自覚した。

「卒業したら晶と会えなくなるのは嫌だなあ」

「はいはい」

「そこは俺もだよとかいってよ」

「いったってしょうがないじゃん」

「そりゃそうだけど」

 嫌だといって離れなくても済むのなら、何回でもいっている。なんなら幼児のように駄々だってこねてみせる。けれど、どうしようもない。いくら顔を見ずとも話せるといっても、会えない。段々と、気付けば疎遠になってしまう。それならば、いっそ、すっぱりと離れてしまったほうがいいのかもしれない。悲観的な考えに憑りつかれる。

「まあ、成績次第試験の結果次第だ」

 何とかなると自分にいいきかせているような彼を盗み見る。彼はどんな風に大人になっていくのだろう。きっとそれを私が隣で見ることはできない。頼りないのかしっかりしているのかも分からないこのつながりを、私は切ろうとしているのに、それでも未来を想像してしまう。叶うならば、彼の結婚式の友人代表挨拶を任せられる地位は譲りたくない。

 この思いは一体何なのだろう。友情にしては重過ぎる。愛にしては軽すぎる。恋にしては醜すぎる。臓腑を切り開いて、心を見れたら楽なのに。

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