【5400文字小説】貴方を苦しめたいんです。
環月紅人
前編
「ねえねえ貴方……覚えています?」
「……は……?」
浮上する意識に、室内を見渡す。目の前にはストンと落ちるような重たい黒髪をした、妙に艶かしい女がいる。
――俺は両腕を縛られている。
「ここにいる理由」
悪寒がした。ずいと顔を寄せ、椅子に縛られる俺をニタニタと笑うようなこの女に、俺は逃げようとしたがロープが解けない。
「無理ですよ。怪我しちゃうので、やめてください」
「……誰だよお前は」
不思議な感覚だった。据わった目つきで俺は女を睨む。
ここは、どこかの廃工場らしい。人の気配はしない。密室ではなく、割れた窓ガラスや開け放たれたままの扉を見るに、使われなくなった場所。を利用しているのだろうと推測する。
見える範囲の外の景色は、茫々とした草木に覆われており、ひょっとしたら山奥だろうか。
……女の動向を見張る。
「秘密です。貴方は、
睨みつける。何者なんだこの女は。
服装はおそらく会社員。黒いスカートにジャケット、特に会社名や名札があるわけではないが、会ったことも見たこともない女。年齢は二十代前半か?
だが、どこか陰鬱としたオーラと不気味さが放たれていて、それは状況が故とも言えるがなんだが妙に気味が悪い。
こんな接点もないような女に、縛り付けられるような因縁もクソもないはずなのだが。
「警察呼ぶぞ」
「どの口が」
間髪なく、鼻で笑いながら女は言った。俺はイラついて頭を振るう。
途端に感じた若干の、後頭部の痛みはこの女の仕業か……。
舌打ちをする。
「君……高校三年生でしたっけ」
「だからなんだよババア」
対面に。両手を後ろに縛られながら項垂れて座る俺とは対照的に、足を組んで余裕そうにする女が、そのヒールで俺の脛を軽く蹴った。癇癪でも起こされたか。
大して痛くはなかったが、少し足場を引きながら睨みを向ける。
「まあ幼稚な祐也くんには、私みたいな年上の女性がかけ離れて見えちゃうのも仕方ないですよね」
「なんなんだよお前は」
意図がわからない。だから余計に不気味がすぎる。
まさか煽り合いをするためにこんな場所へ呼び出したわけではさすがにないだろう。
いささか、人気のまるでないこの廃工場で、命の危機さえ感じている手前多少の焦燥感を孕みながら解明したいと答えを急ぐ。
が、女はまわりくどいのが好みらしい。
「聞きたいことがあったんですよ。祐也くん」
「………」
「高校三年生なんですよね。大事な時期です。勉強はしていますか?」
「はあ……?」
質問の意図が理解出来なかった。まさか進路相談な訳でもない。状況がチグハグだ。
だが女は解答を求めていて、俺はその真意を探りながらも重々しく頷く。
「部活も最後の一年。祐也くんは運動部でしたよね」
「だからなんだ」
「確か祐也くんの学校は三年生でも短期の修学旅行があります。それに、最後の夏休み。文化祭など、励むべきことは目白押しではないですか?」
「……だから、こんなババアに拘束されてる時間なんてねーんだけど」
グ、ともう一度腕を抜こうと力を込めるが、ダメだ。固くキツく縛られている。
女が鼻で笑う。
「進学か就職かは決めました?」
「……進学」
「堅実ですね。運動部なら推薦もあるでしょう。良い事です」
貧乏ゆすりが片足に出る。意図が分からなくて気持ちが悪い。
「未来があって、いいですね」
「何が言いたい」
睨む。女は楽しそうにニタリと笑う。
目を細め、足を組み直した。
「昨年自殺した子が貴方と同じクラスにいたじゃないですか」
「あ?」
「――覚えてないんですか?」
「あー……いや」
「………」
「それが、なんだよ」
思わず目を逸らす。
そこの関係者か? だとしたら、あまり気分の良いものではない。
去年、冬に、同じクラスの女生徒が一人自殺している。俺はアイツが嫌いだった。
女はニタリと楽しそうに、口紅に染まる三日月を作る。
「ねえ祐也くん。貴方は覚えていますか?」
「なにを」
「あの子が死んだ理由」
――間違いない。この女の目的はそれらしい。
俺は睨み返す。
「知らねえよ」
女が深く息を吐いた。その妙な雰囲気に気圧されて、若干腰の引けた俺は座り姿勢を正しながら。
「ま、マジで、関係性はない。俺とアイツは他人だ」
「そうなんですか?」
「だから知らない。かっ、勝手に死んだんだろ。アイツ」
「……そう思いますか?」
問いかけの一つ一つが重たく胸に突き刺さる。
別に俺は嘘をついているわけじゃない。
が、居心地が悪いのも確かだ。
「所詮クラスメイトだ」
女の顔色が伺えない。俯いた頭に髪が垂れ、異様な雰囲気に冷や汗が。
大体この女はなんなんだ。アイツとどう関係がある。
正直、後頭部の痛みや腕を縛られていること。人気のない場所。そして、自殺した奴の話を出してきて、この女が何を仕出かすかもう分からない。
まあ正確には仕出かされてもいるんだが……。
イヤな予感しか感じない。一刻も早く、逃げ出したい。
「嘘を付かないでくださいよ、祐也くん」
「はあ……?」
「遺書がありましたから」
――アイツ、何しやがった。
「私はね、祐也くん。あの子の姉なんですよ」
口が、乾涸びるようだ。
厄介な相手が現れた。
「イジメられていたそうです」
「俺は何もしてない」
「可哀想ですよね」
そんな話は知らない。
「ひどい言葉を浴びせられたそうですよ」
「………」
「身に、覚えがありますよね」
「お前に何が分かるんだよ」
確かにそれは事実だが、それは別に、イジメじゃない。
第一、非はアイツ自身にある。俺は絶対に悪くない。
女が椅子から立ち上がる。カツン、コツンと、響き渡るようなヒールの音を立て、俺の周りを品定めするように歩く。
「いじめっ子の祐也くん」
「はあ!?」
激昂する。ロープは一向に解けない。
「俺は無関係だ!」
「嘘をつかないでください。書いてあるんですから」
良いようにだけ書き残しやがって!
最低な置き土産だ。
「貴方があの子に死ねと言った」
「――っ、違う!」
アイツが悪い。俺は悪くない!
「警察を、呼ぶぞ」
「私はね、祐也くん」
後方に回った女が、圧迫するように椅子の背もたれに両手を置いて、威圧感を出してきた。
背後に感じる女の気配に、俺は身動きの出来ない恐怖を覚える。
「あの子のために、復讐します」
「なんでだよ……!」
カチ、カチ、カチカチ。耳音で、徐々に銀色の刃が伸びる。
全身が強張る。初めて立つような恐ろしい状況に、いよいよ動悸も荒くなる。
「あの子の未来はないのに、あの子を殺した貴方は未来があるのって、不公平だと思いませんか」
「ふざけんなよ!」
まず俺は殺してない! 全部あのクソ女の妄言だろう!
終始一貫して全部、そうだ、アイツはそういう奴だった! だから俺はあいつが嫌いなのに――。
姉も大概じゃねえか!
右肩に置かれたカッターが、時計回りに再びコツ、と歩き出す女に伴って首回りを描く。
息を呑み込み、幸いまだ刃は触れていない。ピタリと首筋に触れるのは死人のように冷たい女の指で、それが俺の首元をなぞって目の前にカッターを見せつけた。
距離は近い。対面に立つ女、押し出したカッターの刃は五センチ程は飛び出している。
「私は不公平だと思います」
やらなきゃやられる。そう思った。そう思ったが、手は一向に自由にならず、俺に出来る抵抗は――。
「クソが!」
目の前に立つ女に対して、俺はどこまでも無防備だったが、乱雑に足で蹴り飛ばす。
「っ!」
タイツを履いた膝元を押すように蹴りつけ、地べたに倒れた女を見下ろし、俺は前傾姿勢になって立ち上がる。椅子を背負い、手の拘束をそのままに、ただこの危機から脱するために必死になって逃げ出した。
憎悪に滲んだような眼で、懐から取り出したスマホをいじり出す、女の姿なんて気付かずに。
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